人は、余りにも幸せの度合いが違い過ぎると、
立場の強さが違い過ぎると、相手のことを理解できない、
正しく相手の気持ちや、置かれた立場が分からないと思います。
例えば、20年ぐらい前の出来事ですが、
全盲の私が、JR明石駅の点字ブロックの上を歩いていた時に、
直ぐ近くにテーブルが置いてあったのですが、誤って、
そこで書きものか何かをしていた若い男女にぶつかりました。
私、(あっ、すみません。、ぶつかってしまって。、)
すると、相手の二十代後半ぐらいの男性が、
(おまえ、わざとぶつかってきたやろ。なにしよるんや。)
と言って、猛烈な勢いで起こって、今にも飛びかかろうと言う感じでした。
私、(すみません。私は全く目が見えないので、注意してたんですが、
ぶつかってしまいました。)と、そう言っても。
男、(いや違う、こいつは目が見えとる。
わざとぶつかってきたんや。)と言って引きません。
で、結局、隣にいた女性が必死に止めて、私はその場を離れたのですが、
彼には、私のしぐさ、歩き方から、全く目が見えないとは思わなかったんだと思います。
映画の座頭市などは、確か目をほとんど瞑っていたと思いますし、
町中を歩く全盲の中には、やや前傾姿勢で、
頭を下げ気味に歩く方が多いかも知れません。
要するに、音を頼りにして歩く全盲は、絶対では無いですが、
道路などから跳ね返ってくる音を聞きやすくするため、自然にそうなるのかも知れません。
ところが、私は十一歳まで眼鏡で1.0以上見えていました。
ですので、胸を張ってあるきますし、電車で座席を譲られた時も、
譲ってくださった方がどうぞと言うだけで、誘導してくれないことも多いです。
少しは見えていると思うのでしょうね。
で、結局、(すみません。私は全く目が見えないので、
何処の座席が空いているのでしょうか。)と、
そこまで言って、その後誘導してもらうことが多いのです。
つまり、余りにも幸せの度合いと言うか、置かれた立場が違い過ぎると、
相手の状態や辛さが分からないのです。
まあ、これでも三十年ほど前に比べるとましにはなりましたが。
当時はたまに、中学生や高校生であっても、普通の目が見える人と同じ教育を、
受けているとは知らないと思われる年配の方から、
そりゃ無いやろうと言うような言葉を言われたこともありました。
私、(われわれ目の見えない方が通う学校でも、例えば自分の学生時代は、
数学1、数学2、現代社会、
日本史、世界史、科学、生物学、
現代国語1、2だったか、英語も2A、2Cと別れてたのか、
表現とか言う時間もあったかも知れません。もう忘れてしまい、
中学と、後頭部普通科とごっちゃになってしまってますが。
ですので、相手と自分を比較して、時にはできない人を、
馬鹿にしたり、避難したりする方も有るかも知れませんが、
相手と自分の立場がほぼ同じで、年齢や立場、
障害の有る体か、そうで無いか、それらを考えてみて、
例え相手に少しぐらいの落ち度があったり、能力が劣っていると感じたりしても、
内的、外敵立場がかなり違っている場合は、無暗に相手を、
貶める様な言動は、取らない方が良いでしょう。
また、近くで誰かが誰かを非難しているとして、
その様な差を理解できたならば、非難している相手に、説明する、
あるいは、相手を制止させるなど、抑制的行動に、
出られたらと私は思います。
例えば、われわれ目の見えない世界でも、弱視の方が、
文字が書けなくなる順盲になったり、その後、全盲になったりすると、
やはり、今までできていたことができなくなったり、明るさが減退したり、
やや元気が無くなったり、性格さへも多少は変わってきます。
そうですね、先行き科学が発達して、全盲だった方が、
順盲になったり、弱視まで回復したら、おそらく、
周りのその人を知る方は、引っ繰り返るぐらいにビックリするでしょうね。
そして、その時初めて全く目が見えないと言うのは、
仕事上も、プライベートも、一般の方と比べて、
信じられないぐらいに不利なんだと、はっきりと判るのでしょう。
ここまでの例は、目が見えない人でのことですが、
家庭環境、両親が早くに亡くなられている方、
シングルマザー、シングルファーザーの家庭とか、
経済的にかなり困窮した家庭、親が問題の有る方、
その様な原因による、幸せの度合いの違いから来る虐めに関しても、
われわれは、できるだけ注意しなければと、思ったりもします。
今日は、その様なことを思った一日でありました。
立場の強さが違い過ぎると、相手のことを理解できない、
正しく相手の気持ちや、置かれた立場が分からないと思います。
例えば、20年ぐらい前の出来事ですが、
全盲の私が、JR明石駅の点字ブロックの上を歩いていた時に、
直ぐ近くにテーブルが置いてあったのですが、誤って、
そこで書きものか何かをしていた若い男女にぶつかりました。
私、(あっ、すみません。、ぶつかってしまって。、)
すると、相手の二十代後半ぐらいの男性が、
(おまえ、わざとぶつかってきたやろ。なにしよるんや。)
と言って、猛烈な勢いで起こって、今にも飛びかかろうと言う感じでした。
私、(すみません。私は全く目が見えないので、注意してたんですが、
ぶつかってしまいました。)と、そう言っても。
男、(いや違う、こいつは目が見えとる。
わざとぶつかってきたんや。)と言って引きません。
で、結局、隣にいた女性が必死に止めて、私はその場を離れたのですが、
彼には、私のしぐさ、歩き方から、全く目が見えないとは思わなかったんだと思います。
映画の座頭市などは、確か目をほとんど瞑っていたと思いますし、
町中を歩く全盲の中には、やや前傾姿勢で、
頭を下げ気味に歩く方が多いかも知れません。
要するに、音を頼りにして歩く全盲は、絶対では無いですが、
道路などから跳ね返ってくる音を聞きやすくするため、自然にそうなるのかも知れません。
ところが、私は十一歳まで眼鏡で1.0以上見えていました。
ですので、胸を張ってあるきますし、電車で座席を譲られた時も、
譲ってくださった方がどうぞと言うだけで、誘導してくれないことも多いです。
少しは見えていると思うのでしょうね。
で、結局、(すみません。私は全く目が見えないので、
何処の座席が空いているのでしょうか。)と、
そこまで言って、その後誘導してもらうことが多いのです。
つまり、余りにも幸せの度合いと言うか、置かれた立場が違い過ぎると、
相手の状態や辛さが分からないのです。
まあ、これでも三十年ほど前に比べるとましにはなりましたが。
当時はたまに、中学生や高校生であっても、普通の目が見える人と同じ教育を、
受けているとは知らないと思われる年配の方から、
そりゃ無いやろうと言うような言葉を言われたこともありました。
私、(われわれ目の見えない方が通う学校でも、例えば自分の学生時代は、
数学1、数学2、現代社会、
日本史、世界史、科学、生物学、
現代国語1、2だったか、英語も2A、2Cと別れてたのか、
表現とか言う時間もあったかも知れません。もう忘れてしまい、
中学と、後頭部普通科とごっちゃになってしまってますが。
ですので、相手と自分を比較して、時にはできない人を、
馬鹿にしたり、避難したりする方も有るかも知れませんが、
相手と自分の立場がほぼ同じで、年齢や立場、
障害の有る体か、そうで無いか、それらを考えてみて、
例え相手に少しぐらいの落ち度があったり、能力が劣っていると感じたりしても、
内的、外敵立場がかなり違っている場合は、無暗に相手を、
貶める様な言動は、取らない方が良いでしょう。
また、近くで誰かが誰かを非難しているとして、
その様な差を理解できたならば、非難している相手に、説明する、
あるいは、相手を制止させるなど、抑制的行動に、
出られたらと私は思います。
例えば、われわれ目の見えない世界でも、弱視の方が、
文字が書けなくなる順盲になったり、その後、全盲になったりすると、
やはり、今までできていたことができなくなったり、明るさが減退したり、
やや元気が無くなったり、性格さへも多少は変わってきます。
そうですね、先行き科学が発達して、全盲だった方が、
順盲になったり、弱視まで回復したら、おそらく、
周りのその人を知る方は、引っ繰り返るぐらいにビックリするでしょうね。
そして、その時初めて全く目が見えないと言うのは、
仕事上も、プライベートも、一般の方と比べて、
信じられないぐらいに不利なんだと、はっきりと判るのでしょう。
ここまでの例は、目が見えない人でのことですが、
家庭環境、両親が早くに亡くなられている方、
シングルマザー、シングルファーザーの家庭とか、
経済的にかなり困窮した家庭、親が問題の有る方、
その様な原因による、幸せの度合いの違いから来る虐めに関しても、
われわれは、できるだけ注意しなければと、思ったりもします。
今日は、その様なことを思った一日でありました。