歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

上坂冬子『貝になった男 直江津捕虜収容所事件』から

2022-11-25 16:05:36 | 歴史 本と映画
上坂冬子『貝になった男ー直江津捕虜収容所事件』(文藝春秋)を読みました。
本を読もうと決めた、BC級戦犯裁判を追った、ノンフィクションです。



第二次世界大戦中、直江津捕虜収容所では、
昭和17(1942)年からオーストラリア人捕虜を300人収容しました。
1年後には、そのうちの60人が死亡・・・

さらに、戦後の戦争裁判では、
収容所で働いていた8人が、戦犯として命を絶たれました。

8人も!?

捕虜収容所は、国内で五十数カ所もあったのに、
直江津の8人という人数は突出して多いそうです。

ところが、このときの所長は終身刑。

8人の部下が処刑されたのに、彼は、12年の獄中生活の後、
家族の元に帰ることができた・・・

「収容所で何があったのか」
「所長はどんな人物で、なぜ生きながらえたのか」

著者はこの謎を解くべく、直江津へ通い、
ついにはオーストラリアへも飛び、取材を続けた・・・
それが、この本のあらましです。



読んでいて、私の地元・横浜が大きく関わっていたことを知りました。


まず、極東国際軍事裁判、いわゆる戦争裁判です。
第二次世界大戦で勝利した連合国が、
占領下の日本で戦犯を指定し、裁判を行う・・・

A級戦犯は「平和に対する罪」、 B級戦犯は「通例の戦争犯罪」
C級戦犯は「人道に対する罪」 ・・・
A:戦争指導者 B:命令した指揮官 C:実行した兵士や民間人
と、大雑把に言えましょう。

そして東条英機らA級戦犯の裁判が行われたのが
東京での「東京裁判」です。

直江津収容所でBC級戦犯として、罪に問われた人たちはというと、
処刑されたのはA級戦犯と同じく巣鴨プリズンながら
裁判は、横浜の地方裁判所で裁かれたのだとか。

これが「横浜裁判」・・・
地元・横浜のことゆえ、どこかで聴いたことがあるものの、
何となく流していました。



二つ目。

処刑されたA級戦犯が、市内・保土ケ谷区の久保山斎場で、
荼毘に付されたことは知っていましたが・・・

BC級戦犯だった直江津の人々も、久保山斎場で遺骨となったのだとか。
全て秘密裏に行われ、遺骨はアメリカ兵が持ち帰ったそうです。

隠していても斎場の職員は全て承知のこと、遺骨の残りの遺灰を集め、
そこに「素朴な慰霊塔」を建てたとありました。
戦争指導者であるA級もBC級の戦犯も一緒になった、60人分だったと・・・



三つ目。

直江津で亡くなったオーストラリア人捕虜60人の墓は、
「横浜英連邦戦争墓地」にあるそうです。

直江津で荼毘に付され、遺骨の引き取り手がないなか、
「死者に敵も味方もありゃせん」と、上越市内の覚真寺で
安置されたとい、その後のことでしょう。



著者は、元捕虜のオーストラリア人の希望で、墓参の案内役をしています。
彼は、同行の妻が退屈するほど、長い時間をかけて、墓参りをしたそうです。


こういったことを、ハマッ子、歴史好きを自称しながら、
全く知らなかったとは・・・
何となく知った気になっていたことを大反省です。




とにかく『貝になった男』は衝撃の連続で、
一気に読み上げてしまいました。

ネタバレになりますので、もろもろは控えますが・・・


全ては、元・捕虜と戦犯とされた職員とのあいだに、
文化や環境の違いからくる、誤解があったことが大きい気がしています。

たとえば、著者は、横浜裁判の公判記録で挙げられた、
虐待について次のように書いています。

「便所についても暖房についても風呂についても、はたまた虱や皮膚病に
ついても、体が骸骨のようになったと言うことについても、
当時を知っている日本人なら証言内容についてさほど衝撃を受けまい。
捕虜収容所のみならず、日本中が同じような状況におかれていたからである」83頁

証言された、劣悪な環境に対し、
「日本中が同じような状況におかれていた」とさらりと書く筆者に、
令和を生きる、私は「衝撃」だったのですが・・・

今の私が感じる「衝撃」が、かつてのオーストラリア人捕虜との間での
落差であり、日本側がよかれと思ったことが、
外国人にとっては理解できない虐待ととられてしまう・・・

よく捕虜虐待の誤解例として挙げられるのが牛蒡。
捕虜の食事に牛蒡を出したところ、「木の根っこを食べさせられた」と
訴えられたという・・・

完全な文化の違いです。
これも直江津捕虜収容所で起きたことでした。

このような生活や文化の違いからの誤解が生んだ捕虜虐待という「罪」に
読んでいて、やりきれなくなるばかりでした。




戦争をしたら、必ず勝者と敗者が生まれる。
終われば、勝った方が強く、その論理が通ってしまう。
敗者の側は、どんなに誤解だと説明しようとしても、難しい・・・

今年、連日続く、戦争報道に、
戦争は始めるよりも、止めることが、どれほど難しいのかを
目の当たりにしています。

それだけに・・・

本のことが頭から離れないのでした。



余談ながら・・・

直江津取材の折り、著者の定宿だった「いかや旅館」。
「六角形の西洋館の塔」があったという「明治の終わり頃から」の宿は
本書の「あとがき」によると、既に建て替えられつつあったそうです。

先日の上越の旅で、せめてお茶にでも立ち寄り、
著者が取材していた頃を偲びたかった、と、
例によって、後の祭りなことばかりを考えています。

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上坂冬子『貝になった男 直江津捕虜収容所事件』(文藝春秋 1986年)を
参考に記事をアップしていますが、素人ゆえ、間違いや勘違いも
あることかと存じます。どうぞ、ご容赦下さいませ。

おつきあいいいただき、どうもありがとうございました。

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