ぴろたまごの雑記帳

小さな庭の見える窓辺でつらつら書いてます
草花の写真もアップしていきます

せっかくの外出が…(泣)

2015-07-31 22:35:06 | 日記


2015-07-31

 日曜日、じーさまとちょっとリッチな介護付有料老人ホームを見学した。

いやね、今入っているホームはどうもイライラすることが多いみたいで
どこか別の所を探してくれ!!」とダンナに訴えてきたのです。





まず気に食わないのは、みんなボケていて話にならないこと。
今した話をすぐ忘れる。何かと職員の女の子をたたく輩を見ると腹が立つ。

自分勝手な行動をして、食事の時に部屋から出てこない。
すぐに家に帰りたがってダダをこね、隙あらば脱走して困らせる。
いつもヒソヒソ年金を銀行でおろして家に帰る計画ばかりしてる2人組など、
見て見ぬふりができず、それにいちいち腹を立てて文句を言ってるそうだ😠 

まぁ、その人たちに罪はないし、生活委員みたいに口うるさいじーさまも、
向こうからすれば迷惑な存在かもしれないけど、気持ちはよくわかる。
確かに、年中そんな所にいたら頭がおかしくなりそうだ。
もっと元気で話題豊富な仲間がいれば楽しいに違いない。

家からもけっこう近くて新しく大きな老人ホームは、要支援1~要介護5まで
幅広い人たちが入居していて、階ごとに認知度別に分けてあった。

見学する直前になって「やっぱり今の所でいい」と言い出したので、
今日は見学だけということで部屋やホールやリビングなどを見せてもらった。

じーさまは身体は不自由だけどしっかりしているので、一番お元気な人の階へ。
トイレと靴箱までついている個室は広々として、窓からの見晴らしもよく、
台所のないワンルームマンションという感じ。
テレビや冷蔵庫も置いてよいそうで、これは今の所と大きく違う点だと思った。

行きかうおばあさん達は「あら、新しい人?」とさすがに興味深々でお元気そう。
でもね~ お茶の時間になってリビングに集まった人たち、みんな女性!
この階には認知症の男性1人以外、全員女性だそうで、
この輪の中に入っていけるだろうかとちょっと不安になってしまった。

その後、うちへ久しぶりに連れて帰り、昼ご飯やデザートを食べてご満悦。
高校野球を見ながらよく食べてくれてよかったな、と思ったのもつかの間ー

ダンナが昼寝しに2階へ上がった後、布団に寝かせてあげようとしたら、
その簡単なはずの椅子からの移動が、実はひどく難しかったようで、
バランス崩して思わず強く手首を握ったその時、プチッと音が!

「あっ」と気づけばシーツに10センチ大の血が広がり、「なんで?」😱 
よろけたついでにじーさまが自分の手首を足のすねでこすったみたいで、
薄い皮がベロッと裂けてしまったのです。

まるで、熟したトマトがグジュッとむけて真っ赤な実が顔を出したみたい。
手首をつかんでいたのでその感触がじかに伝わり、これまたすごい広範囲に
ベローッと剥けて、急いでラップで傷口を保護したんだけど。

もう、ショックで、自己嫌悪(ーー;)
介護のいろはも知らないくせに、エラそうに親孝行ぶって、大けがさせて、
またまた痛い思いをさせてしまった。あんなにちょっとしたことで皮が裂ける?
90年も使うと、あんなに薄くもろくなるんだろうか。

結局、病院へ走り、10針も縫ってそのままホームへ送り届け、
やっぱり、今の所でいい」とじーさま。あまり痛がらないのが唯一の助け。
何のために見学に連れ出して、家へ連れ帰ったのか、後味悪い外出でした😭 

*画像の花は、JAPANレッドの真っ赤なサフィニアです

 
 
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故郷での再会♬

2015-07-28 14:13:18 | 日記


2015-07-28

里帰りの後はいつも文が全然出て来ないので放置してました。
今回は、ひ孫と孫たち全員を実家の両親に顔見せする一大プロジェクト




広島の娘一家はもちろん、福島に行った息子にも旅費とホテル代カンパして、

熊本駅で会おうと待ち合わせしたのだ。
 
台風で欠航していたフェリーも夜は再開して、翌朝、実家に到着した。
母は相変わらず細いけど元気そう。待ちかねたようにお喋りが始まる。
もう80過ぎると、変わりなくいてくれるだけでありがたいものだ。
奥の寝室で寝ていた父は少し頬がこけたけど、私が行くと嬉しそうだ。

「後でみんなが揃うから一緒にお昼ごはん食べに行こうね」と言うと、
素直に「うん、行こう」と言ってくれた。

今年は正月の集まりにも行かなかったらしいし、めっきり出不精になって
今回もごねてたみたいなので、連れ出せるか心配していたけどよかった! 
この日のためにみんなに声かけして、妹や弟一家も大集合。
妹に車椅子で入れるお店を探してもらって、段取りしてきたんだもんね。

娘一家も出発し、息子も同じ頃に駅に着くというので迎えに行った。
里帰りして親兄弟だけでなく、息子や娘たちと再会するのは変な気分だ。
特に息子は、ほとんど詳しい話も聞かないまま未知の世界へ旅立ったので、
聞きたいことは山ほどあるし、どんな顔して会おうかドキドキした。

先に声をかけてきたのは息子。相変わらず1週間じゃダイエット無理か~
そのすぐ後に、改札から娘たちが現れたので、2人きりの話は途切れた。

ランチ会のお店は、こじんまりしたイタリアンレストラン。
妹の友だち夫婦がやっている感じのいいお店で、今日は貸し切りだ。
妹たちよ、半年ぶりだね~!Kちゃんにおかゆ作ってきてくれてありがとう。

久しぶりに会った甥っこは、なんと来月パパになるというサプライズ!
仕事もバリバリ、不況もどこ吹く風で、店長として頑張っているようで、
まぁ誰に似たのか(母親に違いないが)場を盛り上げるトーク術がスゴイ。

姪っ子Nickyちゃんとは実は会うのが照れ臭かったのよね。
最初はお互い目で合図したりしてたけど、そのうち普通に話せたよね。

「もう年だし、2度とないかもしれないから皆の写真を撮って」と母が言い出し
もう1人の甥っ子君のガールフレンドがカメラマン。
あの写真は、ホントにいい思い出になった。
1才から85才まで15人。
ホントはあと7人全員、その場にそろってたらもっとよかったんだけど。

イタリアンも美味しかったし、会話も弾んで、みんなが乾杯しておしゃべり。
ビールから始まってワイン3本軽くあけたせいか、ダンナは飲みすぎてダウン!
2次会のお店であと7人も合流したけど、ずっと長椅子で寝ていたダンナ。
うちの家系は底なしのようで平気でフィーバー(とにかく元気!)

みんな昔の細いイメージだった息子の変貌ぶりに目を白黒させていたけど
もっと頻繁に、いとこ同士のふれあいをさせておくべきだったなと思った。
甥っ子たちとカラオケしたり、深い話を突っ込まれる様子を横で見ていて、
親子とか兄妹ではできない話とかできるのは、いとこならではだと思ったから。
 
でも、これからも、時々こんな集まりができたらいい。
みんなそれぞれ個性があって、それぞれの道で頑張ってるから。
つかず離れず、いざという時集まって、お互いの様子を見て刺激になるし、
1人じゃないって思えるかもしれない。

結局、そのままダンナの酔いはさめずにホテルへ直帰。
息子とはじっくり話せないまま別れた。

まだ複雑な思いはあるけど、いつかよかったって思える人生を歩いてほしい。


*ちなみにお店は上通のプリマヴェーラさんです😋 







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お騒がせ息子の出発

2015-07-12 18:23:43 | 日記

2015-07-12

 長かった梅雨も終盤近くなり、気温も蒸し暑さも最高潮のこの頃。。

ところで、先週半ばからとうとう、夫婦2人だけの生活になってしまった。
思えば完全に2人きりの生活になるのは、新婚時代以来のこと。


 


役場で臨時で働いている間に受けた本採用試験に失敗し、
公務員は諦めて再び就活をしていた息子が選んだ先は、なんと福島!
 
最初に聞いた時は、さすがに引いた。
東日本大震災からまだ4年しかたってない福島に行くということは、
除染関係の仕事をするということで、もう不安しかない。

大体、こっちのハローワークになんで東北行きの求人があるの?って話だ。
 
「どこでもいいから外に出て仕事したらいいんだ」と言ってたダンナも、
「そんな所にわざわざ行かなくても」と前日の夜まで反対していた。

その頃は夕食とか別々に食べていたし、部屋にいるのか不在かもわからない。
ようやく「来週の水曜頃、福島に行くことになったから」とLINEが入った。
 
出発の朝早く、まるで見切り発車するみたいに父親には声もかけず、
荷物を持って「行ってきます」と、外で待つ迎えの車に乗って出て行った。

こちらは原発からも遠いし、津波の心配もない。
大きな地震も火山もないし、台風の被害も少ないホントに平和で温暖な土地。
なのに、わざわざいつも地震で揺れている東北で仕事するなんて・・!

目に見えないものが相手の仕事で、不安を挙げればキリがない。
確かに、誰かが後始末をしないといつまでも手つかずのまま風化して、
そこに住んでいた人たちの故郷は戻ってこない。

元に戻るまで40年はかかるというし、実際はどんな様子なんだろう?
今までの人生を変える大きな転機であり、挑戦には違いないけどー

「そんな所に行ったらお兄ちゃん余計うつになるんじゃないの?」と娘。
もう故郷に帰らず、結婚もできず、内孫も諦めなきゃいけないんじゃないか。
それとも、やっぱり続かなかったと40近くになって帰ってきて、
また1から仕事を探すことになるんじゃないか。
いくら給料よくても、健康を害したら意味がないと、不安は膨らむ一方。

でも、考えてること少しはわかるような気がした。
普通の仕事より高収入で、手っ取り早く仕事について親から独立できるし、
マイナスイメージより興味の方が勝って行ってみたくなったんじゃないか。
まぁ他に仕事がないのなら、今しかない。一度行ってやってみたらいい。
 
朝6時半に出て、夕方6時過ぎにいわき市に着いたと連絡があった。
宿舎の近くは普通に都会で、人が歩き、自転車もバスも車も走っているし、
しごく普通な環境らしいので少し安心した。
安全が確保された上での作業なので心配ないという話だし、
行く前の健康診断もきっちりしていたし、もうなるようにしかならない。

たとえ気休めでも、そう思って無理やり自分を納得させてる私です。
いつまで親は子を心配しなきゃいけないのでしょうかね?
はー(--;)


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