自由に五七五

季語を意識して画像を1枚載せて楽しんで行くつもりです。
川柳もどきになるのはスタートが万流だったから。

秋簾普通は縦に使いけり

2021年08月21日 | 写真俳句
 目高の子

 近くのDIYによく出かける。

ここにはワンコや猫も売っているし、ハムスターもインコもいる。

その一角に金魚やカエル、イモリ、目高を売るコーナーもある。

ちょいとした動物園ではないが大人も子供も楽しめる。

先日までは兜虫も売っていた。ちなみに目高は一匹600円。

 使わなくなった火鉢に目高の子が一〇匹以上は居る。

大きくなっても2センチくらいとか。家内の友人から頂きました。
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持ち込んだ南瓜は一個だけにする

2021年08月20日 | 写真俳句
 今年も南瓜を植えました。

全て収穫していまは車庫。

大きいのが15個ほど、1/3くらいの坊ちゃん南瓜は30個ほど。

とても食べきれません。

なのでそこら中に他の野菜と供に配ります。

畑の脇には水道やトラクターを使わせて貰うから。

その反対側は逃げた犬が猫追いかけて時々迷惑掛けるから。

その他趣味の仲間に、働く仲間に健康体操の仲間に。

言わば南瓜外交です。



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虫すだく緑の中の我が家かな

2021年08月19日 | 写真俳句
 ヤブガラシ
 涼しくなってグランドを一周すると秋の花々。

女郎花、ヤブガラシ、ヒヨドリバナが隠れています。

朝夕は涼しく、湯上がりの肌に気持ち良い風。

道端に草むらから虫の声。

日中は暑いけれど秋を実感です。

日も短くなり晴れたので秋野菜の畑と耕耘機で耕しました。

明日からちょいちょい何かを蒔こうかと思います。

白菜のポットもう芽が出てきました。

三日目かな四日目かな。

そうそう、女郎花は前に載せましたが新たに二カ所咲いている場所

見つけました。
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うすら寒五つも見つけた落ちた蝉

2021年08月18日 | 写真俳句
 
 道端に

 この10日ほど寒かったけれど、今日は普通の今時の気温になりそう。

そして晴れるとか!

長雨だったいままでなのでなんか信じられない気持ち。

1週間の予報に傘マークが消えた。

つまり今日からは晴れか曇り。

昨日の朝散歩で道端に落ちた蝉をなんと五個も見つけた。

ワンコが鼻先でつつくと大暴れ。でも飛ぶ事はない。

そして羽抜鳥ならぬ、白い羽のあと。

これから見ると鷺らしいけれどこんな場所になんの鳥かと思う。

年に一度くらいはこんな場をみる。鳶、鷹に狙われたか。

それとも狐などに襲われたのか、何れ掃除のカラスに

跡形も無くなる。やがて残る羽も風が吹き飛ばしてくれる。
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冷ややかや初めて解るその爆弾

2021年08月17日 | 写真俳句

(毎日新聞福島地方版 8月16日)
 大きな画面は江戸東京博物館の展示品。模型でスケールは1/4程とか。

都合三度ほど見ているがその時の疑問は和紙の産地に触れていないこと。

放流地点の一つは県内の海辺なのに。
 
 この町に住んでいて句会などで爆弾がこの地に落ちた事は事は聴いていた。

町史も読んではいたが簡単に数行のみ。

 3月10日の東京大空襲は海老名香葉子さんから

講演で聴いたことがある。焼夷弾を目的地に円を描くように

投下して、その後円内を場爆撃したとか。死者10万人。

その後8月原爆投下。

 この風船爆弾が放射されたのは1919年11月。

神風特攻隊の攻撃がすべて終わった後。日本軍は既に戦力は無かった。

最後に偏西風使っての風船爆弾に運命を託した。

だが戦果はなにも入ってこない。それもそのはずアメリカは

あることを非常に恐れその情報は米国国民、マスコミに完全に伏せた。

 戦中日本軍は中国で細菌兵器、化学兵器を研究していた。

その部隊は731部隊。戦後あんまり追求する声は無い。

戦勝国米軍はその資料を全部持って行っている。

戦勝国だから当然と言えばそうなるが、その内容から

特殊な取り決めあり追求の声は出てこない。当事者の声もない。

そしてこのコロナによる世界中のパンデミック。

当時のアメリカ国防省、軍はこの事をよく知っていた。

つまり風船爆弾は現地では破裂していない。

なら何のために到着したか、細菌兵器、化学兵器ではないかと

当時の国防省、米軍などは考えたのだろう。

言わば日本からの見境の無い米国への細菌兵器による無差別攻撃。

非常なる危機感でもって、反撃の強い意思のもと

軍は大規模な反撃の空襲を始めのだと思う。

米国国民はそれを知らされていない。

 もっと早く日本軍は降伏するべきだった。

それが無いために20年になってからの戦地での本土での、沖縄での

被害は日本軍自ら招いたとわたしは思う。

江戸博物館 風船爆弾紹介

731部隊 その一部







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