自由に五七五

季語を意識して画像を1枚載せて楽しんで行くつもりです。
川柳もどきになるのはスタートが万流だったから。

油断して雪の細道戻れない

2022年01月28日 | 写真俳句
 霊山神社、南朝と霊山に籠もり闘った北畠公の銅像

蕎麦屋からの帰り道有名な神社があると

そちらへ廻った。ところが雪道。

県道へ通り抜けようと思ったが急に道幅狭くなり

踏み跡も少なくなった。これはヤバいとバックした。

ところが踏み外し、バックもできなくなった。

近くの民家からスコップを借り、車の下の雪を取り除き

なんとかバックして事なきをえた。

それまでは広い道で雪は無かった。これが油断の元。

雪の踏み跡も現地の人は四輪駆動が多い。

私は前輪だけ。何かあると登れなくなる。

それに山陰に降った雪が溶けずに30センチ以上残っていた。

大失敗だった。


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kitaura)
2022-01-28 08:32:48
そうでしたか・・・それでも男性は自力で
出来ますからそれは凄いです。細い道は
地元なら分かる道でもありますね。
北畠公、歴史のわからない私には恥ずかしい
話です。
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Unknown (鮎太)
2022-01-28 09:39:14
危なかったですね。
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Unknown (秩父武甲)
2022-01-28 15:51:53
こんにちは

脱出出来て良かったですね。
当地も雪がたまにしか降らないので、降るとノーマルタイヤの車が多いので、あちこちで立ち往生します。
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Unknown (安のり)
2022-01-28 15:55:20
kitauraさん
 霊山は秋の紅葉で良く行く場所でした。
ただ神社へは行ったことありません。
以下↓ネットから
 霊山は貞観元(859)年に慈覚大師によって開山された。東北における天台宗布教の拠点となり、3,000以上もの堂塔(勤行の場)や僧坊(生活の場)が山中に造られ、「北の比叡山」とも言われていたそうだ。その後、南北朝時代に寺院の建築物が城として利用されることになり、その指揮をとったのが戦上手の美青年として名高い北畠顕家(きたばたけあきいえ)。建武4(1337)年に、霊山に国府を置き、北朝勢力に対抗したが貞和3(1347)年、無念にも落城。建物群はすべて焼失してしまったという。

 山頂からは海が見えると言われますが
いつも霞んでハッキリしません。
現在は子供の国、アイスクリームで有名でね。
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Unknown (安のり)
2022-01-28 15:56:40
鮎太さん
 反対側からは何度か登山したことある山です。
その麓は山陰の細い道。進むのは間違いでした。
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Unknown (安のり)
2022-01-28 15:57:59
秩父武甲さん
 この日は新しい福島の道の駅をとも
思いました。ですが雪が深いと聞いて諦めました。
反対側なら良いと思いましたが浅はかでした。
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Unknown (たんと)
2022-01-28 16:34:30
雪道はコワイのですね。
ときどき聞くハナシです♪
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Unknown (安のり)
2022-01-28 19:16:41
たんとさん
 管理された広い道路はまず問題ありません。
問題はそこからの脇道です。
自身無い人は避けるのが無難です。
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