飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

別れの序章 1

2025年02月01日 05時17分21秒 | 学級経営
2月に入り、卒業式の練習もそろそろ始まる。
そんな頃になると自分が担任だったころ、どうやって学級の子どもたちを送り出していたのか思い出す。
断片的な記憶だが。

1994年3月16日

小学校生活最後の給食は、みんなでまるくなって食べた。
そして、一人ずつこれまでの給食の感想を発表していった。
子どもたちは、それぞれの思い入れがあるようで「よく、こんな細かいことまで……」という内容もあった。
私も給食の思い出を話した。
あまり大きな声では言えない。
子どもの頃の話である。

「ねえ、みんな今日は忘れずにしなさいよ。」
給食が終了する間際に私は言った。
すると、子どもたちは、
「わかってます。」
「えっ、どうしてまだ何も言ってないのにわかるの?」
と不思議に思い尋ねる私。
子どもたちは何をやろうとしていたのだろうか。
私は黙ってみていた。
すると、片付けるワゴンの上に、綺麗に色をつけた画用紙がのっていた。
そして、そこには、子どもたちのメッセージが書かれていた。
「6年間、本当にありがとうございました」と。

私が言いたかったことは、そのことだった。
人は一人では生きていけない。
一人では成長できない。
多くの人たちの支えと協力があって、はじめて今日の自分があるのだ。
そのことを忘れないでほしいと思ったのだ。
その気持ちを子どもたちは、調理員たちへのメッセージという形で示した。

1996年3月17日

子どもたちに尋ねた。
「今はもうこの学校を去って行かれた、かっての担任の先生方へ、幼稚園の先生方へ、卒業式をむかえることができたことの手紙を出しましたか?」
まだ、卒業式をむかえてないので出していないのは無理もない。
卒業したら出すのかもしれないが、その時には私は教えてあげることできない。
この時期はやはり特別なのだと思う。
ことば一つでもいい。
葉書一枚でもいい。
自分が今日までかかわってくださった人への報告やお礼はすべきだろう。
これは恩があるとかないとかの問題ではなく、それは人間として、当たり前の礼儀であると思っている。
そうしたことは、とても大切なことだと最近考えるようになった。
子どもたちは黙って聞いていた。
別れの準備をさせること、出立の準備をさせることに日々の時間を使っている。

1996年3月18日

書き残したことがたくさんある。
今となってはもう時間がない。
しかし、最後まで子どもたちとの日々を書き残しておきたいと思う。

先日、3月5日に「6年生を送る会」が開かれた。
その頃は、卒業式の練習が毎日のようにあったのでしょっちゅう体育館に行っていた。

前日に、子どもたちに尋ねた。
下校する前のことだ。
ただ、子どもたちにこう言った。
「何か、今日、感じた人はいますか?」
最初はきょとんとしていたが、数名の子どもが手をあげた。
そして意見を言った。
ある子は、
「今日、卒業式の練習に行くと、体育館のステージに大きな絵がはってあった。
 そこには『友情という翼ではばたけ』と書かれていた。
 とても上手な心のこもった絵だった。」
と言った。

私は、さらに5年生が2月に入ってからは、まったく昼休みがとれないほど、6年生を送る会のために働いてくれてことをつけ加えた。
子どもたちは、そういう心遣いに気が付いたのである。
人の努力を認める。
人の思いやりに気づき、感謝する。
こんなことも私と子どもたちが過ごしてきた日々の中でこだわってきたことだ。

かくして、6年生を送る会は終了した。
どの子も感謝の気持ちで一杯だっただろうと思う。
昨年、同じ事を自分たちもしてきた。
そして今年は送られる立場となった。

今年の卒業式の退場音楽は「威風堂々」である。
しかも、5年生の合奏である。
この音楽に中、子どもたちは、胸をはって退場していく。

saitani

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 教師の道を諦めた | トップ | 「自分なんて」と思わないこと »
最新の画像もっと見る

学級経営」カテゴリの最新記事