株式会社プランシードのブログ

株式会社プランシードの社長と社員によるブログです。
会社のこと、仕事のこと、プライベートのこと、あれこれ書いています。

その392.愛を持って撮るとは?

2018-10-26 14:02:41 | 制作会社社長の憂い漫遊記
言葉や文章、さらには映像や絵画など
創作物は武器になる。
直接体を痛めつけるのではなく
心を痛めつける武器になる。
特に言葉や文章は何気なく発しても
受け手によっては怒りや痛みを伴う。
傷つけたら怒らせるために
書いているわけではない。
しかし、ブログを続けて足掛け5年になるが
抗議のコメントを頂くことがある。
気づけばすぐに抹消するが
本当に申し訳ない・・お許しください。

SNSが生活の一部になりつつある若者にとって
銃刀という直接的な武器ではなく
心を痛めつける言葉や文章という武器を持つ恐怖を
この歳になってヒシヒシ感じる。
いっそのことやめればいいのだが
弊社のホームページにリンクしているので
良くも悪くも続けている。
リタイアしたらこのブログは抹消したい。
げんに自分のFacebookは休眠になっている。
生モノと直接が好きな私にとって
SNSはしっくりこないようだ。

私はこの世界に入り企業ドキュメントを得意としてきたが
スポンサーには絶賛されても
その被写体にも絶賛されているとは限らない。
比較することでわからせる意図の中では
比較された側を傷つけている場合もある。
被写体にも気づきをというお題目で
確信犯としてやっていることも多々ある。
取材を通じて気づきを感じて成長する人もあれば
へこんだままの人もあるだろう。
映像を見た方は何かしら被写体に声をかけるので
開いた傷口をさらに塩で揉むことになる。
仮に誉められた人であっても
誹謗中傷を受けることもある。
企業が成長するために人材活性化の方法として
社内報や映像を制作するが
その制作者も覚悟を持って被写体と接しなければと思う。

愛を持って撮るとは?
撮る前のコミュニケーションや、
撮った後のコミュニケーションに
「愛があるかないか」はあるのかもしれない。
撮影とは撮ることだが撮らないことも撮影ということだ。
撮る度に私を悩ませ、時には私自身が傷つき、
時には励まされてはいるが
いまだに愛を持って撮るという結論は出せずにいる。
ドキュメンタリーとは、とどのつまり被写体ではなく
それを撮る者のドキュメンタリーなのだから。

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