眺める空に描くもの

高齢者女子のおひとりさま暮らしノート

親の恩は親に返す

2024-12-13 19:00:05 | 認知症の介護のお話
今日の空。
あさ空は日の出を見ることができましたが、雲が多くなりそうな気配。



昨日は久しぶりにかかりつけ医の歯科の方を受診。
もちろん、こちらもがん治療病院からの業務命令?で、受診を
しておりまして。がん治療病院にも歯科があって、そちらも受診
しているので、何重にも行かないといけないという気がしますが、
業務命令なので仕方なく。

抗がん剤治療をしていると、口内炎とか、口腔内でのトラブルが
起きやすいということで受診は必須となっているそうです。
とりあえず、私は口腔内はトラブルが起きてはいないので、
「きれいに磨けていますねー」と褒めていただいてひと安心。

友人のお母さまが亡くなって、世界ではじめてという青い胡蝶蘭を
贈ったら、友人のお母さまがお好きな色だったとのことで喜んで
くれました。友人が「もっと親孝行してあげられたのではないか」と
後悔があるとのこと。これは多くの親を見送った人たちの共通する
思いではないかと思います。ただ、どれだけ、十分にやりつくしたと
しても、「もっと違うことができたのではないか?」と思うのが
子の思いではないかと思います。
それくらい、親への恩返しは大きなものだと思っている方が多い。
でも、親の方は少し違う気がします。

きっと、お母さまにとっては、友人が結婚して家庭をつくり、夫婦
仲よく力を合わせて暮らしていることこそが、自分の子育てに対する
安心があり、誇りになっていたはずで、親に心配をかけずに幸せに
暮らしていることこそが、何よりも親孝行だったはずだと。

友人が「とても心が救われた」と言ってくれました。
友人は毎日、離れた土地に住まうお母さまに電話をかけていたそうです。
「その度に母は「あなたの声を聞くと安心して眠れるわ』と言っていた。
そんなたわいもないことでも少しは親孝行できていたのかなと思ったら、
よかった」と。
全く別家庭で忙しく過ごしている日々で、毎日の電話なんて、とても
貴重だし、何よりの親孝行になったはず。
もちろん、お世話になった親が困っていたら、助けるのも親孝行ですが、
親に寄り添う「気持ち」や「思い」を伝えるのも親孝行という気がします。

私は認知症の母を長く介護したので、後悔はあまりありませんが、
途中で辛くなったときは、「親の恩は親に返そう」と、自分を
励ましていました。「親の恩は子に返せ」と言いますが、私は
子供を産めなかったので、親の恩は親に返さなくちゃと思ったのです。

従妹たちは母の介護をしている私の様子を見て「お姉ちゃんはすごい」と
絶賛していました。従妹たちは叔母たちが寝たきりになったとして、
おむつを替えるとか、そんな世話なんて「絶対にしたくない」と言うのです。
母のように機能全廃になると、自分の意志では何もできない。
寝返りひとつできないので、すべてを世話する必要があります。
母の安全に気を遣うから、本当に疲れましたが、世話そのものは、私には
苦ではありませんでした。おそらく、救助犬体質の私は、お世話をする
ことが苦にはならないのです。

精神的に追い詰められた理由は経済的なこと。
想定よりも長くなったのは、私の介護が「優秀だからですよ」なんて、
関係者に褒められていて、私も母が寝たきりでも生きていてくれるだけで
いいというのが本音でした。それでも、長くなるほど、私は自分の
経済的なものが破たんしてしまうという面があり。
在宅で、必死で仕事はしていたけれど、介護が長くなるほど、私は
自分の「この先の暮らし」について悩むことになるわけで。
完全にうつ症状になって、毎日、「死にたい」ということしか考えなくなり、
心療内科を受診したこともありましたが、その心療内科では、
なぜか「呼吸器科」の方に行くように言われてしまい、驚きました。

私は「毎日、朝から晩まで死にたいということばしか頭の中にないので、
なんとかしたい」と相談しているのに、鼻先でちょっと笑って、「死にたい
って・・、あなたまだ、若いんでしょう?」と言われただけ。
そして、私の訴えとは全く関係なく、睡眠時無呼吸症候群の検査入院を
しろと言うのです。母の介護をしている私に、入院はとても無理。
「機能全廃で、預け先がありません」と。

当時、介護関係の施設も母が重度のため、預かってくださるところが
なかったのです(母には看護師の常駐が必要)。病院の方でも受け入れ先が
なくて、昼間の看護師さんがついてくださるデイサービスで、入浴介助を
お願いするのが精いっぱい。宿泊はできなかったのです。

睡眠時無呼吸症候群で、何かうつ症状になるということでも考えたの
でしょうか。何一つ、説明はなかったし、私自身、たしかに母の世話で
まとまった睡眠をとることはできなかったのですが、昼間に眠くて
つい寝てしまうといった睡眠時無呼吸症候群らしき症状もなかったのです。
もちろん、その後ずっと、そんな症状は見られていません。
今回の入院でも、そんなことは何ひとつ言われなかったし。

一応、うつに対する薬だけは処方されたので飲んでみたら、「死にたい」と
いうことばが頭の中に連呼されることはなくなって、消えたので、
なるほど、これはこれで、やはりうつの症状だったのだとわかって、
なんだか安心しました。
ただ、その代わりにものすごく「やる気」が出なくなって、廃人みたいな
状態になってしまったのです。

「死にたい」ということばのフレーズが止まっても、「やる気」が出ないと、
母の介護なんてできないと思い、薬はやめて、母のお世話を優先させる
ことにしました。うつ症状は、自分の自覚でなんとか対処していこうという
決意ができたので、受診したのはよかったのだと思います。
その後、心療内科に行くことはないのですが、うつ症状はあっても、母の
お世話は苦にはならなかったので、私には介護自体が嫌ではなかったのが
救いだったと思います。
いろんな工夫をして、母が快適に暮らせることを考えるのも好きでしたし。
それが親孝行だと口にするのはどうかとは思いますが、親の恩を親に
返すといった思いは母に伝えられたかなと。

母の夢をよく見ます。夢の中の母はたくさんおしゃべりをしています。
でも、それは認知症になってしまった母なので、内容は要領を得ない。
私は心配で心配で仕方なく、母のサポートをしているのですが、
それでも、母がおしゃべりをしているのがうれしくて仕方ない。

そんな夢を見たあとは、私が子供を産んでいたら、過保護な親に
なっていただろうなと思います。
認知症の母の介護は子育てに通じるところがありました。

ひる空。
今日は雨になりました。


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