軍事のこと何も知らないモデルの女の子がミサイル防衛おじさんにかどわかされてさらに数多のミリタリーおじさんたちから濃い軍事の知識を学んでいく様子を綴るコラム読みたくないですか
市ヶ谷に着いたら、まず銀行へ逝って、昨日ようやく請求書類が届いたエボゴンの自動車税を納付しないと。
あれ?霞ヶ浦の開庁祭6月5日じゃん。某マニアのブログに騙された...。
1875年の今日(5月7日)は、樺太・千島交換条約が締結された日だピィ!
北方四島は、いまだかつて一度も外国の領土になったことがないピィ!! fb.me/6bjKTkAIu
5月4日、軍事ジャーナリストの神浦元彰さんがご逝去されました。本誌では2003年9月号~2016年4月号の152回にわたり「オレに言わせろ!」を連載いただきました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。連載最終回を暫く公開いたします。 pic.twitter.com/dXw7tRfO0i
あまり関係ないけど、私の友人には、妻に先立たれて男やもめになった者はなんにんもいるのに、既婚者で妻より先に死んだ人は少ない。統計的に言えばそちらが普通なのに。神浦さんと、江畑さんくらいかなあ。私より若くて独身で死んだ者ならばいくらでもいるが。
神浦さんの経歴はwikipediaにもあるが、広島生まれと言うのが鍵だと思う。彼には何度も、母親が原爆の被爆者だと聞かされた(もちろん彼自身は戦後の生まれ)。彼は生涯にわたって反核、反戦の軍事評論家であった。彼は情念の人であり、反戦反核の情念がしばしば冷徹な分析を上回った。
核兵器は廃絶せねばならない。戦争は起こしてはならない。そんな情念から、彼はしばしば状況の分析を誤り、願望交じりの予測を語って、結果的に逆神の汚名を被ることになった。彼のそんな弱点を、私は良く知っていたものの、彼の人間としての存立基盤にもかかわることだけに、改めろとも言えなかった。
彼は湾岸戦争の予測を誤った。本人から直接に聞いたのだが、開戦(「砂漠の嵐」作戦開始)の前夜まで、TV番組であれはアメリカの脅しです、戦争にはなりませんと自信満々に語ってしまい、大恥をかいた。「浜ちゃん、あれほんとに戦争になると思っていた?なんで?」と真剣に言われた。
思うに、戦争になってはいけないと言う、反戦平和の使途としての情念が、軍事専門家としての分析を凌駕してしまったのだ。北朝鮮の核兵器開発を再三にわたって否定し続けたのも、反核の使途として核保有国がこれ以上増えてはならないとの情念からだろう。
神浦さんは、2003年のイラク戦争においても、まったく同じに戦端は開かれないと予言してしまっている。さすがにこれには呆れて、少しは懲りろよと言いたかったが、喉元過ぎれば熱さを忘れ、同じ誤りを犯すのも神浦さんらしいと言えばらしい。もっともサダム・フセインも同じ誤りを犯しているのだが
神浦さんは、評論家と呼ばれる人には異例なくらい素直に自分の誤りを認め、真剣に落ち込むのだが、しかししばらくすると生来の楽天性が頭をもたげて、まあ仕方がないとなかったことにしてしまい、しまいには忘れてしまう。その点からすると「まるで成長していない」。