▶パリでのビッグ・サプライズ!!
❤ ここはパリ・リヨン駅前です。一体何でここにシルヴィアがいるの??
▶パリ・リヨン駅に着くと…
私たちは本来ならシュトゥットガルトからパリまで直行で行ける列車を予約するつもりだったのですが、いわゆるユーレイル・グローバルパスの保持者用座席数は限られているようなのです。そのためTGVがうまく予約できず、カールスルーエからまずはバ-ゼル・スイス駅まで行き、そこからパリ・リヨン駅(以下リヨン駅)までのTGVを予約せざるを得ませんでした。万が一ドイツ鉄道が遅れても大丈夫なように乗り換え時間をそれぞれ30分以上見ておいての予約です。予定通りでも夜10時42分着のため、ホテルには予めチェックインが遅くなると伝えてありました。
リヨン駅には数分遅れで到着。既に11時に近く、外はまっ暗です。パリではスリに気をつけなさいとシルヴィアたちに何度も言われているので緊張していました。持ち物に注意をしながら「こちらかな?」と見当を付けて駅の外に出ると、後ろから低目の男性の声で「奥様、何かお困りですか?(多分)」と言われました。思わずトランクの取っ手を握りしめ、後ろを振り向くと、なんとクラウスがそこいるのです!! その後ろにはシルヴィアが、そして目を丸くした三津夫が立っていました。あまりにもびっくりして2人揃って「え~、何であなたたちがここに居るの?」と思わず叫んでしまいました。シュトゥットガルト中央駅で窓の外からさようならした2人がここに居るはずは無いではありませんか。私たちが叫ぶと同時に真面目な顔をしていたクラウスとシルヴィアが弾けるように笑い出しました。驚きすぎて涙を流すほど大笑いする私たちの様子に「やったね!」と2人はガッツポーズ。取りあえずチェックインが遅くなっているので急いでホテルに向かうことにして、彼らがトランク運びも手伝ってくれて歩き出しました。地図ではこの道を通ったらすぐだと思う道に行くと、その先は縄が張られていて警官が「ここは今日爆発があった(爆弾が見つかった?)ので迂回してください」と反対回りの道を指示します。はじめからずいぶんと物騒な…。これがパリなのでしょうか。
でも駅から直近のホテルなので数分で到着。クラウスがチェックインを手伝ってくれる傍らシルヴィアは三津夫に事の次第を説明。シルヴィアは結構日本語も話せるのです。2人は私たちをシュトゥットガルト中央駅で送り出してからすぐ次に出るTGVに乗り、早めにリヨン駅に着いていたのだとか。彼らも地下鉄で2駅だったかのところに1泊するので明日は一緒に美術館巡りをするというのです。いや~、驚きました。でも一番難しそうで心配だった地下鉄のチケットを買うのも一緒に行ってくれるそうなので、心から安堵したのでした。
それにしても何というビッグサプライズでしょう。そして何と親切な2人でしょう! 思い出すだけで、今でも笑い出してしまいます。結局フランス語混じりのホテルのチェックインをクラウスのアドヴァイスで乗り切り、2人は部屋まで来て見届けてから帰っていきました(写真・下)。このときシルヴィアがいったことばが忘れられません。
「ミドリがパリの5日間をとても心配していましたから、私たちが大好きなパリをあなたたちにも好きになってもらいたくてこのサプライズを計画しました。明日は一緒にチケットを買いましょうね」
本当に親切で素敵な友だちに ❤ Herzlichen Dank ❤
❤ 2人は駅で私たちを待ち伏せして、この部屋まで一緒に来てくれました。この計画をアンゲリカもヴィリーも知っていて皆で楽しんだとか。
▶パリの5泊6日が始まりました。その前半です。
私たちのホテルは早期予約で安くなっていたので朝食付き。でもベッドは大きいものの部屋は狭く、小さなミニバーとテーブルがついていましたが、そのテーブルも小さくてきつきつでした。やはり安いだけのことはあるのですね。ただ駅まで出ずに朝食が食べられるのは私たちの旅としては贅沢です。ミニバーには水・炭酸水、コーラとジュースが入っていて、隣には珈琲メーカーとカプセルが3個置かれていました。これは助かります。嬉しいサービスです。ただ、トイレのドアがすごく重たくて苦労しました。
8月24日の朝、早速食堂に向かいました。品揃えも良く、しっかり食べられました。昨夜1時半に寝たわりには元気。
9時半にロビーに下りてシルヴィアとクラウスに合流。受付で地下鉄路線図をもらい、美術館までどう行くのかを教えてもらいます。リヨン駅からメトロ1番(以下M1)でオランジュリー美術館とオルセー美術館に行くにはコンコルド駅で下車とのこと。
まずはホテルのすぐ隣のリヨン駅に行き、中央階段を下りると地下鉄の窓口があります。そこで5日分の回数券を買いました。そこからM1までの行き方、番線の見方、帰り方をシルヴィアが丁寧に教えてくれました。明日からは自分たちで動かなければなりませんので私は必死です。おそらくシルヴィアがいなければ相当苦労したはずです。このあとでもまだ1人で回数券を買う自信はありません。
一緒にメトロに乗るとドアを閉める時に、フランス語、英語に続いて日本語のアナウンスもあると三津夫が気づき、驚きました。コンコルド駅で下りればオランジュリー美術館はすぐ近く。三津夫は以前にも来たことがありましたが私は初めてです。こちらに先に入ってモネの水蓮の絵をゆっくり堪能しました。まだそれほど混んでいないうちに入ったので良かったのです。帰りがけに見たときには入館待ちの列が長くなっていましたから。
その後、橋を渡ってオルセーに向かいます。その橋の手前にあったライオン像は珍しく口を大きく開けているので何をしているのか不思議でしたが、口の中をのぞき込むと舌も見えます。気になってタイトルを翻訳機で見てみたら「蛇とライオン」だそうです。多分右足で押さえている塊が蛇なのでしょうね。作者は BARYE ANTOINE-LOUIS と書かれていました。
❤ この橋向こうがオルセー美術館です。
オルセーにやっと入館すると本当にすごい人波! メジャーな作品のある部屋はどこも満員で、私が一番写したかったドガの踊り子(孫がバレーを習っているのです)を写すにもチャンスを待たなければなりませんでした。時々皆を見失うのですが、180cm近くあって赤茶色の髪のシルヴィアが目印になり、とても助かりました。迷子にならないように気をつけながら三津夫が見たい作品を中心に(彼の頭の中には大体の著名な作者名がインプットされていますが私にはとても覚えきれません)ついて歩きました。
ようやく満足するまで見て回ると既に午後2時過ぎ。オルセーを出る頃には小雨が降りだしました。濡れるほどではなかったので、近くであまり混んではいないレストランを探して入りました。ここでシルヴィアとクラウスが今回パリに来た理由を教えてくれました。2人ともパリが大好きだったので、5年前にパリに旅行に来たのだそうです。その時にクラウスがあるレストランを予約し、プロポーズすることを計画したのでした。すると最後のデザートの時に持って来てくれるように頼んだ指輪を渡す段階になって、シルヴィアがそんなこととはつゆ知らず、「もうお腹いっぱいだからデザートは要らないわ」と断るのでクラウスがすごく困ったそうな。美味しいから食べようと何回か誘ってようやく説得し、デザートに。そして指輪を手渡し、プロポーズが成功したのだそうです。従って今回の小旅行は彼らのプロポーズ5周年記念の旅行でもあったのでした。ここでも皆大笑いでした。
このレストランでフライドポテトを頼んだクラウス。持って来たお皿はポテトが山盛りでとても食べきれませんでした。私の頼んだお料理も結構なボリューム。結局残りは私たちの夕飯と相成りました。
ホテルに戻り、ロビーで今後の旅に利用するモンパルナス駅とノルト駅の行き方を確認し、シルヴィアとクラウスとはお別れ。本当にありがとう! ちょっと心細くなりましたが、明日からは2人で必死に回ります。
▶ここで触れておきたいのは、愛さんのことです。
TGVのユーレイルパスホルダー用座席がことごとくなくなってしまったため、私はパリに住む愛さんに何とか希望の日時の列車が予約できないかとお願いをしてみました。彼女は我が家の近くに住む友人夫妻の娘さんで、パリに住んでお連れ合いとお肉屋さんを経営しています。こちらに帰省すると何回か会って一緒に食事をしたりする関係で、今回の旅では彼女の家にも訪ねて行くことになっていました。この愛さん、何でもテキパキとこなしていく人なので、彼女のパワーを見込んでお願いしてみたのでした。すると翌日には全ての列車を希望の時間で予約してくれたのです。ただ、その間のユーレイルパスは使えないのでフランスのシルバーパスを代理で購入、予約するという手際の良さ。旅行の神様のような愛さんの采配でディジョン往復もフランス国内のTGVでの移動もできることになったのです。いくら感謝してもしきれません。
▶TGVでディジョン往復
ディジョンに憧れていたのは、元ボーデ博物館館長だったジュリアン・シャピュイ氏が2013年に送ってくださったカタログ『Pleurants(哀しむ人)』(写真・下)を見てからです。顔はほとんど見えないこうした小さな彫刻が墓碑の下に何十体か置かれている本でした。リーメンシュナイダーにも共通する静かな深い哀しみを痛いほど感じるのです。「これはフランスに行くことがあったら是非見たい」とずっと願っていたのでした。ようやくこの10年越しの願いが叶ってリヨン駅からディジョンまで往復することできました。
❤ 嘆きの深さを感じる彫刻群のひとつ。
8月25日。TGVに乗るのは2回目で少し慣れてはきたものの、ホームには出発の少し前にしか入れず、ドイツのように乗る車両のそばまで行って待てないので落ち着きません。改札口で予約書類にあるQRコードを読み込んでもらうと通ることができ、その後で自分たちの座席を探すのですから。バーゼルから乗ったときは重たいトランクを持ってうろうろしたので大変でしたが、今日はカメラの入った小さなトランク(以下コロコロ)だけなので身軽です。
ディジョンに着くと出口の案内がよくわかりません。フランス語はまるっきりダメなので人間を見つけてジェスチャーで「ブルゴーニュ博物館に行きたいのですが」とメモで訴え、方向を確認して歩き出しました。運悪く結構な雨が降っていました。びしょ濡れになってついた博物館らしき建物は、「本日は行事があり休館」という札が貼ってあります。「え~~~?」と泣きそうになったところで三津夫が「いや、もっと先にちゃんとあるはずだよ」と言うので、地図をよくよく見てみると確かにもう少し奥に入口がありそう。もうワンブロック歩いてみると、ようやく博物館の立て札が見つかりました。良かった!
館内はまだ参観者も少なく、濡れた雨具をロッカーにしまって「嘆く人」を目当てに回りました。最後の方でやっとこの彫刻群を従えた大きな墓碑が2台ある部屋に到着。相当じっくりと時間をかけ拝観しました。でも、撮影は途中で諦めてしまったのです。何故かというと手前の彫刻しか見えませんし、奥に何体入ってるのかも見えないからです。これは帰宅してからシャピュイさんにいただいたカタログをしっかり見ようと思ったのでした。ここの墓碑は Philipp der Kühne(翻訳機によるとフィリップ・ボールド[1342-1404]、ブルゴーニュ公、ブルゴーニュ家の創始者、フィリップ2世)と 、その息子の Johann Ohnefurcht夫妻(ヨハン・オーネフルヒト[1371-1419] ブルゴーニュ公 妻マルガレーテ・フォン・バイエルン[1363–1423])のものです。上にはそれぞれの人物彫刻1体に付きライオンが1頭と天使のペアが置かれています。息子の足下のライオンは赤い舌を出して座っています。「オーネフルヒト」はドイツ語で訳すと「恐れを知らぬ人」となるのですが、何で赤い舌? それにしても天使の羽が長く美しいのにも感嘆します。
※帰宅して見たカタログには、父王の墓碑下と息子夫婦の墓碑下にある彫刻はどちらも40体だと書かれていました。表紙の写真を見て長い間女性だと思っていた彫刻も、男性の修道僧だとわかりました。手の表情などとても優しいので勘違いしていました。
※[2024年1月20日追記] 昨日購入して届いたばかりの『ゴシック1 世界美術大全集 西洋編9』(飯田喜四郎 小学館)によると、ジャン・サン・プール夫妻の彫刻はジャン・ド・ラ・ユエルタとアントワーヌ・ル・モワテュリェによるもので、1439頃~1469年作とのことです。なお、上記の名前はドイツ語で書かれているので、ドイツ語読みで書きました。
このブルゴーニュ博物館を堪能してからは雨も上がり、町中の小さな美術館、博物館、教会を見まくりました。全部無料で開館しているのには文化度の高さを感じます。
駅の反対側にあるという「モーゼの井戸」は時間もきつく、歩き疲れもあってあきらめたのですが、連れ合いは帰国後ロマネスク彫刻の勉強を始めたところ、この「モーゼの井戸」が大変素晴らしい彫刻だとわかったそうで、今になって「この井戸の彫刻が素晴らしかったのに見ないで帰ってきたのは残念無念。何で行かなかったかなぁ」と嘆いています。まぁ、機会があればもう一度ゆっくり行きましょう。
※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024 Midori FUKUDA