イスラーム勉強会ブログ

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預言者伝22

2011年04月07日 | 預言者伝関連

بسم الله الرحمن الرحيم
71.ユダヤ人に敵意が生まれ始める:
  ユダヤ人たちは、マッカとマディーナの信徒と多神教徒に対し、中立の立場をとっていましたが、徐々に彼らのイスラームに対する敵意が現われ始めました。以前の彼らはイスラームに傾いていた、と言えるかもしれません。なぜなら彼らもイスラーム教徒も皆、いくつかの点で意見を違えていても、預言を信仰し、復活を信仰しているからです。ユダヤ人は、アッラーの本質の唯一性とかれの属性を信じているという点で、イスラーム教徒に最も近い共同体なのです。とはいえ、彼らが隣接した無知な共同体や、追放された歳月を過ごした偶像崇拝の土地から受けた影響が、彼らの信仰を弱めていたのも事実です。

数多に残る根拠すべては、彼らがこのような中立的立場にあったことを示しています。イスラームは彼らの啓典を確証し、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、ユダヤの民から輩出された預言者たちを信仰するよう人々に呼びかけたにもかかわらず。イスラーム教徒は、次のように言います:「皆、アッラーと天使たち、諸啓典と使徒たちを信じる。わたしたちは、使徒たちの誰にも差別をつけない。」(雌牛章285節)ユダヤ人たちもこの節のようであれば、人類の歴史は違う方向に向かって歩んでいたことでしょう。

しかし、
1.ユダヤ人に元来より備わっている妬みと心の狭さ
2.クルアーンが批判した、ユダヤ人が信奉する間違った信条、腐敗した性格、劣悪な習慣
この二つの理由によって、イスラームとユダヤ人の間の問題が絶えることはありませんでした。

アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は、政治指導者として、この難しい状況に立ち向かいました。彼はユダヤ人の怒りと敵対を煽るような行為から遠ざかりながらも、アッラーから預かったメッセージを全ての人々に述べ伝える義務を担っていたため、どのような問題が立ちふさがろうとも、以前の預言者たちが歩んだ道を、彼も歩まねばなりませんでした。これこそが強硬な道であり、政治と預言を隔てるものです。

ユダヤ人の信条、生き方、行儀に反する姿勢は、ユダヤ人たちを刺激し、彼らはイスラームに対する立場を変え、隠れた敵意を向けて来ました。

ユダヤ人の聖職者や学者の何人かがイスラームに改宗すると、ユダヤ人たちのイスラームに対する怒りと憎悪がさらに増しました。彼らの間で一目置かれていたアブドゥッラー・イブン・サラームなどの学者がイスラームに改宗するとは、彼らは想像すらしていなかったのです。

ユダヤ人たちはイスラームに敵対し遠ざかるのみならず、自分達同様、唯一神を崇めるイスラーム教徒たちを差し置いて、多神教の偶像崇拝を良しとする立場を取るようになりました。クライシュの宗教とムハンマド(平安と祝福あれ)が誘う宗教のどちらが優れているかと尋ねられたら、必ずイスラームが偶像崇拝に優ると証明するにもかかわらず、残念ながらイスラームに対する敵意が、彼らから正しい選択を奪いました。

72.キブラ(礼拝時に向かう方向)変更:
預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)と信徒たちは、エルサレムに向かって礼拝していました。マディーナに移ってから16カ月の間、そのような状態が続きましたが、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は、キブラがマッカに変わることを望んでいました。カアバに深い愛情を寄せるアラブ人ムスリム達も、カアバ以外を神殿と認めず、また、イブラーヒームとイスマーイールのキブラを諦め、違う方向をキブラとすることに違和感を持っていたため、キブラがカアバに変えられることを待ちわびていました。キブラがエルサレムとされることは信徒たちにとって試練でしたが、「聞き、従います」という信徒としての振る舞いに徹していました。また、「私たちは信仰します。すべては我が主から与えられる。」と言い、アッラーの使徒に従い、アッラーの命を守ることだけに専念していました。

アッラーの命令に従い篤信であるかどうか、アッラーが信徒たちの心をお試しになった後、アッラーはアッラーの使徒(平安と祝福あれ)と信徒たちを、カアバの方向に向けさせ給いました:
「われがあなたがたの守っていたものに対し、この方向〔キブラ〕を定めたのは、只、踵を返す者と使徒に従う者とを見分けるためである。これは容易ではない事であるが、アッラーが導かれる者にとっては何でもない。」(雌牛章143節)

そして信徒たちはアッラーとその使徒に従い、カアバへのキブラ変更を受け入れました。

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P204~209)