ついにワンダーコアスマートを買ってきた! 2016-07-31 22:47:37 | 日常 昨日買ってきて、なんとか用事を済ませて、今夜開封して腹筋やってみました。 これは楽。 楽というのは、首や腰への負担がとても少ないということ。 テレビ見ながら、スマホチェックしながらでもできる。 負荷も調整できるので、物足りなくなったら、負荷も大きくしてみよう。 身体を鍛えます。
最後にいつ泣いた?そして、一番泣いた時、どんな時だった? 2016-07-31 00:37:00 | 日常 私の場合。 問1) 最後にいつ泣いた? 答) ついさっき。日付をまたいで泣いてました。 問2) 一番泣いた時、どんな時だった? 答) 妻が亡くなって、この世に絶望を見た時。 泣いて、改めてその動機の言語化というのは苦手だけど、感じたことがあるので、書き記しておくことにしました。 泣いた時は、心が揺れて、感情が溢れて、それが涙となり頬を伝って、いろんなものが溶け合う。 問1)のさっき泣いたのは、人が誰かをどれだけ想っているのがわかった時。 人が何かを伝えるということは、素晴らしいことだと思ったから。 問2)で、一番泣いたのは、どうしようもなかったから。 あの日、22時に携帯の画面に病院の名前が出た時から、最悪のケースを想定して、それが現実になった。 何もできなかった。何もしてやれなかった。最善を尽くしたつもりだった。それでもダメだった。 その日でも最大のピークは、医師から「(心肺蘇生を)まだ続けますか?」と言われ、なんとか絞り出した声で、「もういいです」と答えなければならなかった時。 悲しいだけじゃなくて、自分自身が何もできない無力感とか、頬に触れた時に体温が異常に低かったとか、もう時を戻せないとか、いろんなものが溶け合って、声にならない声を張り上げて、拳を病院の廊下に何度も叩きつけていた。 さっきと過去で共通しているのが、そこには人や事象に対して、大きく、そして多くの想いがあったということ。 何も想っていなければ、そこには感情も感傷もない。 泣くだけじゃなく、怒るのも、同様のことが言えると思う。 書いてて思ったけど、当たり前のことを書いてるな。 しかし、一見、当たり前のことをわかっているようで、言われて「なるほど」と考えさせられることもある。 普段、人は泣くより、笑うことが多いと思う。 泣くのは、マイナスのイメージがあるし、かなりのエネルギーを使うから、そうそう機会が無いのかもしれない。 機会が無い(少ない)から、泣くことは貴重に感じる。 泣ける場所、泣くことを受け止めてくれる人、これらは、泣く人にとって、とても大切な場所や人だったりするはずだ。 なぜなら、泣くことが貴重なら、その場所やそれを受け止めてくれる人は、特別であるはずだからだ。 心を許せる場所や人だからこそ、特別という考え方は成り立つ。 仮に特別ではない街中で人の前で泣いていたら、 「え?泣いている?なんで?いい大人が?急に?ここで?」 と疑問符がたくさん出てくるに違いない。 都心では無関心の人の方が多いのかもしれないけど。 それでは自分の泣いている気持ちや想いがわかってもらえない。 それを伝える人や方向が重要だ。 では、今の自分はどうか? 泣ける場所や、泣くことを受け止めてくれる人がいるか? あったら(いたら)ラッキー! そうでなければ、よーし、これから探そうっと! 書いてたら2時になってしまった。 "おやすみモード"へ移行します。 それでは、明日まで、ごきげんよう。