105.女性信徒たちのアッラーの使徒(平安と祝福あれ)に対する敬愛の深さ:
そして信徒たちはマディーナへと戻っていき、その途中、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)と共に負傷した夫と兄弟と父親(後に殉教)を持つディーナール家の女性のもとに立ち寄りました。彼女に夫、兄弟、父親の殉教の知らせが伝えられるとその女性はすぐさま問いました:アッラーの使徒(平安と祝福あれ)さまのご容態はいかがですか?と。皆は答えました。:あなたの望んでいる通り、彼はご無事でおられますよ。女性はさらに問いました:私に彼を一目見させてください。彼女がその目で彼(平安と祝福あれ)が無事であるのを確かめると、「どんな試練もあなたさまに比べたら重くはありません」と言いました。
106.敵の後を追う信徒たちと、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)の、勝利を求めての敵との戦い:
多神教徒たちはお互いを責め合い、言いました:「おまえらは結局何も成し遂げられなかったではないか。敵の最強なやつらをとらえたのに放置してしまって殺さなさなかった。」その後、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は敵との戦いをお命じになったのでした。
代わって信徒たちはというと、全員が傷を負って消耗しきっていました。ウフドの戦いが終わった翌日に、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)の呼びかけ人が、次のように人々に呼びかけました:敵との戦いのため、出てきなさい。昨日の戦いに出た者は全員参加すること、と。信徒たちは大怪我をし重傷を負っていましたが、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)と共に出陣し、その命令に反する者は一人もいませんした。人々は歩いて行き、マディーナから8マイル(約20km)離れた『ハムラーゥ・ル・アサド』で月曜、火曜、水曜を過ごし、そしてマディーナに帰還しました。アッラーはこの行いを褒め給い、クルアーンの中で述べ給うことで永久に語り継がれる話とし給いました:
「痛手が彼らを襲った後でアッラーと使徒に応えた者たち、彼らのうち善を尽くし、畏れ身を守った者たちには大いなる報酬がある。人々が彼らに向かって「まことに人々がおまえたちに対して結集した。それゆえ彼らを恐れよ」と言うと、それは彼らの信仰を増し加え、「われらにはアッラーで十分。なんと良き代理人か。」と言った者。そこで彼らはアッラーからの恩寵と御恵みと共にひきあげ、災難は彼らを襲わず、彼らはアッラーの御満悦を追い求めた。アッラーは大いなる御恵みの持ち主。それは悪魔にほかならず、自分の(被)後見たちのことを恐れさせる。それゆえ彼らを恐れず、われを恐れよ。もしおまえたちが信仰者であるなら。」(クルアーン3章172~175章)
ウフドの戦いで亡くなった信徒の数は70名、その多くはアンサールでした。彼らにアッラーが御満足し給いますように。多神教徒で死んだ者の数は22名でした。
107.信徒たちの心の教育:
ウフドで起きたことは信徒たちにとって試練であり、またアッラーからの教育を受ける機会でもありました。勝利の幸福の中だけに生きてきて、一度も試練や損失の苦さを味わったことのない集団に信頼性などありえません。もしある日、事が起きた時には、きっとその重大さに捉えられ、信仰心は揺さぶられてしまうことでしょう。そのためもあってアッラーは次のように仰せになりました:
「…そこで彼(アッラー)は悲観につぐ悲観でおまえたちに報い給うた。おまえたちが失ったものにも、おまえたちを襲ったことにも悲しまないようにと。そしてアッラーはおまえたちのなすことに通暁し給う御方。」(3章153節)
またアッラーはこの戦いにおいてアッラーの使徒(平安と祝福あれ)の殉教や、イスラームの信仰を守り抜くように、というメッセージなどを信徒たちの心が受け入れるための準備をし給いました。そうすることで信徒たちが臆病にならず、弱弱しくならず、卑しめられないためです。アッラーは仰せになっています:
「そしてムハンマドは一人の使徒にすぎず、かつて彼以前にも使徒たちが逝った。それなのに、もし彼が死ぬか、殺されるかしたら、おまえたちは踵(きびす)を返すのか。そして踵を返す者がいたとしても、アッラーをわずかにも害することはない。いずれアッラーは感謝する者たちに報い給う。」(3章144節)
(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P240~242)