おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


元旦は氏神様へ 居神神社

2022年01月04日 23時07分00秒 | 神社
あけましておめでとうございます。

年がら年中神社に行く私でも、年の初めはまず氏神様へ。
我が家の地域の氏神は城山の居神神社です。



年明けの0時30分頃の様子。
昨年に引き続きけんちん汁や甘酒の振る舞いが中止となってるので初詣客は非常に少なかったです。
この写真だと誰もいないように見えますね。




人が少ないと夜のお不動様は恐ろしげ。



拝殿前も例年の行列はありませんでした。
ゆっくりお詣りできたけどやっぱり淋しい。
来年こそいつもの賑やかな初詣になりますように。



北条氏綱の教えとされる
「勝って甲の緒を締めよ」 の石碑。

居神神社の創建年は長く不明だったのですが、最近になって氏綱の時代、永正17年(1520)である確証が得られたとか。

一昨年がちょうど創建500年で祭典が予定されていたのですが、コロナ禍のため例祭と共に2年連続で中止となってます。




祭神代表は三浦義意(よしおき)
伊勢宗瑞の宿敵三浦氏の最後の党首で幼名は荒次郎。
北条VS三浦の最後の戦いとなった新井城(閉園した油壺マリンパークとその周辺)で討死。

その際に斬られた首が小田原まで飛んできて、ここ居神神社の前の木にぶら下り、道行く人を驚かせ北条一族を呪ったと。
(そのせいで宗瑞は死んでしまったという話も)

これじゃいかんと久野総世寺の住職が歌を詠んで供養したところ、それ以降はこの地を守る神になってくれました。

この話は結構有名で以前は神社の由緒書きにも普通に書かれていたのですが、
伝説とはいえ首が飛んできたなんて嫌な話ですし、三浦市の方々から「私たちの先祖は化け物ではない」という意見もあったそうで
今は首のことはスルーして義意を称える由緒書きに変更されてます。


永正17年と創建年がはっきりし、氏綱の石碑ができて、三浦義意を称える内容の由緒書き。

ここ数年で境内が北条氏と三浦氏を強くアピールできる雰囲気に変わったのは喜ばしいことだと思います。





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