ぴろたまごの雑記帳

小さな庭の見える窓辺でつらつら書いてます
草花の写真もアップしていきます

高野山の思い出その②

2021-11-29 23:56:34 | 旅行

壇上伽藍にお坊さんの行列が

 2020-11-29  金剛峯寺から壇上伽藍(だんじょうがらん)へは、確か徒歩でも行けたような気がしたけど、初めてで地図を見てもなかなか方角や距離がつかみにくい。中門前の駐車場に......




この表紙、自作のフォトアルバムにしては上出来だと思いませんか?

写真をレイアウトしてデータを送ると、1冊のアルバムに装丁してくれる
マイブック。

娘の結婚式、孫の成長、旅行と、マイブックを作るのが趣味のダンナです。
ちなみに題字を金色に提案したのは私(^^♪)

これも全て、たまたま壇上伽藍に行った時にこの場面に出会ったおかげです。

着いた途端に、金剛峯寺の方から色とりどりの袈裟を来たお坊さんたちが
20数人も行列を作って現れて、こちらの方へ近づいてくるからビックリ。
回りの皆さん、知ってて集まっていたのかな?





大元帥大法と言って、
皇室が変わった時や(令和元年には行なわれてない)
国家鎮護、外敵調伏のための(まさに外敵=コロナ)めったに行われない
重要な行事がたまたま始まったところだったのです。

高野山に来て、まさか1度にこんな大勢のお坊さんを見られるとは思わず、
これは紅葉を見るより、ありがたい出来事だったです。
おかげで、歩き疲れもみるみる治って上機嫌🎵


高野山で厳しい修行をされているお坊さんたちの凛々しさに
しばし見とれてしまいました。




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高野山の思い出その①

2021-11-28 15:44:01 | 旅行

高野山の紅葉に間に合わず(泣)

2020-11-26時すでに遅し。・・やっぱり行くのが1週間遅かった。無常にも紅葉は散った後で、道端に茶色い落ち葉が積もっていた。平地では今が見頃でも、高野山の紅葉は11月中旬まで......


高野山の紅葉に間に合わず、ガッカリしたあの日から早、1年。

でも、高野山の魅力はそれだけではないことに気づいたあの日から1年。





逆打ち巡礼と満願成就の旅の記録をダンナが残した2冊の「マイブック」
ページをめくると、今でも鮮やかな光景がよみがえる。

高野山とは、標高800mの山上盆地に広がる町並み全体のことを言うそうだ。
金剛峯寺を中心としてお寺が117もあり、どのお寺も洗練されて雰囲気がいい。

どうしても、「奥の院」と「壇上伽藍」を見るだけで終わってしまうけど、
名もないお寺巡りを楽しんでいる老若男女が多いこと!
とても1日では廻りきれない、底知れない魅力のある聖地でした。





これはアルバムの見開きの一部。
右上は金剛峯寺の参道。
あと1週間早ければ、左右に見事な紅葉が迎えてくれるはずだったのに、
落葉ですら綺麗に掃き清められて肩すかし。

右下の大門の所だけ、西端で日が当たるからかわずかに紅葉が残っていた。

左ページ上は、朱色が美しい中門。
その正面の駐車場からたまたま1台出て行った後にスッと車を停められて、

中門を入ると、目の前に見るも麗しい壇上伽藍が広がっていて、
その後思わぬラッキーな場面に出くわしたすことができたのです。

チラッと見えてるお坊さんの行列のお話は、後半にて。





朱色が青空に映える根本大塔  是非また訪れたい所です。

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親子バトルの後は

2021-11-22 23:22:44 | 日記


急いで仕事から戻ると、息子のバイクがあった。
上京してから1年9カ月ぶりの再会。
東京港19:30発、徳島着翌13:20のフェリーで帰ったそうだ。
たしか入院して15キロ減ったと言っていたはずなのに、見事にリバウンド!
もうちょっとスマートな姿が見たかった・・と思うのは贅沢かな?

この2、3日体調不良でムスッとしていたダンナも気を遣っているのか
「先に風呂に入って来いよ」と促す口調も妙に穏やかだ。
食卓の上には鍋の材料を切った野菜が大皿に盛られ、サラダも並んでいた。





入院時、退院時、最近の肺の3枚の画像を見せてもらったら、
真っ白い肺からぐっと黒い箇所が多くなり、一回り大きくなったようだ。
まだ若いから、なんとか肺も頑張ってくれて助かったんだな~

同じ本社の年配の方は、残念なことにエクモまでしたのに亡くなられたそうだ。
重症患者は、生活習慣病のあるような男性がほとんどだったらしい。

まだ、睡眠薬を飲んで寝ても、そう長くは眠れないらしいけど、
以前のような幻覚は見なくなり、味覚障害もなくてよかった。


正式ではないけど、もう会社には辞める意思は伝えたそうだ。
ギリギリまで休職して、正月明けには完全に引き上げるつもりのようだ。
親としてはここで辞めるのは勿体ないし、仕切り直して頑張って欲しいけど、
もう東京にも会社にも全く未練がなく、早く帰りたいと言った。


翌日はベランダでアンテナを父子でつけ替えたりして一見平和に見えたけど、
言いたいこと聞きたいことが満載のダンナが、夜、ついに爆発。

今いくら貯金があって、この先どうやっていくつもりだ?
補助金が下りるなら、何も実家を頼らず自活すればいいじゃないか。
大体、ちゃんと卒業できるのか。就職先はあるのか。食っていけるのか。
1月に帰るのに、来月もまたわざわざ何しに帰ってくるのか。

「そもそも家に戻るのは反対だ」と言われ、息子も戸惑いながら説明を始めた。

「年内に今ある古い家具を全部処分して、年明けの引越しに備えるんだって」
と私も横から助け舟を出すと、いつ何と何を処分するかの話に移り・・


今日はそんな2人を置いて仕事に出たけど、帰ってみるといい雰囲気。
注文していたリビングの照明器具が届いて、2人で取り付けたんですと。
「今日はあいつも頑張ってくれた」とダンナの機嫌は戻っていた。
まぁ、親子だからね。「わしは甘いの~」と自分を納得させていたけど。
ぶつかる時はぶつかって、ちゃんと言い合ったからスッキリしたのかも。

そう言えば、今日は40回目の結婚記念日でしたわ😘 


※上の写真は、富士山の近くまでツーリングに行った時送ってくれたもの。
富士山の雪の白さと青空のブルーがとても印象的で気に入ってます



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待っていた連絡

2021-11-16 21:41:23 | 日記



テレビを見てる時、急に「あいつは生きてるんか?」とダンナがつぶやいた。

「生きてるでしょ」と、携帯に手を伸ばすと同時にLINEが入った。

「今週の土曜日にバイク置きに帰ります。構いませんか?」息子からだ。

「ちょっと、今、LINEが来たよ!」

「気持ち悪~ 何か繋がってるんだな。いいよと返事しろよ」 (ホッ!)

結局、土曜日はフェリーが満席で、金曜日の夕方帰って来ることになった。

「まぁ帰るんなら、いつでもいいが。晩ご飯作って待ってると返事してやれよ」

「何が食べたいか、何でも食べれるのか聞いとけよ」

「買い物はしといてやるから、材料何がいるか書いとけよ」

なのに、「お前が相手しろよ。俺は黙っとくから」と相変わらずだ。
でも、顔を見れば、きっとあれこれ話し出すに違いない。

バイクで冷えるからか、水炊きとか鍋がいいと返信があった。

金曜に帰るなら、土曜日早々2人をほっといて仕事に行くわけにいかない。
なので、早速みんなに事情を話して有休取って休むことにした。

「土日の間になんとか仲を修復させて、月曜日は出るからゴメンね」

みんな「どの家もそれぞれあるよね~」と話が盛り上がった。

それにしても、よかった~ やっと連絡が来た。
ホントに待っていたのよ、何日に帰るっていう連絡を。
9月に1度帰るって連絡があったのに、「帰って来るな」と拒否したあの日。

間に立った私が、もう少し言い方を工夫すれば、こじれずに済んだかもしれない。
あの日のリベンジがようやくできる。

やっぱり、顔を見てしゃべらないと。メールの文章は誤解を生みやすい。
特に、心身衰弱した時に言ったことやメールをまともに受けちゃ駄目だよね。

とにかく、こんな状況で実家に帰って来るのは勇気がいることだろう。
 
やっと一歩を踏み出してくれた息子にホッとしている。


先日の紅葉狩りの写真です

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三原浮城まつり

2021-11-14 16:10:24 | 旅行



紅葉狩りの翌日は、朝から快晴。
この日はちょうど、三原の浮城まつりがあるというので見に行った。

永禄10年(1567年)毛利元就の三男、小早川隆景によって建てられた三原城。
島をつないだ埋立地に建てられ、満潮時には海に浮かぶように見えたので
浮城と呼ばれるようになったそうだ。

今は天主台と舟入櫓の一部しか残ってないが、当時は本丸から三之丸まであり
櫓(やぐら)が32と城門が14もある大きな城だったらしい。
今の広島城の天守閣が6つも入る日本有数の広い天主台で石垣も立派だ。

一体、どんなお城だったのか、想像が膨らむ。





小早川甲冑部隊の武者行列が、隆景広場に集結していた。
「戦か空襲で天守閣がなくなったの?」
「実は、新幹線を通すために壊してしまったんですよ」と婿殿。

えーーー!? なんという選択😲 
天下の要塞だった天守閣と、経済を支える山陽本線との2択だったとは!!

確かに港のすぐ前に駅があり、駅から天主台公園は直結しているそうだ。
新幹線の高架下の通路のすぐ横に石垣があって、なんか不思議だった。





Kちゃんが行列の中に「あ、市長と〇〇がいる」と声を上げた。

小1の博士くんの今度の興味は、なんと選挙!
衆院選で当選した議員さんの顔とフルネームまで覚えていたのだ。
「ばーば、何党に入れた?自民党?立憲民主党?」と聞かれてタジタジ。

確かこの前は、温帯低気圧がどうのと、気象予報士になるのかと思ったり、

「コロナの新規感染者、そっちは昨日何人だった?」とか聞かれるし

大人の話すこと、ニュースに天気予報、全てに興味深々なのだ。

だから「この子の前では滅多なこと言わないで」と娘から釘を刺されている。
もちろん、にーにがコロナになったなんて、口が裂けても言えないのだ。





お祭りのイベントで、港では海上保安庁の巡視船も見学できた。

紙で作った帽子をもらい、制服着せてもらって敬礼して写真撮ったり、
船の中では、救命ボートの説明や、操縦室では自由に座って見学。
今頃、海上保安庁の本でも借りて、かじりついていたりして。

子供って、未来がいっぱいあっていいな~




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