3.『そして―われらの主の栄光こそ高められよ―彼は伴侶を娶らず、子供も持ち給わない』。
4.『そしてわれらの愚か者はアッラーについて途方もないことを語っていた』。
5.『またわれらは、人間も幽精もアッラーについて嘘を語ることは決してない、と思っていた』。
6.『そして人間の男たちの中には幽精の男たちに守護を求める者がいた。そして、彼ら(人間の男たち)に不遜を増大させた』。
7.『また彼ら(人間)は、お前たち(幽精)が考えたように、アッラーは誰も甦らせ給わいはしないと考えた』。
8.『そしてわれらは天を求めたが、それが厳しい護衛(天使)と輝く流星で一杯であることを見出した』。
9.『またわれらは聴くためにその(天の)座所に座っていた。それで今、聞こうとする者は、そこに見張りの流星を見出すだろう』。
10.『また地にある者(人間)に悪が望まれたのか、それとも彼らの主は彼らに正導を望み給うたのか、われらにはわからない』。
11.『またわれらの中には正しい者たちもあれば、そうでない者もあり、われらはばらばらの違った路々にあった』。
12.『またわれらは地においてアッラーを頓挫させる(出し抜く)ことはならず、(地から天に)逃げて彼を頓挫させることもできないと考えた』。
13.『そしてわれらは導き(クルアーン)を聞くや、それを信じた。己の主を信じる者があれば、そうすれば(前項の報酬の)削減も不当(な重罰)も恐れることはない』。
ジンたちは、「われらの主の栄光こそ高められよ」つまりわれらの主の王権、権力、能力、偉大さは至高である、と言いました。「彼は伴侶を娶らず、子供も持ち給わない」妻を娶らないので、彼には子供もいないということです。「そしてわれらの愚か者はアッラーについて途方もないことを語っていた」ジンの愚か者とは、アッラーについて嘘、つまり彼には妻と子供がいるという嘘を言っていたイブリースです。
続いてジンたちが、自分らの中にあった間違った思い込みを残念がります:
「またわれらは、人間も幽精もアッラーについて嘘を語ることは決してない、と思っていた」
彼らは、人間であってもジンであっても誰もアッラーに関して嘘を付くことなどないと考えていたということです。クルアーンを聴いたときに、イブリースが嘘つきであることを確信したので、彼らはイブリースをサフィーフ=愚か者と名付けました。
続いてクルアーンは、人間がジンに加護を求めることが迷いであり間違いであることを解明します:
「そして人間の男たちの中には幽精の男たちに守護を求める者がいた。そして、彼ら(人間の男たち)に不遜を増大させた」
イスラーム以前の時代、枯れ谷で野宿するなど、そこに留まらなければならない人は、大声で:この谷の強者よ!私はあなたに服従することに対して愚かでいる者たちからの加護をあなたに求める!と叫んでいました。谷にいる大きなジンへの呼びかけが自分を守ってくれると考えていたのです。「そして、彼ら(人間の男たち)に不遜を増大させた」つまり人間にはジンに対するこのような行為のために不遜が増えた、または、ジンがジンに加護を求める人間をさらに迷わせた、または恐れさせた、または、罪を増加させた、という意味になります。
続いてクルアーンは、ジンが持っていた間違った信仰を解明します:
「また彼ら(人間)は、お前たち(幽精)が考えたように、アッラーは誰も(バアス=1.甦る2.人を送る)甦らせ給わいはしないと考えた」
つまり:不信仰なクライシュの者たちよ、ジンたちはお前たちが考えていたように、アッラーは被造物たちに彼の唯一性を説く使徒を送ることはないと考えていた。または清算のために死から生の状態に人間を戻すこととも言われます。
またクルアーンは、ジンが人間に関する見えない情報を知ることはなく、魔術師や占い師や魔法使いがジンを介して不可視界の情報を得ているとの主張は嘘であることを解明します。以上によってイスラームはその追従者たちを迷信や幻想から解放し、当時一般化していたすべての事柄に制限を設けました。
「そしてわれらは天を求めたが、それが厳しい護衛(天使)と輝く流星で一杯であることを見出した。 その(天の)座所に座っていた。それで今、聞こうとする者は、そこに見張りの流星を見出すだろう。」
アッラーはジンの言葉について仰せになっています:「そしてわれらは天を求めたが」つまり、天の情報を求め、そしてそこに触れることを求めたということです。「それが厳しい護衛(天使)で一杯であることを見出した」われらは天使の強い護衛によって盗み聞きから守られているのを見つけたという意味です。「輝く流星」盗み聞きする者たちを追います。「その(天の)座所に座っていた」これ以前は、われらは護衛や流星のない場所の天に座っていたという意味です。「それで今、聞こうとする者は、そこに見張りの流星を見出すだろう」だが今盗み聞きを試そうとする者は、そのためにあらかじめ準備された流星が待ち構えているのを見出すだろう、流星は彼を追い、捕えて、天の情報を得ることから遮るだろう、という意味です。つまりジンたちは預言者ムハンマド(祝福と平安あれ)が送られてくるまでは、天の情報から自分たちが必要としているものを得ていたけれども、その後はジンたちにはそう出来なくなったということです。
またクルアーンは、ジンたちが不可視界について無知あると認識していることを述べ、そして彼らの信仰について解明します:
「また地にある者(人間)に悪が望まれたのか、それとも彼らの主は彼らに正導を望み給うたのか、われらにはわからない。またわれらの中には正しい者たちもあれば、そうでない者もあり、われらはばらばらの違った路々にあった。」
われらジンの衆は、アッラーが、われらが天から知らせを盗み聞きすることを禁じることで大地の民に罰を望み給うたのか、それとも彼らの中から使徒を送って彼らに善を望み給うのかわからない、という意味です。「またわれらの中には正しい者たちもあれば」彼らはムスリムで、アッラーに従います。「そうでない者もあり」われらの中には善良さが完全ではない、もしくは善良さがない者がいる、ということです。「われらはばらばらの違った路々にあった」路が違うとは、主義が違うということで、われらはさまざまな学派は宗派に分かれており、中には信仰ある者もいれば、不信仰な者もいる、という意味です。
またクルアーンは、ジンがアッラーの壮大な御力と完全な権力を認めていることを述べます:
「またわれらは地においてアッラーを頓挫させる(出し抜く)ことはならず、(地から天に)逃げて彼を頓挫させることもできないと考えた」
ここでの「考えた」は:確実に知っていることを指します。つまり、彼らは地においてアッラーを出し抜くことは不可能であることを知り、確信した、という意味です。同様に、アッラーが彼らを罰しようとするときには彼から逃げることは出来ませんし、彼は彼らがどこにいようとも彼らを捕え給います。
続いてクルアーンは、ジンたちがクルアーンを聞いたときについて描写します:
「そしてわれらは導き(クルアーン)を聞くや、それを信じた。己の主を信じる者があれば、そうすれば(善行の報酬の)削減も不当(な重罰)も恐れることはない」
ジンたちはクルアーンを聞くと、それを「導き」と名付けました。なぜならそれが彼らの心を真実へと導く光だからです。彼らがクルアーンを聞いたとき、それがアッラーからのものであると信じ、認めました。誰でも己の主を信じる者は、恐れることも「削減」もない。つまり報酬における己が得る権利が減らされてふさわしいものより少なく与えられることを指します。また「不当もない」つまり不正や悪行などからくる罪です。ここでは、信仰の道を取ることで精神が安心でき、憧れるアッラーの公正さが解明されます。
参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP93~96)
4.『そしてわれらの愚か者はアッラーについて途方もないことを語っていた』。
5.『またわれらは、人間も幽精もアッラーについて嘘を語ることは決してない、と思っていた』。
6.『そして人間の男たちの中には幽精の男たちに守護を求める者がいた。そして、彼ら(人間の男たち)に不遜を増大させた』。
7.『また彼ら(人間)は、お前たち(幽精)が考えたように、アッラーは誰も甦らせ給わいはしないと考えた』。
8.『そしてわれらは天を求めたが、それが厳しい護衛(天使)と輝く流星で一杯であることを見出した』。
9.『またわれらは聴くためにその(天の)座所に座っていた。それで今、聞こうとする者は、そこに見張りの流星を見出すだろう』。
10.『また地にある者(人間)に悪が望まれたのか、それとも彼らの主は彼らに正導を望み給うたのか、われらにはわからない』。
11.『またわれらの中には正しい者たちもあれば、そうでない者もあり、われらはばらばらの違った路々にあった』。
12.『またわれらは地においてアッラーを頓挫させる(出し抜く)ことはならず、(地から天に)逃げて彼を頓挫させることもできないと考えた』。
13.『そしてわれらは導き(クルアーン)を聞くや、それを信じた。己の主を信じる者があれば、そうすれば(前項の報酬の)削減も不当(な重罰)も恐れることはない』。
ジンたちは、「われらの主の栄光こそ高められよ」つまりわれらの主の王権、権力、能力、偉大さは至高である、と言いました。「彼は伴侶を娶らず、子供も持ち給わない」妻を娶らないので、彼には子供もいないということです。「そしてわれらの愚か者はアッラーについて途方もないことを語っていた」ジンの愚か者とは、アッラーについて嘘、つまり彼には妻と子供がいるという嘘を言っていたイブリースです。
続いてジンたちが、自分らの中にあった間違った思い込みを残念がります:
「またわれらは、人間も幽精もアッラーについて嘘を語ることは決してない、と思っていた」
彼らは、人間であってもジンであっても誰もアッラーに関して嘘を付くことなどないと考えていたということです。クルアーンを聴いたときに、イブリースが嘘つきであることを確信したので、彼らはイブリースをサフィーフ=愚か者と名付けました。
続いてクルアーンは、人間がジンに加護を求めることが迷いであり間違いであることを解明します:
「そして人間の男たちの中には幽精の男たちに守護を求める者がいた。そして、彼ら(人間の男たち)に不遜を増大させた」
イスラーム以前の時代、枯れ谷で野宿するなど、そこに留まらなければならない人は、大声で:この谷の強者よ!私はあなたに服従することに対して愚かでいる者たちからの加護をあなたに求める!と叫んでいました。谷にいる大きなジンへの呼びかけが自分を守ってくれると考えていたのです。「そして、彼ら(人間の男たち)に不遜を増大させた」つまり人間にはジンに対するこのような行為のために不遜が増えた、または、ジンがジンに加護を求める人間をさらに迷わせた、または恐れさせた、または、罪を増加させた、という意味になります。
続いてクルアーンは、ジンが持っていた間違った信仰を解明します:
「また彼ら(人間)は、お前たち(幽精)が考えたように、アッラーは誰も(バアス=1.甦る2.人を送る)甦らせ給わいはしないと考えた」
つまり:不信仰なクライシュの者たちよ、ジンたちはお前たちが考えていたように、アッラーは被造物たちに彼の唯一性を説く使徒を送ることはないと考えていた。または清算のために死から生の状態に人間を戻すこととも言われます。
またクルアーンは、ジンが人間に関する見えない情報を知ることはなく、魔術師や占い師や魔法使いがジンを介して不可視界の情報を得ているとの主張は嘘であることを解明します。以上によってイスラームはその追従者たちを迷信や幻想から解放し、当時一般化していたすべての事柄に制限を設けました。
「そしてわれらは天を求めたが、それが厳しい護衛(天使)と輝く流星で一杯であることを見出した。 その(天の)座所に座っていた。それで今、聞こうとする者は、そこに見張りの流星を見出すだろう。」
アッラーはジンの言葉について仰せになっています:「そしてわれらは天を求めたが」つまり、天の情報を求め、そしてそこに触れることを求めたということです。「それが厳しい護衛(天使)で一杯であることを見出した」われらは天使の強い護衛によって盗み聞きから守られているのを見つけたという意味です。「輝く流星」盗み聞きする者たちを追います。「その(天の)座所に座っていた」これ以前は、われらは護衛や流星のない場所の天に座っていたという意味です。「それで今、聞こうとする者は、そこに見張りの流星を見出すだろう」だが今盗み聞きを試そうとする者は、そのためにあらかじめ準備された流星が待ち構えているのを見出すだろう、流星は彼を追い、捕えて、天の情報を得ることから遮るだろう、という意味です。つまりジンたちは預言者ムハンマド(祝福と平安あれ)が送られてくるまでは、天の情報から自分たちが必要としているものを得ていたけれども、その後はジンたちにはそう出来なくなったということです。
またクルアーンは、ジンたちが不可視界について無知あると認識していることを述べ、そして彼らの信仰について解明します:
「また地にある者(人間)に悪が望まれたのか、それとも彼らの主は彼らに正導を望み給うたのか、われらにはわからない。またわれらの中には正しい者たちもあれば、そうでない者もあり、われらはばらばらの違った路々にあった。」
われらジンの衆は、アッラーが、われらが天から知らせを盗み聞きすることを禁じることで大地の民に罰を望み給うたのか、それとも彼らの中から使徒を送って彼らに善を望み給うのかわからない、という意味です。「またわれらの中には正しい者たちもあれば」彼らはムスリムで、アッラーに従います。「そうでない者もあり」われらの中には善良さが完全ではない、もしくは善良さがない者がいる、ということです。「われらはばらばらの違った路々にあった」路が違うとは、主義が違うということで、われらはさまざまな学派は宗派に分かれており、中には信仰ある者もいれば、不信仰な者もいる、という意味です。
またクルアーンは、ジンがアッラーの壮大な御力と完全な権力を認めていることを述べます:
「またわれらは地においてアッラーを頓挫させる(出し抜く)ことはならず、(地から天に)逃げて彼を頓挫させることもできないと考えた」
ここでの「考えた」は:確実に知っていることを指します。つまり、彼らは地においてアッラーを出し抜くことは不可能であることを知り、確信した、という意味です。同様に、アッラーが彼らを罰しようとするときには彼から逃げることは出来ませんし、彼は彼らがどこにいようとも彼らを捕え給います。
続いてクルアーンは、ジンたちがクルアーンを聞いたときについて描写します:
「そしてわれらは導き(クルアーン)を聞くや、それを信じた。己の主を信じる者があれば、そうすれば(善行の報酬の)削減も不当(な重罰)も恐れることはない」
ジンたちはクルアーンを聞くと、それを「導き」と名付けました。なぜならそれが彼らの心を真実へと導く光だからです。彼らがクルアーンを聞いたとき、それがアッラーからのものであると信じ、認めました。誰でも己の主を信じる者は、恐れることも「削減」もない。つまり報酬における己が得る権利が減らされてふさわしいものより少なく与えられることを指します。また「不当もない」つまり不正や悪行などからくる罪です。ここでは、信仰の道を取ることで精神が安心でき、憧れるアッラーの公正さが解明されます。
参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP93~96)