株式会社プランシードのブログ

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その522.コロナ禍で問われるオリンピック中継クルーの度量

2021-07-22 08:41:49 | 制作会社社長の憂い漫遊記

オリンピックは平和の祭典といわれる。

古代ギリシャでは多くの死傷者を出す戦争を

一時中断しスポーツで戦う。それがオリンピックだった。

しかし第一次世界大戦ではベルリン大会が中止になり、

第二次世界大戦では東京大会、ヘルシンキ大会、

ロンドン大会が中止になった。

もはやオリンピックが戦争の抑止力にはならないことは

歴史が証明している。

戦争ではないがコロナ禍にもかかわらず、

7月21日から東京大会が始まった。

第二次世界大戦の東京大会のように

幻の東京大会になるかと思われたが

マネーゲームという戦争の中で

コロナを無視したオリンピックが始まった。

開催1ヶ月前から各国の選手団が到着すると、

正義を標榜する報道は「コロナ禍では開催反対」と

「メダル有望の日本選手紹介」の二枚舌を使いだした。

G7で各国からお墨付きをもらったことで加速した。

ただし協賛企業はオリンピック用の

CMやイベントを自粛している。まさに苦渋の決断らしい。

しかし、これとて日本が最初の金メダルを

取ればどうなるかわからない。

開催反対を叫ぶ日本国民も金メダルひとつで変わるだろう。

 

私は基本的にはオリンピック開催賛成派だ。

単純にトップアスリートのパフォーマンスが見たい。

がしかしである。江戸幕府が倒れ開国した時を境にして

日本では未知の病気が上陸し、

外来種の動植物や細菌・ウイルスが入り込んだ。

それは人知れず侵攻し、数年~数十年、

あるいは百年後にパンデミックを迎えることになる。

日本国内ではいまだワクチン投与が進んでおらず、

第5波の中、オリンピックが始まった。

 

そしてこれまた苦渋の決断で、「無観客」のオリンピックとなった。

21日夜に女子サッカー・日本対カナダ戦をテレビ観戦した。

国際試合では応援の声と鳴り物が煩いのが定番だが、

コロナ禍のオリンピック中継ではボールを蹴る音、

選手の息づかいまで聞こえる。

日の丸を振るサポータや客席のインサートがなく

ただ試合を坦々と撮っているのだが、

私は試合に集中できていいと思う派だ。

顔に日の丸をペイントしたにわか応援者のインサートを入れることで

感動を伝えようとする手法事態がナンセンスだと思うのだが

コロナ禍で否応なく無観客。

客席の様子をインサートできない事態になり

奇しくも番組制作者・中継担当者の度量が問われることになった。

 

現状は客席のインサートなしで試合を中継するという引算に終わっている。

かってはカメラの数が少なく、機材の機動力もなかった。

1936年ベルリン大会の記録映画『オリンピア』では

再現する(再撮影)という手法まで使って

オリンピックをプロパガンダに使ったこともあった。

やがて自国応援席のインサートだけではなく

あろうことか応援する選手の家族をインサートとすることで

人間ドラマを描こうとした。

「ごぉ~~~る!」と絶叫する実況アナウンサーに

スポットが当たることもあった。

高解像度の小型カメラやカメラのコントロール化、

クレーンなど様々な撮影機材が開発され

見たこともない新しいカメラワークが実現し

ワクワク感を高めたりもした。

 

しかしコロナ禍の中継では、無観客により

自国応援席のインサートはない。

パプリックビューイングも中止され、奇想キテレツの

アホスタイルの観客のインサートや間抜けなインタビューもない。

撮影スタッフも人数制限があり、大がかりな特殊機材も入れられない。

そんなコロナ禍で、どうすればオリンピックの感動が伝えられるのか?

果たして、コロナ前の中継スタイルから、

客席のインサートや見たこともないカメラワークの引算で

感動が伝わるのか?

はたまた客席のインサートに変わる何かを足して感動とするのか?

スタッフも特殊機材も制限された中でワクワク感は伝えられるか?

結局コロナ禍だから仕方ないとあきらめるのか?

コロナ禍・無観客で始まったプロ野球やサッカー中継では

引算+あきらめだったが・・・

 

コロナ禍で始まったオリンピックで、番組制作者の度量が問われる。



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