株式会社プランシードのブログ

株式会社プランシードの社長と社員によるブログです。
会社のこと、仕事のこと、プライベートのこと、あれこれ書いています。

その106.あぁ、仙台に立つ

2013-08-27 10:03:31 | 制作会社社長の憂い漫遊記
震災後初めて仙台にいってきた。

すでに震災から2年経つが
空港近くの名取はガレキこそ撤去されているが、
学校は当時のまま残され、防風林も見る影もない。
空港に続く海岸沿いにあったメロンハウスはなく、
確かあったはずの住居や食堂、
空港利用客用の民間の巨大駐車場などもなくなっている。

ガレキが撤去されているので、
震災跡といわれなければわからないだけに怖さがある。

私自身も阪神淡路大震災の被災者である。
震災から一年後、ある新聞社の依頼で
復興と闘う新聞店のドキュメントを撮った。
震災の爪痕を撮ろうとしたが、
ガレキが撤去され広がる空き地では
見た目の悲惨さは表現できなかった。
しかし新聞店で働く姿や声を、
広がる空き地の前で撮った時、薄ら寒さを感じた。
恐らく被災者にしかわからない
薄ら寒さ=絶望なのかもしれない。

阪神淡路大震災はつい20年前なのに、
もはや大正時代にあった関東大震災なみに
被災者以外の方は忘れ去っている。
もはや神戸では選挙公約に震災復興を揚げる立候補者もない。

東北大震災もまた、わずか2年しか経っていないのに、
関西ではニースでもほとんど取り上げられず、
唯一震災日のみ特集が流れ、どの局も決まって
「風化させてはならない」とナレーションが入る。
しかし福島の原発からあふれ出した放射能は地球の奥底にまで浸潤し、
太平洋には汚染水がダダ流しになっている。
もはや日本だけの問題ではなくなっている。
太平洋戦争で原爆の被害国が、
65年後、原発の被害国、加害国になった。
人間の利己主義にうすら寒い恐怖を感じる。
私たちは何をすればよいのだろうか?

(私見であるが広島の原爆記念館の横に、
 福島の原発被災記念館を建ててはどうだろうか)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿