戦時下にも、普通の生活があったんだ・・・
このことは、
こうの史代「この世界の片隅に」の映画化で、
広く知られることになったのではないかな?
NHKでは、2年ほど、身近な「すずさん」さがしの特番を組んでおり、
そこには多くの「すずさん」が寄せられていた。
ともすれば、戦時中は、難しい顔で、いつも泣いていたような
感覚にとらわれるけれど・・・
そうじゃないんだよね。
わたしが最初に、そのことに気づけたのは、向田邦子エッセイ。
20代の頃、向田エッセイが大好きで、
それこそ繰り返し読んだので、諳んじられるものもある。
その中でも、とりわけ心に残っている一編が
『夜中の薔薇』(講談社文庫)に収められた、「襞」。
既に、何度か、過去のブログでもアップしているので、
もし、「またか~」となったら、お許しを。
ーーエッセイは、女学校の5年間、制服のスカートに寝押しで
襞をしっかりつけることから始まる。
(高度成長期生まれの私も、中高時代「夜の儀式」だった)
スカートの替えもなく、「無いものだらけの女学生生活」。
しかも、工場動員中に大けがをした友人もいたし、
疎開先の長崎で被爆した人もいた・・・
「だからといって笑い声がなかったかといえば、
決してそんなことはなかった」のだ。
先生にあだ名をつけては、笑い・・・
校長先生が、渡り廊下のすのこにつまずいたと言っては笑い・・・
「明日の命も知れないと言うときに、
心から楽しく笑えたのである」ーー
戦争中でも笑うんだ。
・・・初めて読んだときは、
驚いて小さく声を上げたかもしれない。
かつての戦争報道やメディアの取り上げ方は
ともすれば戦争の被害者側に立ちがちだった、
という印象がある。
だから、「女学生が笑う」日常を描いた
向田エッセイは、印象に残ったのだろう。
その笑う日常が戦争でたやすく壊されてしまう、
そのことが、いっそう恐ろしく、感じたのも覚えている。
今日、「読売新聞」朝刊で、新しい特集シリーズ
「軍と街の記憶ー戦後78年」が始まった。
わたしは高度成長期、昭和30年代後半の生まれだが、
その年は、令和の今よりも、関東大震災や明治の終焉に近いよ、
と、これまでも、不思議な想いに駆られることが、しばしばあった。
そして、ついに今年は、終戦から78年、
明治維新から終戦までの77年を越えてしまったのだ。
そうか~~
沈黙を貫いてきた戦争体験者が、突然語り始めたり、
戦争の記憶を継承しようとする動きが出てきたり・・・
そういうことが起きるのも、当然。焦る。
特集は、
映画「この世界の片隅に」の片渕須直監督へのインタビューが前半。
「戦争 いつもの生活を奪う」の見出しにあるように、
「すずさん」の普通の暮らしに言及している。
後半は、「すずさん」の暮らした広島・呉について
「日本一の軍港 悲劇と再生」と題し
鎮守府と海軍工廠のあった終戦までと、
当時の技術が現代へと生かされていることがまとめられている。
まさに「悲劇と再生」の歴史だ。
(冒頭画像は大和ミュージアムにて撮影)
この春、念願だった呉市と隣の江田島・旧海軍兵学校(↑)を
たずねることができ感無量だった。
でも、時間が経ち・・・もっと知りたくなってきていた。
今日のこの記事で、その歴史に想いを馳せ
また、じっくりと訪ねたいと、しみじみ感じた。
これから続く特集では、
我が神奈川の海軍鎮守府の街・横須賀も
取り上げて欲しいと思いながら。
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
すっかり「8月ジャーナリズム」に影響され、
歴史といえば太平洋戦争のことばかり考えていて・・・
徳川家康公は、どこかへ飛んでいきがちですが
まだ岡崎の旅も綴っていくつもりです。
どうぞ、またお訪ね下さいませ。