リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

40. 満月のヴァルトブルク城

2016年09月19日 | 旅行

続編お礼の旅No.4  2013年冬の旅

 エルケさんとの出会い

 2010年の6月、まだ続編への旅を必死でしていた頃、アイゼナハのヴァルトブルク城を訪ねました。エルケさんという方が担当者として写真を三脚で撮ってもいいですよという返事をくださって、駅前から出るバスで小高い山の上のお城まで行ったときのことです。受付に見えた同年代のエルケさんはとても温かく迎えてくださって、手にはヴュルツブルク発行の重たい2冊のカタログをお持ちでした。「これはご存じですか?」というので、「そのカタログを元に今までドイツや近隣の国を回ってこの写真集を作ったのです」と、『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』をお見せすると驚いていました。その後、「ミカエルが来ますのでちょっとお待ちください」と言い、彼が来るとガラスケースの鍵を開け、中に入っていた天使像2体を好きな向きに回転させてあげますよと見せてくださったのでした。

 私が必死で撮影していると、何やら回りが賑やかになってきました。日本人の団体が来たのです。するとエルケさんが私が持っていった『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を皆に見せて、「この人が今、撮影しているんですよ」と一生懸命宣伝してくれているのです。このときから私は彼女が大好きになりました。天使像の撮影が終わってミカエルさんが鍵を閉めると、「もう1体、悲しむ聖母像もありますがご覧になりますか?」と教えてくれたのも彼女でした。私は、今まで持っていたどの本でもカタログでも、またインターネットでも、ヴァルトブルク城にリーメンシュナイダーの「悲しむ聖母像」があるという情報を見たことがありませんでしたので大変驚きました。


<作品写真41> 横向きに置いてもらった天使像
Leuchterengel  1505(1510)頃 Tilman Riemenschneider Werkstatt  


       

<作品写真42> 隣に佇んでいた悲しむ聖
Trauernde Madonna  1505-1510 Tilman Riemenschneider Werkstatt                                                                                                                                  (Umkreis Tilman Riemenschneider)

 

 エルケさんとは帰国後も親しくメールを交わすようになり、彼女も「ミドリとは前世で姉妹だったのではないかと思うわ。とても感じ方にも共通点があって、見知らぬ国の人とは思えない」と書いてくれるほどでした。彼女が旧東ドイツ時代から働いて見守ってきたヴァルトブルク城は彼女の人生でもありました。その素敵な古城でこのような気持ちのフィットするお友だちと出会えたのもまた、リーメンシュナイダーが繋いでくれたご縁ですね。

 

 真夜中のワインパーティー                                         

 翌年2011年9月にも夫と共に再びドイツを訪ねたのですが、そのときは賑やかなヴァルトブルク城を案内していただき、その後お宅に招かれてゆっくりお茶をいただきながらおしゃべりを交わしました。お二人の話では、ツアーを案内していて一番手のかかるのが中国とイタリアだとのこと。その反対に一番よくマナーを守り、しかも話をよく聞き取ってくれるのが韓国と日本だと言います。それぞれの国民性や暮らしの様子など楽しく話し合ったあと、エルケさん・ウヴェさんご夫妻とヴァルトブルク城のコンサートに向かいました。あの歴史ある「歌合戦の大広間」で「水車小屋の娘」が歌われるということは日本にいるときにお知らせいただいていたので、ドイツ語の歌詞をプリントアウトしてきておよその意味を掴めると良いなと思いながらの参加でした。私は一生懸命歌詞を追いかけましたが、会話よりもさらに理解するのが難しく、こんなコンサートに参加できたら歌好きの友だちはもっともっと喜んだだろうなと、ちょっと申し訳ないぐらいでした。

 コンサートが終わってからエルケさんはどこへやら姿を消し、ウヴェさんは「ちょっと待っていてくださいね」と平然としています。空には満月。コンサート客はほぼ姿を消し、残っているのは私たちだけでした。9月ともなるとドイツの夜は冷え込んできます。段々寒さを感じ始めた頃、エルケさんが大きな紙袋を手に戻ってきました。こちらへと招かれたのは庭先の東屋です。この日の昼間にも鍵を開け閉めしないと入れない東屋に入れていただき、涼しさを感じてしばしお休みしたのでした。多少の雨が降っても読書ができると言っていたぐらい、しっかり太い枝が絡まって屋根を形作っています。でも、「満月の夜にここへ? 何のために??」と思っていると、やおらエルケさんは袋からワイングラスとワイン、そしておつまみを取り出したのです。何というサプライズ!! 蝋燭まで持って来てともそうとするのですが、風が強くて火をつけることはできませんでした。でも、夕方まで一緒に楽しくお茶を飲んで話して、私たちをホテルまで送り届け、何十分か後にはパリッとしたスーツに着換えてまた迎えに来てくれたお二人。「いつ、こんな準備をする時間があったの?」と聞いたら、出かけるちょっと前に突然思いついたのよと笑っていました。満月の煌々と輝く夜、滅多には入れない場所でのワインパーティーは心に深く残っています。


 <ヴァルトブルク 歌合戦の大広間>                      

         

※毎回お断りしていませんでしたが、日付入りの写真は夫、福田三津夫の撮影です。

 

  3度目のヴァルトブルク城

 ようやくできあがった本をアイゼナハにも届けに行きました。まずはエルケさんにホテルの前で出会い、車でヴァルトブルク城まで乗せていただきました。このとき、冬場にはお城まで行くバスがないことがわかりました。リストの内容に加筆しなくてはと、早速メモ。

 冬の寒い時期でもお城には結構な観光客がいて、ツアーを組んで回っています。私たちは恵まれたことに、エルケさんが鍵を開けてはまだ他のツアー客がいない部屋を静かな環境の中で案内してくださるので、ゆっくりお話をうかがうことができました。途中でミカエルさんも駆けつけてくれて、お二人に続編を手渡すと嬉しそうに天使像や悲しむ聖母の写真を見ていました。ようやく親切にしていただいたお礼ができたかなとホッとしました。以前案内されたときにはただ見てまわった「マルティン・ルターが新約聖書を書いた部屋」も、今では当時の厳しい社会状況の中でここに逃げ込めたルターの幸運を感じながら見るようになりました。

 このあと、お宅にお邪魔して夜までゆっくりウヴェさんともおしゃべり。ウヴェさんも夫もよく料理をするということもわかって、今度来たときには一緒に男同士お料理でもしましょうと話してお別れしました。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA, Mitsuo FUKUDA

              

 昨年、2015年のこと、ウヴェさんが倒れて入院し、退院したもののときどき検査入院を繰りかえしました。エルケさんも疲れで入院したことがあり、その間に大家さんから息子さん一家が戻ってくるのでと退去を求められました。こうしたことが重なる時には重なるものです。でもエルケさんは、「ヴァルトブルク城からできるだけ離れたくない」と、アイゼナハの近くに家を探していますが、まだこれといった住まいが見つからないそうです。今も気の休まる暇がないときを過ごしているのではないかと思います。それでも、今年はどこに住んでいようとも私たちが近くに行くときには必ず再会しましょうと約束しています。お二人の健康が落ち着き、新しい住まいが見つかりますようにと祈る毎日です。

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