イスラーム勉強会ブログ

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預言者伝32

2012年03月27日 | 預言者伝関連

108.自分よりも尊い存在:
  ヒジュラ暦3年、『アドル』と『アル=カーッラ』家の人々が、イスラームを教えてくれる教師たちを派遣して欲しいと依頼したのに応じた預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、アースィム・イブン・サービト、フバイブ・イブン・アディ、ザイド・イブン・アッ=ダスィナを含めた教友6名を送りました。『アッ=ラジーゥ(マッカとアサファーンの間に位置する)』に到着すると、教えを請うたはずの人々が信徒らを欺き、次のように言いました:あなたがたを殺めないと誓約しましょう。しかし6名の内の一部が、多神教徒などから誓約も契約も受け入れない、と拒否しました。拒否した人たちは死ぬまで戦い、上記のフバイブとザイド、そしてアブドゥッラー・イブン・ターリクは降参したため、多神教徒らは彼らを捕虜としました。アブドゥッラーは道中で殺され、フバイブとザイドはクライシュに売り渡されてしまいました。フバイブはフジャイル・イブン・アビー・イハーブという男に、父親の代わりに復讐するために買われ、ザイドはサフワーン・イブン・ウマイヤという男に、父親であるウマイヤ・イブン・ハラフの代わりに復讐するために買われました。
  まず彼らはザイドを殺そうと彼を聖域から追い出しました。そこにクライシュの数人が集まって来て、中にいたアブー・スフヤーンがザイドに話しかけました:おいザイド!アッラーにかけてたずねよう。今、わしたちに囲まれたお前の立場にムハンマドがおり、お前は自分の家族と一緒に家に居ることを、お前は好むか?ザイドは答えました:私は自分の家族と居て、今ムハンマド様がおられる場所で、彼に棘一つ刺さることすら私は好みません。

これを聞いたアブー・スフヤーンは言いました:ムハンマドの友がムハンマドを愛するように他人を愛する人々をわしは見たことがない。このように言った後、アブー・スフヤーンは、ザイドを殺してしまいました。
  代わってフバイブは、十字架にかけられるために連れて来られると、2ラカアの礼拝をさせてもらえないか、と言いました。人々が許可すると、フバイブは丁寧に2ラクアの礼拝を済ませ、人々の方を向くとこう言いました:アッラーにかけて。あなたがたが、私が恐怖のために礼拝を長引かせているのだろうと思わなければ、私はきっと、さらに長く礼拝をしましたのに。

109.マウーナの井戸:
  アーミル・イブン・マーリクによる、彼の民にイスラームを教えてほしいという依頼に応じた預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、教友の数人を送りました。善良な70名の信徒はビイル・マウーナ(地名)まで進んだのですが、そこにサリーム族の『ウサイヤ』、『リイル』、『ザクワーン』3家が現われて、彼らを取り囲んでしまいました。2集団は戦い合い、カアブ・イブン・ザイドだけが生き残りました。彼は堀の戦いで殉教するまで生きたと言われています。

110.殺された者の一言が殺した者の改宗のきっかけとなる:
  この戦いで、ジャッバール・イブン・サルマー(当時、多神教徒)によって、ハラーム・イブン・マルハーン(ムスリム)が殺されました。ハラームが死ぬ間際に言い放った言葉が、実は後のジャッバールのイスラームへの改宗のきっかけとなっています。ジャッバールは言いました:私がイスラームに惹かれた理由の一つが、あるムスリムの両肩の間を弓で刺して、その先が彼の胸から出ているのを私が見ているときに、彼が言った言葉です:カアバの主にかけて!私は勝ちました!と。私は心の中で、彼は何に勝ったのだろうか?!私は彼を殺したはずなのに?と思いました。後になって、あの人が言った言葉について尋ねてみたところ、殉教したからだ、と教えてもらいました。彼はアッラーにかけて、勝ったのです。…以上がジャッバールの改宗の理由です。

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P242~244)