que sera, sera なるようになってるよ~!

2027年W杯に行けることを祈りながら、歌舞伎を楽しむ児太郎さんと隼人さん贔屓の毎日

カブちゃんの所に行った、華ちゃん

2011-11-01 10:21:41 | にゃんこ

実家には、私が97年に帰国後保護した私の猫が2匹いる。この子達も兄妹猫で始めは兄猫のほうだけを保護しようと思っていたんやけど、兄猫を保護した後、妹猫が毎日家の玄関前で待っているのを見て、かわいそうで結局2匹とも保護した。兄妹猫を初めから2匹とも保護しなかったのは、お兄ちゃんは人懐っこくてかわいかったんやけど、妹ちゃんはかわいいけどむっちゃ人見知り。つかまえらへんと思ってたから。でも、お兄ちゃんと離れるのはさみしかったんやろうね、家の前でちょこんと座ってる姿を思い出すと、涙が出てくる。左が華ちゃんで妹ちゃん。右が桃太でお兄ちゃん。

家に入れてからも、それほど私らには慣れることはなく、時々家出をしたりと心配させられることの多い子でした。私が、香港に戻ってからは両親が代わりに面倒を見ていてくれた。なつかへんのでかわいくないとか言いながらも。。。そんな華ちゃんがこの8月の半ばくらいからご飯を食べなくなったと母からの連絡があり、お医者さんに連れて行って血液検査をしたけど、どこも悪くないって。14歳やし、もう老衰ちゃうやろうか、、、ってお母さんが言う。とりあえず、週に1-2回の点滴をしてもらうことにした。点滴をしてもらったら、少しは元気が出てご飯も少し食べる様子で、このまま続けるしかないんかなあと思った、でも、そんな急に衰えるものなんか?もしかしたら、お医者さんの判断が間違ってるかもしれへんと、セカンドオピニオンをとってもらうことにした。mixiの長岡のコミュで結構良い評判のお医者さんに連れて行ってもらう。そこでも結局は同じ結果やった。理由はわかならいとのこと。。。週に何回かの点滴と、おかあさんに流動食を注射器でやってもらう毎日。大変やったと思う。私は、電話であーしてこーしてとしかいえへんし。10月22日の土曜日に私が家に電話して、華ちゃんはその時はまだ2階に上がれるくらい元気と言うてはった。でも、私と電話の後、夕方くらいから、ちょっと元気がなくなり手足が冷たくなったので、おかあさんは、華ちゃんのために手袋を編んであげたらしい。火曜日に電話があって、もう華ちゃんが歩けなくなったので、あかんかもしれへんとのこと。。。土曜日の後の初めての電話で、土曜日にはまだ階段上がってるって言うてて、私はお正月華ちゃんに会いに帰るわって言うてたところやったので、私はちょっと信じられへん思いでいっぱいやった。その日は、もう仕事は手につかへん。そして、10月26日の朝にまた電話があり、様子を聞いて覚悟を決めた。私には、華ちゃんを楽してやってくださいとしか、祈ることが出来ず泣きながら仕事していた。夕方電話があったとき、華ちゃんカブちゃんのとこにいったんや・・・と思いながら出ると、たった今おかあさんの膝の上で、亡くなったわ、、、とおかあさんもおとうさんも泣いていた。会社なので家に帰ってからゆっくり話をしたけど、両親にはお礼の言葉しかない。私は離れてるし仕方ないけど、せめて逝く前に会いたかったな。。。

次の日、私がネットで探した北白川ペット霊園でお葬式をしてもらいました。お骨も真っ白で綺麗やったらしいので、ほんまに老衰やったんやと思う。大人になってからは、人が怖くてほとんど私らの前に出てくることがなかった華ちゃん。私らに保護されて幸せやったかい?今頃は、カブちゃんと仲良くしてるかな??ごめんね、最後そばにいてあげられなくて。。。動物を飼っていると飼っている数だけの別れがある。それは、何回目であったとしても受け入れるのは辛いことです。。。華ちゃん、今は安らかに過ごしていることでしょう。次、家に帰ったときあなたがいないのが悲しいです。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする