司会:先生、この講義集では、若者たちや悔悟を成した人たちなどから寄せられた質問に答えていかれるとのことでした。今まさに、道標の上にいる人たちでもやはり、欲や罪に負けてしまいがちです。ある人は、己の罪を小さく、大したことはない、と認識しているようです。”これは、消えゆく小さな罪だ、アッラーに赦しを乞えば赦してくださる。それか、礼拝すると同時に、またはていねいにウドゥーをすることで赦される…”などと言っているような感じです。では、私たちはどのようにして、罪を軽視してしまうことから気を付ければ良いのでしょうか?
先生:”悪魔は賢い”と言われます。悪魔は、人間が不信仰になるようささやきます。人間が信仰しているのを見ると、同位者を配置するようささやきます。スンナに倣っているのを見ると、大きな罪を犯すようささやきます。服従しているのを見ると、小さな罪を犯すようささやきます。敬虔であるのを見ると、合法な諸事に入り浸るようささやきます。慎ましくあるのを見ると、最後の一枚、それは、信徒たちに喧嘩を売るようささやきます。不信仰、同位者配置、大きな罪、小さな罪、合法諸事に入り浸る、そして信仰者に喧嘩を売る。確定している事実とは、例えばあなたが広い道を走っているとします。右側に、深い涸れ谷があります。小さな罪とはなんでしょうか?つまり、ハンドルを、1センチ分、右に動かすことです。1センチ動かせば、確実に涸れ谷に行き先が決まります。どんなにハンドルの動きが小さかったとしてもです。しかし、この些細な動かしでも、それは確実に私を涸れ谷に導くのです。では、大きな罪とはなんでしょうか?急にハンドルを、涸れ谷の方向へ90度動かすことです。ここでハディースを紹介しましょう:
《固執する場合、小さな罪とは言わない。》
小さな罪に固執すると、罪は大きくなります。大罪は瞬時にその主を破滅に陥れますが、小さな罪の場合、しばらく後に破滅が訪れます。そのため、信仰者の特徴の一つは、”罪に固執しない”です。根拠は、アッラーの御言葉です:
「醜行をなしたり、わが身に不正をなしたりした時にアッラーを思い出し、己の罪の赦しを乞う者ーーアッラーのほかに罪を赦す御方があろうかーー、知った上でなしたことに留まりはしない者。」(イムラーン家章135節)
大罪を犯さず、飲酒せず、姦淫せず、盗みをしなかったけれど、数え切れない小さな罪があると、それらは集積されて、その持ち主を滅ぼしてしまいます。そのため、教友サハル・イブン・サアド様(アッラーの御満悦あれ)によると、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:《些細な罪に気をつけなさい。》(アル=イマーム・アハマド)
イスラーム世界の問題に目を向けてみると、それぞれの地域で、人殺しをするような人は非常に少ないことが分かります。姦淫、飲酒、窃盗といったものもです。しかし、小さな、些細な罪は多く犯されています。先ほどと同じハディースを引用します:
《些細な罪に気をつけなさい。涸れ谷に集まって、一人が 棒を持ってきて、他の一人も棒を持ってきて、(それらを集めて火をつけて)食べ物を料理したある民のように。まことに、些細な罪は、その主が責任を問われる際に、彼を滅ぼす。》(アル=イマーム・アハマド)
棒一本だけでは、料理できません。しかし、棒が何本か集まると、大きな火を作れます。これこそが、ムスリムたちの問題です。アッラーへの恐れから、大罪は放置したのですが、小さな罪は犯してしまうどころか、固執してしまっています。その結果が、己とアッラーとの間にできた”壁”です。
例えば、電線が切れたとします。この電線一本には多くの家電が繋がっています。冷蔵庫、クーラー、湯沸かし器など…。1mでも1mmでも切れたら、結果は同じです。人間も、己の犯した罪でアッラーとの間に壁が出来て、アッラーから隔離されてしまう場合、盗みでも姦淫でも、陰口でも、アッラーとの間に隔たりが出来てしまったことに変わりはありません。
そのため、些細な罪がもたらす影響は、最終的に大罪がもたらす影響と同じなのです。つまり、アッラーから隔てられる、ということです。ここで一つ言っておきましょう:人間は、数える程度の小さな罪だけで、アッラーから隔離されてしまうものなのでしょうか?もし、隔離されているのなら、小さな罪ではなく、大罪のせいで隔離されているのでは?矯正できる小さな罪のせいで隔離が生まれることなどあるのでしょうか?(と思う方がいるかもしれません。)女性の手に触れて握手をする人もいれば、非合法なものをたくさん見る人もいれば、夜更かしして他人の噂話をする人もいます。そういう人が次のように言うのです:私は姦淫していないし、盗んでもいないし、卑猥なこともしていない。そう言う人に私は言います:あなたがあの夜に行ったことで集積した罪はとても大きいのです、と。
アブーフライラ様(アッラーの御満悦あれ)によると、預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は次のようにおっしゃいました:
《まことにアッラーは、アッラーが満足し給う一言を何気なく言うしもべを、数段も上げてくださる。そして、まことにアッラーは、アッラーの御怒りを買う一言を何気なく言うしもべを、それを理由に、火獄に落とし給う。》(アル=ブハーリー)
先生:”悪魔は賢い”と言われます。悪魔は、人間が不信仰になるようささやきます。人間が信仰しているのを見ると、同位者を配置するようささやきます。スンナに倣っているのを見ると、大きな罪を犯すようささやきます。服従しているのを見ると、小さな罪を犯すようささやきます。敬虔であるのを見ると、合法な諸事に入り浸るようささやきます。慎ましくあるのを見ると、最後の一枚、それは、信徒たちに喧嘩を売るようささやきます。不信仰、同位者配置、大きな罪、小さな罪、合法諸事に入り浸る、そして信仰者に喧嘩を売る。確定している事実とは、例えばあなたが広い道を走っているとします。右側に、深い涸れ谷があります。小さな罪とはなんでしょうか?つまり、ハンドルを、1センチ分、右に動かすことです。1センチ動かせば、確実に涸れ谷に行き先が決まります。どんなにハンドルの動きが小さかったとしてもです。しかし、この些細な動かしでも、それは確実に私を涸れ谷に導くのです。では、大きな罪とはなんでしょうか?急にハンドルを、涸れ谷の方向へ90度動かすことです。ここでハディースを紹介しましょう:
《固執する場合、小さな罪とは言わない。》
小さな罪に固執すると、罪は大きくなります。大罪は瞬時にその主を破滅に陥れますが、小さな罪の場合、しばらく後に破滅が訪れます。そのため、信仰者の特徴の一つは、”罪に固執しない”です。根拠は、アッラーの御言葉です:
「醜行をなしたり、わが身に不正をなしたりした時にアッラーを思い出し、己の罪の赦しを乞う者ーーアッラーのほかに罪を赦す御方があろうかーー、知った上でなしたことに留まりはしない者。」(イムラーン家章135節)
大罪を犯さず、飲酒せず、姦淫せず、盗みをしなかったけれど、数え切れない小さな罪があると、それらは集積されて、その持ち主を滅ぼしてしまいます。そのため、教友サハル・イブン・サアド様(アッラーの御満悦あれ)によると、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:《些細な罪に気をつけなさい。》(アル=イマーム・アハマド)
イスラーム世界の問題に目を向けてみると、それぞれの地域で、人殺しをするような人は非常に少ないことが分かります。姦淫、飲酒、窃盗といったものもです。しかし、小さな、些細な罪は多く犯されています。先ほどと同じハディースを引用します:
《些細な罪に気をつけなさい。涸れ谷に集まって、一人が 棒を持ってきて、他の一人も棒を持ってきて、(それらを集めて火をつけて)食べ物を料理したある民のように。まことに、些細な罪は、その主が責任を問われる際に、彼を滅ぼす。》(アル=イマーム・アハマド)
棒一本だけでは、料理できません。しかし、棒が何本か集まると、大きな火を作れます。これこそが、ムスリムたちの問題です。アッラーへの恐れから、大罪は放置したのですが、小さな罪は犯してしまうどころか、固執してしまっています。その結果が、己とアッラーとの間にできた”壁”です。
例えば、電線が切れたとします。この電線一本には多くの家電が繋がっています。冷蔵庫、クーラー、湯沸かし器など…。1mでも1mmでも切れたら、結果は同じです。人間も、己の犯した罪でアッラーとの間に壁が出来て、アッラーから隔離されてしまう場合、盗みでも姦淫でも、陰口でも、アッラーとの間に隔たりが出来てしまったことに変わりはありません。
そのため、些細な罪がもたらす影響は、最終的に大罪がもたらす影響と同じなのです。つまり、アッラーから隔てられる、ということです。ここで一つ言っておきましょう:人間は、数える程度の小さな罪だけで、アッラーから隔離されてしまうものなのでしょうか?もし、隔離されているのなら、小さな罪ではなく、大罪のせいで隔離されているのでは?矯正できる小さな罪のせいで隔離が生まれることなどあるのでしょうか?(と思う方がいるかもしれません。)女性の手に触れて握手をする人もいれば、非合法なものをたくさん見る人もいれば、夜更かしして他人の噂話をする人もいます。そういう人が次のように言うのです:私は姦淫していないし、盗んでもいないし、卑猥なこともしていない。そう言う人に私は言います:あなたがあの夜に行ったことで集積した罪はとても大きいのです、と。
アブーフライラ様(アッラーの御満悦あれ)によると、預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は次のようにおっしゃいました:
《まことにアッラーは、アッラーが満足し給う一言を何気なく言うしもべを、数段も上げてくださる。そして、まことにアッラーは、アッラーの御怒りを買う一言を何気なく言うしもべを、それを理由に、火獄に落とし給う。》(アル=ブハーリー)
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福岡にはないでしょうか?
奥田
勉強したい旨を伝えれば、教えていただけるはずです。
m_okuda116@hotmail.co.jp
よろしくお願いいたします。