240.最後の派遣軍:
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はウサーマ・イブン・ザイド・イブン・ハーリサをシャーム地方へ派遣しました。そしてまずアル=バルカーゥとパレスチナの地であるアッ=ダールーンに踏み入るよう命じました。
ウサーマの軍に多くのムハージルーンとアンサールの教友が参加しました。その中で最年長の者はアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)によって送られたウマル・イブン・アル=ハッターブ(アッラーの御満悦あれ)です。彼の病は酷くなるばかりで、ウサーマの率いる軍はアル=ジュルフでテントを張ったままでした。結局、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が亡くなった後、アブーバクルがアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の望みを実現し彼の思いを完遂させるためにウサーマの軍を出発させました。
241.ウサーマ軍派軍への関心:
病に苦しんでいたアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はウサーマを派遣することにおいて人々を待たせました。頭を縛って皆の前に姿を現したアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はミンバルの上に座りました。人々は、ウサーマが任命されたことについて、彼はまだ若く、ムハージルーンとアンサールの集団を率いることが出来るのか、と言っていたところでした。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はアッラーを讃え、彼に相応しい称賛の言葉を述べて、言いました:皆の衆、ウサーマの派遣を実現させなさい。自らの命にかけて誓うが、もし、彼がアミールに任命されたことでおまえたちが何か言うのなら、彼以前の、彼の父親に関して同じことを言ったことになる。彼(ウサーマ)はまことにアミールに相応しく、彼の父親もそれに相応しかった。このように言った後、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は場所を後にしました。これを聞いた人たちは出発の準備にすぐ取りかかりました。代わってアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の痛みは重くなっていきました。ウサーマは軍と共に出発し、アル=ジュルフというマディーナから約5.5kmの地に停留し、残りの人たちが追い付くのを待ちました。
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の容態が良くなかったため、ウサーマはそれ以上進むのを中止し、人々はアッラーがアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に決め給うたことを待ちました。
またアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は病に苦しんでいる時に、かつて彼が許可していたように、これからも使節団の訪問を許可すること、そしてアラブ半島に宗教を二つあるままにしてはいけないと遺言しました。
242.信徒たちのための祈願と、高圧、高慢にならないようにとの注意:
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が痛みを訴えていたある日、数名の信徒がアーイシャの家に集まりました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は彼らの訪問を歓迎し、導きと勝利と成功があるようにと祈願して言いました:おまえたちにアッラーへの畏れの念を持つよう遺言しつつ、アッラーにおまえたちをまもってくださり、後見してくださるよう、祈ろう。まことにわたしは彼から送られたおまえたちのための明白な警告者である。アッラーのしもべと彼の国においてアッラーに対して高慢にならないように。なぜならアッラーはわたしとおまえたちに次のように仰せだからである:「そうした来世の住まい(楽園)、われらはそれを地上で高圧も害悪も望まない者たちのためのものとした。そして(良き)結果は畏れ身を守る者のものである。」(物語章83節)、「火獄には高慢な者たちの住まいがないというのか。」(集団章60節)
243.現世における慎みと余分の金品に対する嫌悪感:
アーイシャは次のように言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はそのせいで亡くなられた病に倒れていたときに次のようにおっしゃいました:「アーイシャよ、金をどうした?」5から7、または8か9(ディーナール)ほどあったのですが、彼はそれらを手のひらで転がして、おっしゃいました:「至高偉大なるアッラーはきっとムハンマドのもとにこれらのようなものがあるとは思い給わないだろう。さあ、施しなさい。」(イマーム・アハマド)
(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P397~398)
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はウサーマ・イブン・ザイド・イブン・ハーリサをシャーム地方へ派遣しました。そしてまずアル=バルカーゥとパレスチナの地であるアッ=ダールーンに踏み入るよう命じました。
ウサーマの軍に多くのムハージルーンとアンサールの教友が参加しました。その中で最年長の者はアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)によって送られたウマル・イブン・アル=ハッターブ(アッラーの御満悦あれ)です。彼の病は酷くなるばかりで、ウサーマの率いる軍はアル=ジュルフでテントを張ったままでした。結局、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が亡くなった後、アブーバクルがアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の望みを実現し彼の思いを完遂させるためにウサーマの軍を出発させました。
241.ウサーマ軍派軍への関心:
病に苦しんでいたアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はウサーマを派遣することにおいて人々を待たせました。頭を縛って皆の前に姿を現したアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はミンバルの上に座りました。人々は、ウサーマが任命されたことについて、彼はまだ若く、ムハージルーンとアンサールの集団を率いることが出来るのか、と言っていたところでした。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はアッラーを讃え、彼に相応しい称賛の言葉を述べて、言いました:皆の衆、ウサーマの派遣を実現させなさい。自らの命にかけて誓うが、もし、彼がアミールに任命されたことでおまえたちが何か言うのなら、彼以前の、彼の父親に関して同じことを言ったことになる。彼(ウサーマ)はまことにアミールに相応しく、彼の父親もそれに相応しかった。このように言った後、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は場所を後にしました。これを聞いた人たちは出発の準備にすぐ取りかかりました。代わってアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の痛みは重くなっていきました。ウサーマは軍と共に出発し、アル=ジュルフというマディーナから約5.5kmの地に停留し、残りの人たちが追い付くのを待ちました。
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の容態が良くなかったため、ウサーマはそれ以上進むのを中止し、人々はアッラーがアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に決め給うたことを待ちました。
またアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は病に苦しんでいる時に、かつて彼が許可していたように、これからも使節団の訪問を許可すること、そしてアラブ半島に宗教を二つあるままにしてはいけないと遺言しました。
242.信徒たちのための祈願と、高圧、高慢にならないようにとの注意:
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が痛みを訴えていたある日、数名の信徒がアーイシャの家に集まりました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は彼らの訪問を歓迎し、導きと勝利と成功があるようにと祈願して言いました:おまえたちにアッラーへの畏れの念を持つよう遺言しつつ、アッラーにおまえたちをまもってくださり、後見してくださるよう、祈ろう。まことにわたしは彼から送られたおまえたちのための明白な警告者である。アッラーのしもべと彼の国においてアッラーに対して高慢にならないように。なぜならアッラーはわたしとおまえたちに次のように仰せだからである:「そうした来世の住まい(楽園)、われらはそれを地上で高圧も害悪も望まない者たちのためのものとした。そして(良き)結果は畏れ身を守る者のものである。」(物語章83節)、「火獄には高慢な者たちの住まいがないというのか。」(集団章60節)
243.現世における慎みと余分の金品に対する嫌悪感:
アーイシャは次のように言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はそのせいで亡くなられた病に倒れていたときに次のようにおっしゃいました:「アーイシャよ、金をどうした?」5から7、または8か9(ディーナール)ほどあったのですが、彼はそれらを手のひらで転がして、おっしゃいました:「至高偉大なるアッラーはきっとムハンマドのもとにこれらのようなものがあるとは思い給わないだろう。さあ、施しなさい。」(イマーム・アハマド)
(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P397~398)