教師☆学校心理士のセルフカウンセリングルーム

学校心理士によるつぶやき。教師の悩み・試行錯誤に寄り添うブログです。

体罰

2009年05月30日 | Weblog
今日は暑かった!
そして空は青く気持ちがよかったなぁ。。

先日たまたま見たTV番組で体罰に関する内容が放送されていた。
コメンテーターの中には「愛のある体罰」は行われるべきという人もおり、VTRには体罰は必要と訴える塾の方、賛成する保護者の方のコメントも流された。
また、視聴者アンケートでは「体罰がないことへの怒り」が「わかる」という数が「わからない」という数より圧倒的に多かった。

衝撃的な内容である。まともに受けとめてしまってはまずい風潮が生まれかねない。マスコミの影響は大きいのだ。

若者の規範意識の低下を感じている世間の方の「しつけ」や「教育」への目が厳しくなっているということなのだろうか。しかし、体罰容認の世の中になって本当によいのだろうか。

学校での体罰は以下の通り法律で禁止されている。
「学校教育法第11条
 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない」
法律で禁止されていようとそうでなかろうと「罰」ましてや「体罰」は教育の手段としてあってはならない。家庭のしつけでも同様だと私は考える。

それはなぜか。

暴力で物事を解決することを正しいこととして学んでしまうからである。
体罰で行動を変えるよう教えられた子どもは何を学ぶのか。
行動を変えるには体罰、すなわち言うことを聞かないものには暴力をもって解決すればよいということを学ぶ。子どもは友達同士でもその解決方法を用いるだろう。兄弟の関係でもその解決方法を正しいこととして用いるだろう。そして、その子が大きくなったら当然のこととして自分の子どもにも同じようにするだろう。そういう世の中になっていく。

また、体罰があるから不適切な行動をしない子は、体罰がなくなった場面ではどうするか。行動の動機は体罰の恐怖から逃れることだ。ぶたれるのがいやだから、殴られたくないから不適切な行動をしないのだ。体罰があるときだけ言うことを聞くようになる。子どもが小さいときはいいだろう。大きくなってきたらどうなるのか。


今も昔も子どもの長期的な成長を考えたとき「罰」「体罰」は教育の相応しい方法ではないと確信している。