飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

「道」の授業

2024年03月27日 05時37分47秒 | 道徳科
子どもたちに担任の哲学や考え方を伝えるときにどんな方法を選択するのか。
やはりそれは授業という形でメッセージを伝えることが一番自然であり、最善だろう。
医者が手術を通して、自分の生き様を示すように、教師は授業で自分の生き様を語る覚悟が必要だ。
だから、授業はある意味、子どもとの真剣勝負とも言える。

年末に子どもたちに向けたメッセージを込めた授業。

〇説明 最後の道徳の授業を始めます。

〇(分岐した道のイラスト電子黒板に表示する)
 これからみなさんは、長い長い道を歩いて行きます。
 人間には「ふたつの道」があります。
 一つは「アスファルトの道」、もう一つは「砂浜の道」です。

〇発問
 あなたは、どちらの道を歩きたいと思いますか。
 また、そう思った理由は何ですか?

 【アスファルトの道】
・平らで歩きやすそうだから。
・雨が降ってもぬかるみがなく歩きやすい。
・長時間あるくには平坦で楽そうだから。

 【砂浜の道】
・足下が悪く歩きにくいけど、体力がつきそうだから。
・きちんと自分が歩いた軌跡が残るから。
・時間をかけてじっくりと歩けるから。
・海が近くにあって眺めが良さそうだから。

〇説明
 どちらにも良い点悪い点がありますね。
 こんな風に考えることもできると思います。

・「アスファルトの道」とはすなわち「生活」の道です。
 毎日の日常を当たり前に生きる道のこと。
 平凡ではあるけど、淡々と時間が過ぎていくイメージです。
 安全だから誰でも気軽に歩ける。
 でも後ろを振り返ったときに、その安全な道には自分の足跡なんか一つも残っていないということになります。


・「砂浜の道」とは、「人生」だと思います。
 志をもって、高みを目指して生きる道のことだと思います。
 道を歩いて行くということは、言い換えると、人生を生きていくということです。
 海の砂浜は歩きにくいです。
 歩きにくいけれど、後ろ振り返ってみれば、自分の足跡が一つ一つ残っています。

 だから、みなさんには辛く苦しくても、自分の人生を刻んでいく、砂浜の道のような人生を過ごしてほしいと私は思います。


発問 
  みなさんはこれから、長い長い道を歩いて行くことになります。
  道を歩いていくということは、言い換えると人生を生きていくということです。
  人生を生きていくためには何が必要ですか?

 ・時間   ・お金   ・家   ・夢   ・友達  ・命

発問
 どれも必要ですね。
 でも、一つだけと言われたら「命」と答えると思います。
 では、命を保つためには何が必要ですか。 

 ・食べること   ・生活するための家   ・友達   ・お金   ・自動車 ・平和

説明
 私たちは一人では生きていけません。
 色んな人や色んな物に助けられ、支えられて生きています。
 命を保つときに、全く他の人と関わらずに生きていくことは難しいでしょう。

発問
 では、どんな人に支えられて生きていますか? 

 ・親  ・友達  ・先生  ・地域の人  ・工場で働いている人  ・政治家

説明
 そうやって、みんな支えられて生きています。
 はじめに命がないと生きていけないという話をしました。
 そのかけがえのない命、しかも2万人という多くの命が一瞬にして失われてしまうことが災害が13年前にありました。
 みなさんが生まれる前のできごとです。
 東日本大震災です。
 宮城県気仙沼市に気仙沼市立階上中学校という学校があります。
 地震のあった3月11日から10日後に行われた卒業式の答辞の映像を流します。
 命の映像です。

 [気仙沼市立階上中学校 卒業式 答辞の映像を視聴する]

説明
 我々は、当たり前に日々を生きています。
 それはかけがえなのない、誰かが生きたくても生きられなかった一日なのです。
 生きることのかけがえのなさを感じてもらいたいと思います。

説明
 さて、タイトルにもどります。
 「道」とあります。
 これから皆さんは長い道を歩く訳ですが、この道はたぶん平坦ではありません。
 大きくカーブしたり、壁があったり、坂道だったり、ガタガタの道かもしれません。
 時には道からそれたり、歩きたくなくなるかもしれません。
 そんなとき、あきらめるな、とかいうけど諦める日がくるかもしれません。
 頑張れって人はいうけど、頑張れなくなる日がくるかもしれない。

説明
 でも、それができないときだってある。
 それでいいと私は思います。
 この道はものすごく長いので、そういう日があって当たり前だと思います。
 でも、一つだけお願いがあります。
 道を間違えたり、道から外れたり、歩くのを一旦辞めたりしても、必ず戻ってきてほしいということです。

説明
 ある先生がいました。
 その先生は、何度も試験に受からず、ようやく5年目に合格することができました。
 同じ歳に先生になった中では一番年上でした。
 教師になって2年目に大きな病気になります。
 2年以上学校を休むことになります。
 その間、お医者様や校長先生からは、教師をやめて病気をなおすことに専念することをすすめられました。
その先生は、自分から教師をやめたいと思ったことは一度もありませんが、教師はもう続けられないかもと思いました。
 自分は学校にはもう必要のない人間なんだと考えました。
 でも、もう一度子どもたちの前に立ちたい、その一心でもう一度道にもどりゆっくりゆっくり歩き続けました。
 歩き続けていたら、そこには見えなかった景色が広がっていました。
 そして夢だった定年まで教師を続けることできました。
 今はあきらめずに信じた道を歩いてきてよかったと思っています。

説明
 とにかく、迷うことがあっても今目の前にある道に戻ってきてほしいと願っています。
 人生色々だから、失敗しようが諦めようがいろんな歩き方があります。
 スピードが違うとか、歩き方が違うとか、そんなことはどうでもいいことです。
 自分のペースで、自分の心を裏切ることなく進んでいくことを願っています。

saitani
この記事についてブログを書く
« 叱り方の原則 | トップ | プロの技術 「ゴッドハンド... »

道徳科」カテゴリの最新記事