19.そこで、己の記録簿を右手に渡される者については、彼(その者)は言う、「さあ、あなたたち、私の帳簿を読んでくれ」。
20.「まことに、私は己の清算に出会うと考えていた」。
21.それで彼は満悦の生活にある。
22.高い楽園の中で。
23.その果物は手近にある。
24.「喜んで食べ、飲むがよい。過ぎ去った日々におまえたちが前もってなしたことゆえに」。
25.だが、己の記録簿を左手に渡される者については、彼(その者)は言う、「ああ、私の帳簿が私に渡されなければ良かったのに」、
26.「そして、私の清算がどんなものかを知らなければ(良かったのに)」。
27.「ああ、それ(現世での死)が終結であったなら良かったのに」。
28.「私の財産は私に役立たなかった」。
29.「私から私の権威は消滅した」。
審判の日になると、人々は2集団に分かれます:無罪な人たちと、有罪な人たち。クルアーンはまず無罪な人たちに起こることについて言及します:
「そこで、己の記録簿を右手に渡される者については、彼(その者)は言う、「さあ、あなたたち、私の帳簿を読んでくれ」。「まことに、私は己の清算に出会うと考えていた」。」
信仰者は己の帳簿―つまり己の行いが記されたもの―を右手で受け取ります。この帳簿こそが彼が楽園に入るのを相応しくする『証明書』なのです。そのため受け取る者は喜びでいっぱいになるので、思わず回りにいる人たちに、「さあ、あなたたち、私の帳簿を読んでくれ」と言います。つまり、主の御満足に適った私の行いが記録されたこの帳簿を読んでくれ、ということです。「まことに、私は己の清算に出会うと考えていた」現世にいたときにアッラーが来世で私を清算し給うことを確信していた、という意味です。
続いてクルアーンはこの信仰者の来世がどのようなものかを描写します:
「それで彼は満悦の生活にある。高い楽園の中で。その果物は手近にある。「喜んで食べ、飲むがよい。過ぎ去った日々におまえたちが前もってなしたことゆえに」。」
信仰者はアッラーから報奨を得る楽園での生活に満足します。また彼は、「高い楽園の中で」す。つまり視覚的にそれは高い場所にあり、抽象的にも位の高いものだと言えます。「その果物は手近にある」楽園内の果物はそれをもぎ取ろうとする人の手から近い場所にあります。そこで彼らに声が掛けられます:「喜んで食べ、飲むがよい」と。「過ぎ去った日々におまえたちが前もってなしたことゆえに」アッラーからおまえたちへの報奨として。そしておまえたちが己の来世のために現世で成してきた行いに対する褒美として。
続いて、クルアーンは来世では不幸者となる人たちの生活を解明します:
「だが、己の記録簿を左手に渡される者については、彼(その者)は言う、「ああ、私の帳簿が私に渡されなければ良かったのに」、「そして、私の清算がどんなものかを知らなければ(良かったのに)」。「ああ、それ(現世での死)が終結であったなら良かったのに」。「私の財産は私に役立たなかった」。「私から私の権威は消滅した」。」
不幸者は己の行いが記録された帳簿を左手で受け取ります。それこそは災難と悪い結末の知らせです。その瞬間、清算を不利にする醜い行いが記された帳簿が渡されなければ良かったのにと熱望します。「ああ、それ(現世での死)が終結であったなら良かったのに」つまり現世で経験した死が己にとって最終の結末であれば良かったのに、そうであれば生きて甦らされることなんてなかったのにと熱望します。「私の財産は私に役立たなかった」つまり彼の財産は何も彼を罰から守ってくれなかった。「私から私の権威は消滅した」つまり来世に清算なんてないんだという彼の現世での主張、または他人に対して持っていた権力は消え、もう彼には力となる人も援助者もいないということです。
20.「まことに、私は己の清算に出会うと考えていた」。
21.それで彼は満悦の生活にある。
22.高い楽園の中で。
23.その果物は手近にある。
24.「喜んで食べ、飲むがよい。過ぎ去った日々におまえたちが前もってなしたことゆえに」。
25.だが、己の記録簿を左手に渡される者については、彼(その者)は言う、「ああ、私の帳簿が私に渡されなければ良かったのに」、
26.「そして、私の清算がどんなものかを知らなければ(良かったのに)」。
27.「ああ、それ(現世での死)が終結であったなら良かったのに」。
28.「私の財産は私に役立たなかった」。
29.「私から私の権威は消滅した」。
審判の日になると、人々は2集団に分かれます:無罪な人たちと、有罪な人たち。クルアーンはまず無罪な人たちに起こることについて言及します:
「そこで、己の記録簿を右手に渡される者については、彼(その者)は言う、「さあ、あなたたち、私の帳簿を読んでくれ」。「まことに、私は己の清算に出会うと考えていた」。」
信仰者は己の帳簿―つまり己の行いが記されたもの―を右手で受け取ります。この帳簿こそが彼が楽園に入るのを相応しくする『証明書』なのです。そのため受け取る者は喜びでいっぱいになるので、思わず回りにいる人たちに、「さあ、あなたたち、私の帳簿を読んでくれ」と言います。つまり、主の御満足に適った私の行いが記録されたこの帳簿を読んでくれ、ということです。「まことに、私は己の清算に出会うと考えていた」現世にいたときにアッラーが来世で私を清算し給うことを確信していた、という意味です。
続いてクルアーンはこの信仰者の来世がどのようなものかを描写します:
「それで彼は満悦の生活にある。高い楽園の中で。その果物は手近にある。「喜んで食べ、飲むがよい。過ぎ去った日々におまえたちが前もってなしたことゆえに」。」
信仰者はアッラーから報奨を得る楽園での生活に満足します。また彼は、「高い楽園の中で」す。つまり視覚的にそれは高い場所にあり、抽象的にも位の高いものだと言えます。「その果物は手近にある」楽園内の果物はそれをもぎ取ろうとする人の手から近い場所にあります。そこで彼らに声が掛けられます:「喜んで食べ、飲むがよい」と。「過ぎ去った日々におまえたちが前もってなしたことゆえに」アッラーからおまえたちへの報奨として。そしておまえたちが己の来世のために現世で成してきた行いに対する褒美として。
続いて、クルアーンは来世では不幸者となる人たちの生活を解明します:
「だが、己の記録簿を左手に渡される者については、彼(その者)は言う、「ああ、私の帳簿が私に渡されなければ良かったのに」、「そして、私の清算がどんなものかを知らなければ(良かったのに)」。「ああ、それ(現世での死)が終結であったなら良かったのに」。「私の財産は私に役立たなかった」。「私から私の権威は消滅した」。」
不幸者は己の行いが記録された帳簿を左手で受け取ります。それこそは災難と悪い結末の知らせです。その瞬間、清算を不利にする醜い行いが記された帳簿が渡されなければ良かったのにと熱望します。「ああ、それ(現世での死)が終結であったなら良かったのに」つまり現世で経験した死が己にとって最終の結末であれば良かったのに、そうであれば生きて甦らされることなんてなかったのにと熱望します。「私の財産は私に役立たなかった」つまり彼の財産は何も彼を罰から守ってくれなかった。「私から私の権威は消滅した」つまり来世に清算なんてないんだという彼の現世での主張、または他人に対して持っていた権力は消え、もう彼には力となる人も援助者もいないということです。