
8月最後の週末。久しぶりに娘一家がやって来た。
息子も一緒に全員揃うのは、おととしのお正月以来だ。
まだ下の子は小さかったので、2階で泊まった記憶もないそうだ。
2階や階段が珍しくて、上に行きたがるくせに一人で下りられない子😅
最近は会話も減って、家にいる時は部屋に籠りがちな息子だけど、
この時ばかりは3食一緒で、リビングで遊び相手をしてくれた。
長いこと会わなくても、やっぱり家族。
なんとなく停滞して
いた空気の、程よいカンフル剤になったみたいだ😊

8月27日 お寺で法事を済ませ、午後はドライブに出かけた🚙
日本100名城のスタンプを集めに、久々にお城巡りをすることにした。
宇和島城までは2時間以上かかって、昼からだと帰りが遅くなるので、
今回は近場で片道1時間の大洲城を見に行った。
鎌倉末期の1331年、宇都宮豊房が地蔵ケ嶽に築城したのが始まり。
秀吉の四国征伐後、小早川隆景、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治、
加藤貞泰ら大名たちによって近世城郭が整備され、城下町として栄えた。
が、明治21年に老朽化と構造上の欠陥のため、古い天守閣は解体された。

上は、高欄櫓(こうらんやぐら)の石落とし
他にも台所櫓・南隅櫓・芋綿櫓(おわたやぐら)の4つの櫓は
江戸時代のまま解体されずに残っており、国の重要文化財になっている。
この角度から眺めるお城は、なかなかのものだ。
現在の天守閣は、2004年(平成16年)に再建されたばかりでまだ新しい。
明治期の古写真や江戸期の木組模型を基に、10年がかりで再現されたのだ。

戦後に復興された木造天守の四層四階は日本初で、高さ19.15mは日本一。
総工費16億、寄付金は5億円を超え、寄付木も樹齢300年のものばかり。
天守の全ての柱166本には提供者の名前が記されているそうだ。
一度解体されれば、そのまま城址として風化するのが常なのに、
「復元した天守が将来文化財となるよう、可能な限り本物を目指そう」と
こんなに忠実に再建を果たすとは、地元関係者と市民の熱意に脱帽です。

天守閣に入った途端、冷房がついてるような涼しい風が入ってきた。
外はまだ暑いのにここは別世界。冬に来なくてよかったかも😅
ここは風が強く、屋根瓦は寒さに強い岐阜産の燻し瓦が使われている。
窓の格子の間からのぞくと、眼下に肱川と大洲の町が広がっていた。
遠い昔も、この景色は変わらなかったのだろうな・・

昔の築城当時の様子を克明に描いたジオラマに食いつく孫たち。
重い木材も石も、全て人の手で運ぶんだから、昔の人は偉いなぁ!
下の写真を見ると、足場を組んでお城を作っている様子がよくわかる。

江戸時代からの高欄櫓の内部は、明らかに木の歴史の違いを感じた。
風通しもよく景色もいい櫓が気に入ったのか、2人とも、
「ここに住みたい」「ここにKちゃんの机を置いてここが私の部屋で~」
どこでも自分たちの秘密基地にしたがるから面白い。

「3時18分にJR四国の伊予灘ものがたりが鉄橋を通ります」
「一緒にのぼり旗を振って歓迎したい方は集合してください」
と館内放送があったけど、何のことかわからずそのまま見学していたら・・
目の前の鉄橋に「伊予灘ものがたり」が、しかもゆっくり走っている。
土日祝日限定で、大洲城本丸からのぼり旗を振って歓迎しているそうだ。
窓のすぐ外で、皆さんが大きな旗を振っていた。なるほどね♪
偶然とはいえ、いい所に出くわしてしまった。

孫たちに誘われなければ、一生来なかったかもしれない。
雲一つない青空に、大洲城がきれいに映えていた。
歴史をちゃんと知れば知るほど、その良さがわかるものだ。
ホント行ってよかった😊
次回来た時には、宇和島城まで足を伸ばす予定です。