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広島への旅。
その折り、大和ミュージアムのショップで、一冊の本を見つけている。
浦環『五島列島沖合に海没された潜水艦24艦の全貌』(鳥影社)。
表紙では、潜水艦が、海底に縦に突き刺さっている。
見た瞬間、総毛立った。
これは「姉の島」ではないか。
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『姉の島』(朝日新聞出版)は、村田喜代子氏の小説である。
村田氏は、今、わたしが、一番新刊を心待ちにしている作家のひとり。
小説の最新作は、この「姉の島」のはずだ。
主人公の海女は85歳、生まれたときから五島列島で暮らす。
ある日、仲間と漁船で「クルージング」に出かける。
皆で、かつて海没された潜水艦をはじめ海に沈むあらゆるものに
線香を手向けた・・・
(以下引用)
「なぁ、いつじゃったあ沈没艦船のことが新聞に出たときは、
二隻、海の底に突き刺さっとる船があるということじゃったなあ」131頁
そのセリフの「二隻」が、まさにこれ。
ミュージアムショップで見つけた本は、その調査報告をまとめたものだ。
横浜に帰ると、早速、図書館から借りてきた。
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それによると・・・
日本帝国海軍の潜水艦は、先の戦争に154艦が参加、127艦が沈没した。
敗戦の翌年、1946(昭和21)年4月1日。
建造中だった艦も含め、残った潜水艦のうち24艦は
長崎県野母崎と五島列島の黄島の中間地点で
アメリカ軍によって海没処分された。
ネタバレになるので詳しく書けず、もどかしいが、
先述の「姉の島」で、この史実を知った。
小説は、陸上と海中、現実と幻のあわいのなか、
鎮魂の念があふれている。
静かに感動した一冊だった。
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海没処分された潜水艦ではなく、戦争で沈没した潜水艦は127艦。
うち、114艦で乗務員全員が戦死しているのだ。
全滅の衝撃。
先日読み終えた、池澤夏樹『また会う日まで』では、
実在した主人公、海軍少将の秋吉利雄が、
重力測定機器搬入のため、潜水艦に出張する場面があった。
呂号第五七潜水艦。
Wikipediaによると、この艦も、戦後、やはり海没処分をされている。
場所は、まさに呉、「鉄のくじら館」のある、この街の沖合だという。
さて、当時の潜水艦乗務は過酷だ。
「潜水艦の中は狭い。通路の幅は一人分だから行き違う時は
身体を横にしなければならない・・・」394頁
海中に潜む潜水艦は、艦内に水が入れば沈んでしまう。
それを防ぐために、艦内を細かく区切り、重い防水扉を付けている。
どこかの区画が浸水しても前後の扉が閉まれば
艦全体が喪われることはない・・・
「だが、戦闘中、前後を防水扉で閉じられていた区画が爆雷などで
破壊されて浸水したら、そこに居る兵士は皆死ぬ。
そういう事態をも見越してのこの構造である。」同頁。
乗務員全員死亡の114艦は、まさに「そういう事態」に陥り、
最悪の結果を迎えたのだろう。
第一、水深30mものところで、海に放り出されたとしても、
いったい誰が救助に来てくれるというのか。
無事に、生き残った潜水艦も、
戦後、五島で海没処分され、今、海底に突き刺さっている。
なんともやりきれない。
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さて、呉では、「鉄のくじら館」こと海上自衛隊呉史料館 で
潜水艦の実物を見学することができた。
もちろん帝国海軍の艦ではなく、
現在の海上自衛隊で活躍した潜水艦「あきしお」である。
機械については、お手上げなので、全くわからないのだが、
それでも、艦内の狭いことには驚かされた。
思い出してみれば、読んだばかりの秋吉の描写と重なる。
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それにしても・・・
人間は、とてつもないことを考えたものだ。
争いは、人の常だとしても・・・
陸と海で戦うだけではなく、戦いの場は空に広がり、
やがて、海中からも攻撃をしかけられるようになった。
これからは、どこで、どんな戦いを行おうというのか。
戦いの前線、その場にいるのは人。
命令を下す側は、そこを考えないし、
そもそも、それを考えるような人間なら、
戦争の命令など下すはずもない。
「姉の島」で感動した鎮魂の念は、
偶然ながら、呉で潜水艦の実物を見学し、
海没潜水艦の詳細を報告する本を知ることに、つながた。
そして「また会う日まで」では、
秋吉利雄が見た描写から、当時の潜水艦を想像できた。
全て、知りたい気持ちがあったがゆえだろう。
あまりにも知らないことばかりで、
ささいなことも調べ、もっと知りたいと思う。
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
以下の資料を参考にしましたが、
間違いや勘違いもあるかと存じます。
素人のことと、どうぞお許し下さい。
◆参考
村田喜代子『姉の島』朝日新聞社
池澤夏樹『また会う日まで』朝日新聞社
浦環『五島列島沖合に海没処分された潜水艦24艦の全貌』鳥影社