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92章解説

2011年02月15日 | ジュズ・アンマ解説

بسم الله الرحمن الرحيم
92章解説

1. 覆われる夜において、
2. 輝く昼において、
3. 男女を創造された御方において(誓う)。
4. あなたがたの努力は、本当に多様(な結末)である。
5. それで施しをなし、主を畏れる者、
6. また至善を実証する者には、
7. われは(至福への道を)容易にしよう。
8. だが強欲で、自惚れている者、
9. 至善を拒否する者には、
10. われは(苦難への道を)容易にするであろう。
11. かれが滅び去ろうとする時、その富はかれに役立たないであろう。
12. 本当に導きはわれにあり、
13. 来世も現世もわれに属する。
14. それでわれは燃え盛る業火に就いてあなたがたに警告した。
15. 最も不幸な者でない限り、誰もそれで焼かれない。
16. それは(真理を)嘘であると言い背き去った者。
17. だが(主のために)忠誠の限りを尽した者は、それから救われ、
18. その富を施し、自分を清める。
19. また誰からも、慈悲の報酬を求めない。
20. 一生懸命に至高者、主の御顔を請うだけである。
21. やがて、かれは(十分に)満足出来るであろう。

 この章は、現世では安易な道、来世では至福を齎す善良な人間の行為について語っています。同時に現世では困難な道、来世では罰を齎す悪い人間の行為についても語っています。

 アッラーはまず、かれのしるしであり、かれの能力と叡智を示す夜と昼においての誓いの言葉で章を始め給いました。

 アッラーはその暗さで昼を覆い、光を払拭する夜において誓い給い、はっきりと見える形で現われ、あらゆるものをその光で照らす昼においても誓い給いました。

 もし、人生すべてが夜だったなら、人々は糧を求めて出かけたり、生活を豊かにすることは出来なかったでしょう。またずっと昼だったなら、人々は疲れを癒す安楽や静けさを得ることはできなかったでしょう。

 またアッラーは被造物である男と女においても誓い給います:「男女を創造された御方において」子孫繁栄と、人類という生き物が続いて行くために女が男の傍に存在していることは、アッラーが存在する強力な根拠です。

そこでアッラーは、五感で感じ取れる昼夜の交代と男女の違いを誓いの言葉として選び給うたわけです。これらの現象を述べつつ、人間の現世における生活が導きに適ったり迷ったりする様子を解説し給うています。このために、誓いの言葉の応答として、「あなたがたの努力は、本当に多様(な結末)である。」つまり、あなたがたの行いは本当にそれぞれ違っており、篤信な者もいれば、不幸者もいるという言葉が述べられています。

 続けてアッラーは、篤信と導きとは何なのか、それらが与える影響とか何かを描写し給います:

 「それで施しをなし、主を畏れる者、また至善を実証する者には、われは(至福への道を)容易にしよう。」

 ここでアッラーは、行為の種類に応じた報いを並べ給うています。つまり次の3つを行う人間:「施しをなし」つまり貧しい人の必要を埋めるためにお金を差し出すことです。「主を畏れ」つまり主を怒らせることから身を避けることです。アッラーが定め給うた限度を保ち、アッラーの命に従い、アッラーが禁じ給うたことを避けることで実現します。「至善を実証する」至善(フスナー)とは、唯一神信仰をはじめとするイスラームの信条です。これら3つが至福への道を容易にしてくれます。そしてアッラーに至福への道を容易にしてもらえた者は確実に幸福を獲得したことを意味します。幸福とは、あらゆる困難や苦しみを伴わない容易な人生の外にありません。

 代わってアッラーは、迷いと不幸の症状とそれらが与える影響が何であるのかを説明し給います:

 「だが強欲で、自惚れている者、至善を拒否する者には、われは(苦難への道を)容易にするであろう。かれが滅び去ろうとする時、その富はかれに役立たないであろう。」

 ここでもアッラーは行いの種類に応じた報いを数え上げ給いますが、それら報いは先述の描写とは全く正反対です。誰でも次の3つの性質を備える者:「強欲で」つまり慈善活動のために手を差し出すことがなく、必要としている貧者のためにお金を浪費しない人のことを言います。「自惚れている者」つまり持っているお金で自足していると思い込んでいる人です。彼の心には弱者や貧者に向けられるべき慈悲がありません。またはアッラーの御許にあるものを放棄したために、善行が鬱陶しくなった人のことを言います。「至善を拒否する者」つまりイスラームの信条とアッラーが命じ給うた善い行いを嘘であるとする者です。以上3つの事柄は困難への道を容易にします。アッラーに道を困難にされた者は、人生のすべてにおいて容易さを見出すことが出来ません。そのため彼は悲惨な不幸者となります。たとえ多くのお金を持っていても、です。「その富はかれに役立たないであろう」富とは、つまりこのケチな人間が集めた金、主を頼りとしなくなった原因の金です。「かれが滅び去ろうとする時」彼が地獄に落ちる、または彼が死ぬ時、です。

 ここでアッラーは、幸福な道を人間に解明し給いました:「本当に導きはわれにあり」つまり、不正から真実を解明し、悪行から善行を解明することはわれの使命である、ということです。またアッラーには諸天と大地のものすべてが属し、それらからお望みの者に与え、お望みの者に禁じ給います。「来世も現世もわれに属する」アッラーの導きを省いて、現世と来世の幸福を望んだ者は、確実に彼の本当の幸せに到達させてくれる道から迷ってしまったということです。ここで、アッラーが「来世」を「ウーラー(第一の)」と名付けた現世の生活よりも前に述べ給うたことは注目するに値するでしょう。これは来世の存在を否定する人たちに対して、来世が存在することと、それが現世に比べてずっと上等であることを強調するためです。

 続けてアッラーは、イスラームを嘘とし、アッラーの導きに背を向ける者を来世で罰が待ち受けているだろうと警告し給います:
 「それでわれは燃え盛る業火に就いてあなたがたに警告した。最も不幸な者でない限り、誰もそれで焼かれない。それは(真理を)嘘であると言い背き去った者。だが(主のために)忠誠の限りを尽した者は、それから救われ、その富を施し、自分を清める。」

 アッラーは仰せになります:人々よ、われは燃え盛る地獄の火について警告した。火に焼かれないよう、現世ではわれに逆らわずに気をつけなさい。「最も不幸な者でない限り、誰もそれで焼かれない。」不信仰者だけが、そこに入り、焼かれるということです。「それは(真理を)嘘であると言い背き去った者。」クルアーンのしるしを嘘とし、それらに背を向ける者です。「だが(主のために)忠誠の限りを尽した者は、それから救われ、」火から遠ざかるということです。「その富を施し、自分を清める。」富を貧者に分け与えるということです。差し出す人はそうすることで罪から清まります。

 最後にアッラーは、全ての行為において高きを目指し、アッラーのためにという気持ちを持つよう人間を諭し給いました。なぜならそれこそがアッラーがお望みになる道だからです:
 「また誰からも、慈悲の報酬を求めない。一生懸命に至高者、主の御顔を請うだけである。やがて、かれは(十分に)満足出来るであろう。」

 至高なるアッラーは、誰からも報酬を貰う意図を持たずに富を配る慈善者を褒め給います。彼は単にアッラーの御尊顔だけのために施すのです。この慈善者が得る報奨は、アッラーが彼に満足し給うことです。これに勝る報奨はありません。またこれこそが、人間が来世で切望するものです。「やがて、かれは(十分に)満足出来るであろう」満足はアッラーから来るものと、人間から来るものがあります。まずアッラーは行いの良い人間に満足し給い、この篤信者はアッラーが彼を満足してくださったこと、そしてアッラーが彼のために置いてくださっている来世における永久に続く至福に満足します。

 これらの節はアブー・バクルに関して啓示されたと言われています。ちょうど彼が、報酬も感謝も求めずにビラールを含む6~7人の奴隷を解放したときです。

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP122~126)