戦国武将、石川弾正の菩提寺長泉寺にて
百目木城向い館
豪商渡辺家が招いた歌川広重の絵
昨日は岩代公民館の市民講座受講してきました。
仕事で何回も通った地域、何かゆかりがありそうと思っていても
現地を見たことはありません。
地元生まれの教師を務めた方が50年にわたる研究の成果をみせて
もらいました。
わたしの疑問もすっかり消えてしまいました。
どこから来たのか、なぜにあれこれ態度が急変したのか
などなど「どうする石川弾正」、それも領民とともに
生き延びるための戦略との解釈になるほどと思いました。
大河ドラマの中の真田幸村に通じるとおもいました。
最後に宮森城も見たので、来年は四方松、小浜城などの
ツアー要望してきました。
お城山にいると押しかける城フアンからも
その名前出ます。聞かれても現状わかりません。
場所もわかりづらいところあるのでお願いしてきました。
名目津壇のまゆみが真っ赤、大木でした。
頭の中は真似が出来ずです時間を見つけては
講座を受けに私は天文も疎いですが歴史も疎く
頭の中は空っぽです。パソコンも使いこなせず
スマホも使いこなせず情報が何にも分からずです
世の中取り残されていくばかりです。
今日は立冬とは思いない程の気温です100年ぶり
東京の気温100年前にもあったことに驚きです。
この地は安達藤九郎盛長が治めて
今の安達郡、安達太良の名前が確定されたと言われてます。そのお隣の地区は今まで解りませんでした。
石川弾正は、先日民報新聞に何回か掲載されてました。地元の方が50年かけて研究されてたそうです。
生き残りを図り有力な大名にとりつき生き延びてきたそうです。この地は安達藤九郎でしたが
阿武隈川から東は別な武将が治めていました。
今回受講してやっと疑問が解けました。
ほんと、暖かいですね。
アスパラ菜に花が沢山。
ほうれん草も株も育ち過ぎ。
もう少し寒くても良いと思います。
いろいろなドラマが展開したのでしょう♪
岩代公民館の市民講座受講、有意義な時間を過ごされましたね。
今日は立冬ですが、暖かい日になりました。
伊達政宗についたり離れたり、近隣の
武将との駆け引きの結果ですね。
みな親族、身内で争っているように見えます。
それも皆、生き残りを考えての事だったようです。
現在は同じ市民ですが昔は隣の地区でした。
なので殿様も違いました。
私は長い間仕事のエリアでした。
道路が狭く、これは何かあると思っても
当時はそれほど関心も無く通り過ぎてました。
豪商もいて、歌川広重を招きその絵も残ってます。
当時は町場だった地域でした。