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詐欺にだまされるのはなぜ? 脳の仕組みと対策について専門家が解説

2022-01-30 15:30:00 | 日記
下記の記事は日経グッディ様のホームページからお借りして紹介します。

誰でも年齢を重ねると記憶力が低下したり、素早い判断ができなくなってきたりするもの。脳の活動が低下しているのではないかと不安になっているときに、ちまたで横行するオレオレ詐欺や還付金詐欺などの「特殊詐欺」の話を聞くと、なぜそんなことになるの? どうしてだまされるのか信じられないと思う人も少なくないだろう。年を取って脳が老化すると、本当にだまされやすくなるのだろうか。公立諏訪東京理科大学工学部教授で脳科学者の篠原菊紀さんに聞いた。
イメージイラスト=123RF
年齢は関係ない? だまされるときの脳の仕組みとは
今回は「だまされやすさ」について教えてください。ニュースなどで特殊詐欺の被害に遭った人のエピソードに接すると「ええっ、どうして疑わなかったの?」と思う一方、「いや、自分だってその場になればどうなるかわからない」と不安になったりもします。
年齢とともに脳の判断力も衰えてくるわけですから、やはりだまされやすくなってしまうものなのでしょうか。

篠原さん まず、脳の特性から考えると、高齢者であることを抜きにしても、「そもそも人の脳は、複数のことを同時並行処理できない」ということが前提となります。
人を人たらしめているのは脳の「前頭前野」という部分。知覚・言語・思考など知性をつかさどる部分です。
前頭前野は、脳の別の場所に格納されている記憶や情報を意識に上げてきて、何かのミッションがあるとそのたびあれこれ検討します。この機能があるからこそ、人類はどんな状況に置かれても柔軟に適応し、あらゆる環境下で生き抜いてきました。
このように優れた働きをする前頭前野ですが、ここはコンピューターのキャッシュメモリのように必要な情報を一時的に保存して情報処理をするところ。実は、その性能には限界があるのです。
前頭前野のメモリのことを「ワーキングメモリ」と言います。訳すると、作業記憶。ちょっと前にしていた作業を記憶し、再び必要になったときに取り出すというもの。私はこれを「脳のメモ帳」と呼んでいます。このメモ帳の枚数は、年齢とは関係なく、誰もが3~4枚しか持っていません。私たちは、「あれ」「これ」「それ」くらいしか同時に処理できないのです。
ですから、いくつもの情報をどんどん入れられ、その全部が重要だ、と言われてしまうと脳のメモ帳では処理が追いつかなくなるのが当たり前です。
ああ、特殊詐欺の加害者はその脳の仕組みをまさに利用しているわけですね。
篠原さん そう。ある人がこう言い、次に違う人から電話がかかってきてこう言い、指示される…と、情報過多にして、脳のメモ帳を使い切らせる状態を意図的に作っているのです。
詐欺の手口を考えてみてください。どれも、「大変な一大事」というインパクトの強い情報をぎゅっと詰め込みます。
  • 孫や息子が事故や事件を起こした。だから、示談金が大至急必要(オレオレ詐欺)
  • あなたの口座が犯罪に利用されている。だからすぐにキャッシュカードを交換しないと危ない(預貯金詐欺)
  • 未払いの料金があるという架空の事実を口実にし、金銭を脅し取る、だまし取る(架空料金請求詐欺)
失恋をしたときだって、仕事が手につかなくなります。悲しみや後悔、その人と思い描いていた未来が失われるという喪失感。脳のメモ帳はあっという間に4枚のうち3枚が使い切られてしまう。脳の余裕がなくなってしまいます。
だから、特殊詐欺の加害者は「ストレスフルな情報や人をたくさん入れる」ことで一気に圧をかけてくる。高齢であろうとなかろうと、このテクニックのもとでやられると、人は普段通りに思考できなくなり、稚拙な判断しかできなくなります。
不安をあおられても、うれしいときも、だまされやすくなる
なるほど、だます側の巧妙な手口は、脳のメモ帳の余裕をなくす手口なのですね。
一方で、脳の前頭前野は年齢とともにその働きが低下する、と前回(「変化する職場環境も、異動でさえも…『脳のアップグレード』のチャンス」)伺いました。高齢だからこそのだまされやすさ、というのもあるのでしょうか。
篠原さん ワーキングメモリの力は、18歳から25歳をピークに低下する傾向があります。だから高齢になるほど狙われやすい、引っかかりやすいと言えるでしょう。だます側からすると「落としやすい」ターゲットです。
ただ、高齢者一般というよりも、だます側は無数の対象に電話をかけています。おそらく、その大多数の中でも、急にストレスをかけられることに脆弱な人、ワーキングメモリの力が落ちている人が引っかかりやすいということです。
メディアなどでは、「相手と話してしまうとだまされてしまうから、留守電にしておくことが一番」と言われています。やはり、受け答えしてしまうなかで、怪しいぞ、と我に返るのは難しいのでしょうか。
篠原さん 怪しい、と思う人のほうが多いはずですよ。でないと詐欺被害はもっと爆発的に増えているでしょう。だます側からしたら、無数の電話をかけ続けるなかで相手は、たまたま引っかかってくれた希少な人。だから、同じ人が繰り返し狙われたりするのです。
詐欺の話で言うと、「過払い金があったのでお金が戻ります」といった還付金詐欺や、ネット上で疑似恋愛の関係を作ってお金を要求する「ロマンス詐欺」など、一見するとうれしいことと組み合わせるようなだまし方もありますよね。
篠原さん ストレスフルなことだけでなく、うれしいことも脳のメモ帳を食うのです。例えば、うつ的になりやすいイベントとして、つらい出来事だけではなく仕事の昇進などプラスの出来事でもプレッシャーになる、ということは心理学でも知られています。
ワーキングメモリはいろんな要因で食われやすいのですね。
篠原さん その場限りのキャッシュメモリですからね。ちなみに、だまされるときだけではありません。日常的にこんなことがありませんか。人との約束が3つ、4つ重なると最初の1つがきれいに頭から飛ぶ。2階に上がったのに、「なぜ自分はここに来たんだっけ」と用事が抜ける。会話中にいいことを思いついたのに、話し出すと内容が飛んでしまう、とか…。
ありますあります。私は料理中に調味料のメモを見ているときに横から話しかけられるとその分量をすっかり忘れてしまいます。
だまされにくい判断力=ワーキングメモリを鍛えるには?
だまされにくくするためにも、また、日々の判断力の低下に歯止めをかけるためにも、何らかの工夫をしたいのですが、おすすめの脳のトレーニング法はありますか。
篠原さん 認知症の疑いがある方の認知機能を調べる際に、ワーキングメモリの働きをテストする項目があります。そのテストを紹介しましょう。
脳のメモ帳を何枚か使う感覚を感じてもらうためなのですが、これを脳科学では「ワーキングメモリの多重使用」と呼びます。
これから言葉を1つずつ出します。そのあとちょっとした知的作業をしてもらいます。
机 ユリ 氷
この3つの言葉を覚えてください。
富士の山
この言葉も覚えてください。
では、富士の山を逆から言葉にして呼んでください。
はい、では最初の3つの言葉を思い出してください。
どうですか? 意外と出てこないでしょう? これが、脳のメモ帳を複数使う、ということです。何かを覚えて、余計なことをやって、また思い出す、というもの。このような、ちょっと「面倒くさいな」という作業を脳に課している最中に前頭前野が活性化します。
まさに記憶と作業の組み合わせ、ワーキングメモリなのですね。
篠原さん もう一つ、人と話をする、というのも脳のネットワークを広げやすくする大切な行為です。脳には「出力依存性」という特性があります。
入力しよう、覚えよう、と思ってもさほど新しい情報ネットワークは作られないのですが、出力しようとしたときに、記憶の引き出しである「海馬」がその情報を「必要なもの」と判断し、情報ネットワークを構築しやすい状況にするのです。
面白い、と思ったこと、今日あった出来事を人にしゃべってみる。伝えてみましょう。話すのはもちろんですが、文字で起こす、というのもいいですよ。
インプットも大事だけれど、アウトプットをすれば、よりいっそう脳が活性化するのですね。今回のお話も、読者のみなさんに「こんな面白いことが書いてあった」とSNSで広めてもらいたいですね!
◇ ◇ ◇
次回は、話題になった「スマホ脳」。生活に欠かせなくなったスマホは果たして脳の老化につながるのか、篠原さんの意見を聞く。
篠原菊紀(しのはら きくのり)さん
公立諏訪東京理科大学工学部情報応用工学科教授。医療介護・健康工学研究部門長
専門は脳科学、応用健康科学。遊ぶ、運動する、学習するといった日常の場面における脳活動を調べている。ドーパミン神経系の特徴を利用し遊技機のもたらす快感を量的に計測したり、ギャンブル障害・ゲーム障害の実態調査や予防・ケア、脳トレーニング、AI(人工知能)研究など、ヒトの脳のメカニズムを探求する。

舅・姑からの虐待、毒母の認知症…モンスター親に泣かされ続けた66歳バツイチ女性の半生

2022-01-30 13:30:00 | 日記
下記の記事はプレジデントオンライン様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

26歳で見合い結婚し、夫とその両親と2世帯住宅で暮らしていた女性は22年間の結婚生活に終止符を打った。舅・姑から数々の虐待を受けていたが夫は見て見ぬフリ。実家に戻り平穏な生活が訪れるかと思いきや、今度は母親が認知症に。現在66歳となった女性が激動の半生を振り返る——(前編/全2回)。
写真=iStock.com/Alexey_M
※写真はイメージです
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この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、未婚者や、配偶者と離婚や死別した人、また兄弟姉妹がいても介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。
26歳で結婚し、舅・姑に数々の虐待を受けてきた66歳の激動半生
「ゴミ袋がたくさんあるがどうするつもりや? ゴミだけ置いていくつもりか?」
関西在住の66歳の白石玲子さん(仮名・既婚)。今から18年前の2003年1月、22年間の結婚生活に終止符を打つ決意をして実家に戻っていたある夜、義父から電話がかかってきた。
「いいえ。昼間そちらを出るときにお義父さんに説明したとおり、明日引っ越し荷物と一緒に処分します。ゴミを置いていくようなことはしません」
当時48歳の白石さんは、そばにいた母親がびっくりするくらい冷淡な口調で言った。
母親が勧める見合いで26歳のときに結婚し、やがて義両親と同居した。義父と夫がお金を出し合い、2世帯住宅を建てたのがそのきっかけだが、この義両親がひどかった。
「この家の家長は俺だ!」と家の中でも外でも威張り散らす義父と、「私も姑にひどく虐められた」と言いながら白石さんをひどく虐める義母。そして22年間、一度も白石さんを庇おうとしなかった夫。
白石さんが初めて義両親の愚痴を夫にこぼしたとき、「俺の親の悪口を言うことは許さない」と言って夫は1カ月も口を聞かなかった。そればかりか、白石さんが作った料理をゴミ箱に捨て、自分で作って食べていた。
それでも白石さんは、「自分の都合で息子から父親を奪ってはいけない」と我慢し続けた。
しかし、2000年4月に息子が大学に進学し、下宿を始めると、家の中は義両親と夫だけ。夫も義両親も、これまで一度たりとも白石さんが外で働くことを許さなかったが、息子のいない空間では息が詰まる。白石さんは、何度も必死に頼み込み、やっとパートに出ることを許された。
外で働き始めた白石さんは、“生きている実感”を取り戻す。そしてもう二度と“籠の鳥”には戻れなくなった。2002年11月、白石さんは思い切って、夫と義両親に離婚を切り出した。
すると義父はこう言った。
「俺たちのせいでお前たちの仲が悪くなるのなら、もう2世帯同居はやめよう。家を建てる時にお前が出した金は返すから出て行け。これ以上迷惑をかけられたくない」
すると夫は言った。
「俺に金を返すために親父に借金させるわけにはいかない」。

夫は一度も自分をかばわず、義両親の側に立った
夫は白石さんと離婚する道を選んだのだ。
2003年1月、白石さんは義父から電話を受けた翌早朝に起き、残りの私物を取りに向かう。年末年始に帰省していた息子が下宿先に戻った翌日に引越しを決めたため、息子はいない。味方のいない家に向かうのはひどく気が重かった。
1時間ほどして到着すると、2台分の駐車スペースがあるカーポートの真ん中に、義父の車が停められていた。仕方なく白石さんは家の前に路駐する。
荷造りやゴミ出しが終わると、義父に呼ばれた。義父は紙とペンを出し、「婚姻時の姓を名乗りません」「子どもの親権は放棄します」「結婚時に持ってきた荷物は余さずに引き取りました」と書けと言うので、白石さんは言われた通りに書く。
最後に白石さんは、義父に離婚届への記名押印を頼むと、義父は渋々応じた。
白石さんはその足で市役所に行き、離婚届と転出届を提出。清々した気持ちで友だちとお茶をし、実家へ向かった。
実家に戻り平穏な人生を望んだが、元毒親の母は認知症に……
夫と義両親との関係を清算し人生をやり直そうとした白石さんだが、新たな障壁が現われた。母親だ。
父親は1991年、白石さんが36歳のときに65歳で亡くなった。
当時61歳だった母親は喫茶店で働いていたが、1995年に喫茶店が閉店。以降、母親はシルバー人材センターの事務を始めた。
2000年、親戚の法事に出るため、白石さんは母親とともに車で向かったが、途中、高速にのる前にトイレを済ませたにも関わらず、母親は車の中で漏らしてしまう。その頃から母親は、シルバー人材センターの仕事を「難しい」と言って断るように。同じ話を何度もするようになり、白石さんが指摘しても、意に介さない。
2003年1月に白石さんが離婚して戻ってくると、母親はそれまで一人でできていたことも、全くやらなくなっていく。
「母は、私をこき使うようになりました。整形外科の受付の順番を取るために、朝早くから診察券を入れてこい。時間がきたら整形外科まで連れて行け。習い事に送って行け、早退するから迎えに来い。食事の準備をしろ、台所の排水が詰まったから直せ、エアコンや換気扇の掃除をしろ……。私は子どもの頃からずっと、母から支配されていて、母の顔色を窺いながら母の機嫌を先読みして動くのが常になっていました。それでも母のことが大好きで、母に気に入られるような良い子でないといけないと思い、何度か母が反対する恋人とは別れ、母が勧める人と26歳で結婚。すべては、私の幸せを願ってのことだと信じていました……」

49歳になった白石さんは73歳の母親の世話のため営業の仕事を辞めた
2003年12月。白石さんが仕事に出ていると、突然母親から電話がかかってきた。
「私なあ、昨日から病院に泊まっているんやわ。ごぼうが喉に詰まって、お隣さんに電話して救急車で運んできてもろてなあ。医師に家族を呼べと言われたのですぐに来て欲しいんやけど」
写真=iStock.com/Koarakko
※写真はイメージです
当時、営業の仕事をしていた白石さんはその日、隣の県まで出張していた。急いで家へ帰り、入院の準備をして病院へ向かう。
医師には、「年末年始にまた食べ物を喉に詰めたら困るので、年明けまで入院してもらいます」と言われ、看護師には、「お母さん認知症でしょうか? 昨晩暴れて、ここがどこかわからないみたいなことを言っていました」と聞かされた。
「当時私は、何となく母の異変に気付いていました。でも現実を直視したくなくて、家にいるとこき使われるのが煩わしくて、仕事に打ち込み、出張を口実に、週に2~3日しか家に帰っていませんでした」
2004年1月。母親がごぼうを喉に詰まらせた原因はわからなかったが、退院が決まる。
母親は73歳。49歳になった白石さんは、「もう母を1人にしておくことはできない」と思い、母親の世話をするため営業の仕事を辞めた。
娘(玲子)に向かって「レイコはどこへ?」と聞いた母親
退院した母親はある日、白石さんを目の前にして、「レイコはどこ行ったんやろ? 2階で寝てるんかな? ちょっと見てくるわ」と言い出した。びっくりした白石さんは「レイコって誰?」と聞き返す。
すると母親は怒ったように、「レイコは私の娘です!」ときっぱり。
白石さんは自分を指差して、「私(玲子)は誰?」と聞くと、「あんたは姉のほうのレイコや。もう1人、妹のほうのレイコのことを言うてるんや」と真顔で言い返す。白石さんには兄が一人いるだけだ。母親は2階を見に行き、「レイコはいてなかったわ。どこにいったんやろね」と独り言のようにつぶやいた。
白石さんはひどく動揺した。
半年ほど前に母親が可愛がっていた犬が亡くなり、しばらく母親が悲しんでいたことを気にしていた白石さんは、「母には犬が必要だ!」と思い、何度か母親をホームセンターのペットコーナーに連れて行った。
すると以前から目をつけていた子犬は、「商談中」の札がかけられている。
「(先約がいるなら)仕方がないね」と帰りかけたとき、「僕のことを見て!」とでも言わんばかりに、白石さん母娘を見てぴょんぴょん跳ねているポメラニアンの子犬が2人の目に止まった。2人はその子犬に釘付けになっていると、店員が鍵を開け、その子犬を抱いて連れてきてくれた。
白石さんが受け取ると、子犬は顔やら耳やらを舐めまくり大興奮。母親に渡すと、子犬を受け取るなり母親は、「この子を連れて帰るわ」と言った。
そのまま白石さんは手続きを済ませて、子犬を連れて帰った。とても元気な子だったため、母親は「げんき」と名付ける。「げんき」が来てから、家の中が明るくなった。
写真=iStock.com/JasonCordell
※写真はイメージです

愛犬「げんき」を飼い始めたものの、母の言動はい日に日におかしく
しかし、母親の言動は、日に日におかしくなる。
げんきに夕飯をあげたのを忘れて、もう一度あげている。家にいない兄の分までご飯を用意する。そうかと思うと、白石さんの存在を忘れて、一人で黙々とご飯を食べていることもあった。
そんな中、白石さんがげんきを散歩につれていくと、犬の散歩仲間ができた。毎日顔を合わせていると、つい、母親の介護の愚痴を話すこともあった。すると散歩仲間の一人のAさんが、介護認定を受けることを勧める。Aさんは、介護施設でヘルパーをしていたのだ。
介護認定を受けると、母親は要介護2。ケアマネージャーも決定し、デイサービスや訪問介護利用などのケアプランが立てられていった。そしてAさんの「ずっとお母さんのそばにいるのも良くないよ」とのアドバイスで、白石さんはパートに出ることを決めた。
訪問介護が始まると母親は、「あの人は好きやけど、あの人は嫌い」とヘルパーの悪口を言い始める。初めは、嫌いな人が作った食事を食べないだけだったが、だんだんヘルパーが作ったものは全く食べなくなってしまう。
仕方がないので白石さんが作るが、それも食べない。困った白石さんが「何で食べへんの?」と訊ねると、母親は「冷蔵庫が開けられへん」とうそぶく。
母親は、50キロ近くあった体重が35キロを下回った。
「私が母に相談もなしにヘルパーさんを頼んだり、デイサービスに行かせたりすることへのあてつけだと思いました。どんどん痩せていく母を目の前に、私はどうしたらいいのかわからなくなりました……」


  • 旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
  • ライター・グラフィックデザイナー
  • 愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う

70代が「老い」の分かれ道、よぼよぼの80代にならないための過ごし方

2022-01-30 12:00:00 | 日記
下記の記事はダイアモンドオンライン様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

人生100年時代。現在の70代の日本人はかつての70代とは違います。若々しく、健康になった70代の10年間は、人生における「最後の活動期」とも言えます。70代の過ごし方が、その人がどう老いていくかを決めるとも言えます。要介護状態を遠ざけ、自立した80代以降の老いを迎えるためには、どう過ごせばいいしょうか。30年以上にわたって高齢者専門の精神科医として医療現場に携わってきた和田秀樹さんの『70歳が老化の分かれ道 若さを持続する人、一気に衰える人の違い』(詩想社新書)から抜粋します。
平均寿命は延びたが
健康寿命は男女とも75歳に届かず
人生100年時代ということが語られて久しくなりましたが、実際に人々、とくに女性は90代まで生きることが当たり前の時代になりました。おそらく今後も医学の進歩が進むでしょうから、100歳というのは夢物語ではなくなることでしょう。
ところが日常生活にまったく制限なく生きていられる健康寿命の延びは、平均寿命の延びに追いついておらず、男女とも75歳に届いていません。
要するに、70代をうまく生きないと、長生きはできてもよぼよぼとしたり、介護を受ける期間の長い高齢者になってしまうということです。
一方で、高齢者というのはとても個人差の大きい年代です。
2016年の時点で、男性の健康寿命の平均は72.14歳、女性は74.79歳ということになっていますが、これはあくまで平均値です。男性でも80歳を過ぎて矍鑠(かくしゃく)とした現役の経営者や学者、そしてフルマラソンを走るような人がいる一方で、60代から要介護状態に陥ってしまう人がいます。
ただ、一般的には70歳の時点ではまだ頭も身体もしっかりしているという人が大多数であるはずです。ここで、どのような生き方をするかでいつまで元気で頭のしっかりした高齢者でいられるかが決まってくるのです。
私が長年高齢者とかかわってきて、痛感してきたことはいくつかあります。
気持ちが若く、いろいろなことを続けている人は、長い間若くいられる。
栄養状態のよしあしが、健康長寿でいられるかどうかを決める。
そして、それ以上に重要なのは、人々を長生きさせる医療と、健康でいさせてくれる医療は違うということです。
たとえば、コレステロールというものは長生きの敵のように言われていますが、コレステロールの高い人ほどうつ病になりにくいし、それが男性ホルモンの材料なので、男性ではコレステロールが高い人ほど元気で頭がしっかりしています。
血圧や血糖値にしても、高めのほうが頭がはっきりするので、薬でそれを下げると頭がぼんやりしがちです。また、高血圧や高血糖に対して塩分制限や食事制限が課されることが多いわけですが、生きる楽しみを奪われたり、味気ないものを食べることになるので、元気のないお年寄りになりがちです。
ところが、日本では大規模調査がほとんどなされておらず、この長生きのための医療にしても、それで本当に長生きできるのかははっきりしないのです。実際、コレステロールが高めの人や、太めの人のほうが高齢になってからの死亡率が低いことが明らかになっています。
高齢者をあまり診ていない人による旧来型の医療常識に縛られず、70代をどう生きるかで残りの人生が大きく違うというのが、私の30年以上の臨床経験からの実感です。
いまの70代は、
かつての70代とはまったく違う
私はこれまで30年以上にわたって、高齢者専門の医療現場に携わってきましたが、日本人にとっては今後、70代の生き方が、老後生活において非常に重要になってくると考えています。
70代の生き方が、その後、要介護となる時期を遅らせて、生き生きとした生活をどれだけ持続できるかということに、大きくかかわっているからです。
なぜ、70代の生活がその人の晩年のあり方を左右するようになってきたのか、まずはそこから本書を始めようと思います。
現在の70代の人たちは、戦前生まれの人が70代になった頃と比べて、格段に若々しく、元気になってきました。
戦後の大幅な出生人口増加期に生まれた団塊の世代(1947~1949年生まれ)の人たちも、2020年にはみな70代になっていますが、この団塊の世代に代表される現在の70代は、少し前までの70代の人とは、大きく違います。身体の健康度、若々しさがまったく違うのです。
たとえば1980年当時、60代後半、つまり65~69歳の人のおよそ10%近くの人が普通に歩行することができませんでした。しかし、2000年には、正常歩行できない人が2~3%に激減しています。
第2次世界大戦後
元気な70代が増えた理由
私も高齢者を長年診ていますが、かつての70代はそれなりによぼよぼしていましたが、いまの70代はまだまだ元気な人が多く、10歳くらい若返ったような印象です。
このような元気な70代が増えた理由には、第2次世界大戦後の栄養状態の改善が挙げられます。戦後の食糧難にあえぐ日本に、アメリカから余った脱脂粉乳が大量に送り込まれましたが、このころから日本人の栄養状態が改善します。
成長期の栄養状態が改善したことで、日本人の寿命は延び、体格もよくなり、現在の若々しい元気な高齢者を出現させています。
戦後の結核の撲滅については、ストレプトマイシンという抗生物質のおかげだと考えている人も多くいますが、実際はタンパク質を多くとるような栄養状態の改善が、免疫力の向上をもたらしたことによって可能となったのが真相です。
そもそもストレプトマイシンは結核になってからの治療薬であって、それが結核を激減させた理由にはなりません。結核を予防するBCG接種も、開始されたのは1950年ころからです。赤ちゃんのときに接種して、その効果で結核が減るとしても、統計に現れてくるのは少なくとも赤ちゃんが成長した10年後くらい、1960年代くらいからになるはずです。
しかし、結核の減少は、1947年くらいから始まっています。これは、アメリカからの支援物資による栄養状態の改善時期と一致します。
戦前の日本人も摂取カロリーでいえば、それなりにとっていましたが、タンパク質は驚くほどとっていませんでした。そのため免疫力が低く、結核で亡くなる人が多かったのです。
それが戦後の栄養状態改善で結核が減り、若いときに死ぬ人が激減しました。これによって平均寿命が一気に延びたのです。若くして亡くなる人を減らすことが、平均寿命を延ばす大きな要因になります。
また、それと同時に日本人の体格も向上していきます。男の平均身長が170センチを超えたのが、1970年前後です。昔は子どもの頃の栄養失調もあって、小さい高齢者がときどきいましたが、いまではほとんどいません。
戦後生まれの人たちはこうして平均寿命を延ばし、体格も立派になって、健康で若々しさを保つようになってきたのです。その先駆けが、いま、70代を迎えている人たちなのです。
もはや70代は現役時代の延長で
いられる期間となった
日本よりも栄養状態のよかったアメリカでは、これまでの世代とは違った元気な70代が、日本よりも一足先に社会に登場します。
1974年、アメリカの老年学の権威であるシカゴ大学のベルニース・ニューガートンは、それまで65歳以上を高齢者とみなしていた社会に対して、75歳くらいまでは、体力的にも、知的機能的にも中高年とたいして変わらないと提起します。そして、その世代を「ヤング・オールド」と呼びました。
さらに、75歳を過ぎるころから、認知機能が落ちてきたり、病気などで介護が必要な人も出てくる世代ということで、「オールド・オールド」と定義しました。これはのちに、日本における前期高齢者、後期高齢者という考え方につながっていきました。
しかし、ニューガートンがこの考え方を提唱した1970年代当時の日本では、まだ、75歳の日本人たちは、若いころの栄養状態も悪く、身体も小さく、老いるのがいまより早かったのです。そのため、アメリカの高齢者のように元気と言える状況ではありませんでした。
それが1990年代に入ったあたりから、日本でも元気な高齢者が増えてきました。私は1988年から浴風会という高齢者専門の総合病院に勤めていましたが、多くの高齢者を診てくるなかで、次第にニューガートンと同じ考えを持つようになりました。
1997年には、『75歳現役社会論』(NHK出版)という本を著し、そこで、75歳くらいまでは、知的機能や体力、内臓機能など、中高年のころと大差なく、現役時代同様の生活ができるということを説きました。
そして、当時からさらに20年以上が経ったいま、医療はさらに進歩し、70代の人の要介護比率も改善してきています。その現実を踏まえれば、現在の日本では、75歳ではなく、80歳までは、多くの人が現役時代のような生活を送れる可能性がある社会になってきたと言えるでしょう。
これまでは70代ともなると、大病を患ったり、病院での生活を強いられたり、介護が必要となったりする人もそれなりにいましたが、今後は、自立して多くの人たちが70代を過ごすことになっていきます。70代の10年間は、ある意味、中高年の延長で生活できる期間となったのです。
それは、人生における「最後の活動期」と言ってもいいと思います。70代が活動期になったからこそ、その過ごし方が、80代以降の老いを大きく左右するようになったのです。
70代であれば、身体も動くし、頭もはっきりしていますから、日々の生活の心がけ次第で、80代以降の健やかな生活につながります。
ただ、70代には特有の脆弱さもありますから、放っておいたら衰えは進みます。だから意図的に、心がけることが大事になってきます。
「人生100年時代」に
70代はターニングポイント
現代の日本において、70代の過ごし方が重要性を増してきた理由には、超長寿化によって、老いの期間がこれまでより延長するようになってきたという点も挙げられます。
そもそも、前述したように、これまで日本人は、戦後の栄養状態の改善によって、大きく寿命を延ばし、前の世代よりも若々しくなってきました。
かつて漫画『サザエさん』の連載が始まったのは1947年ですが、父親の磯野波平は当時、54歳の設定でした。いまの私たちから見ると、どう見ても60代半ばに見えます。それくらい、現代の日本人は若返ってきたのです。
しかし、この栄養状態の改善が、人々の若返りや寿命の延びに寄与してきたのも、1960年くらいに生まれた人たちまでで終わったと私は考えています。実際、日本人の平均身長の推移も、戦後、急速に伸びてきましたが、ここ20年くらいは伸びが止まっています。もはや栄養状態の改善は、日本全体に行きわたり、そのことが寿命の延びを牽引していくという時代は終わっているのです。
しかし実際にその後も、日本人の平均寿命は延び続け、これからも延びていくと予想されています。これは、医学の進歩がそうさせるのです。
日本人は戦後に劇的に若返ってきた体験をしているので、「人生100年時代」などと言われると、いまよりさらに若返りが可能になり、寿命が延びていくと考える人もいますが、それは正しい認識ではありません。
80歳や90歳になっても、いまの70代の人たちのように元気に活躍できるようになって、人生のゴールがどんどん後ろにずれていくというのは幻想でしかありません。
若返るのではなく、医学の進歩によって、「死なない」から超長寿になるというのが「人生100年時代」の実像です。
伸長した老いの期間を
左右するのが70代になる
80歳にもなれば、みな老いに直面することになります。しかし一方で、寿命だけは延びていく。これは、私たちの人生設計を大きく変えることになるかもしれません。これまではせいぜい10年ほどだった「老い」の期間が、15~20年に延長する人生が標準になっていくからです。
今後は、伸長した老いの期間をどう生きるかが重要な課題になっていくでしょう。そして、その延長した老いのあり方を左右するのが、人生終盤の活動期である70代ということになります。
寿命がますます延びていく「人生100年時代」だからこそ、70代はますます重要性を増してきているのです。
本書では、運転免許を返納してはいけない、肉を食べる習慣が「老い」を遠ざける、運動習慣などの「老いを遅らせる70代の生活」、70代の人のかしこい医師の選び方などの「知らないと寿命を縮める70代の医療との付き合い方」、趣味を働いているうちにつくろう、高齢者の「うつ」の見分け方などの「退職、介護、死別、うつ……『70代の危機』を乗り越える」について紹介しています。
和田秀樹:精神科医

愛子さまが成年会見で問われる「小室眞子さんの結婚」と「理想の男性像」

2022-01-30 11:00:00 | 日記
下記の記事は週間女性プライム様のホームページからお借り紹介します。(コピー)です。

「3月中旬、愛子さまは初めての記者会見に臨まれます。これは成年に際しての会見ですが、愛子さまが20歳になられたのは昨年の12月1日。通常、皇族方の成年会見の内容はお誕生日の当日に公になるため、3か月以上も期間が空く今回の会見日程はかなり異例なことです。
『学習院大学』の2年生でいらっしゃる愛子さまは学業でご多忙、というのが日程が延期されている主な理由のようです。コロナ禍を考慮してオンラインで授業を受けられている愛子さまは、普通の学生よりも“ハンデ”がおありのようで、課題提出やレポート作成や試験勉強に苦労されていると聞いています」(侍従職関係者)
「アドリブで答える」場面も
一方で学業以外にも「会見が先延ばしになった理由がある」と、この関係者が続ける。
「雅子さまが、愛子さまの会見にとても気を巡らせておられるのです。愛子さまにとって初めての会見で、生で記者とのやり取りやアドリブで回答する場面もあります。会見内容はもちろんですが、立ち振る舞いや話し方、アドリブ対応などに関して、細かく準備するため時間を要しているようです」
いずれにせよ、愛子さまが会見でどんなお言葉を述べられるのかを楽しみにしている国民は多いことだろう。
そんな中、『週刊女性PRIME』は、3月に行われる会見で愛子さまに投げかけられる質問内容の情報をひと足先に入手した。
「質問は全部で5つです。成年皇族として今後どのような公務に取り組まれたいか、大学生活や海外留学へのご関心についてや、両陛下との思い出などを聞かれる予定。すべての質問が終わった後は、その場で記者から聞かれる関連質問があり、愛子さまはアドリブでお答えになります」(宮内庁関係者)
中には「愛子さまご自身の性格について」に関しての質問も用意されている。
過去の例で言えば'14年、秋篠宮家の次女・佳子さまも成年会見でご自身の性格について問われた際、
「私の性格についてですが、長所は自分では余り思いつきません。短所は、父と同じように導火線が短いところがありまして、家の中ではささいなことで口論になってしまうこともございます」
と、それまで知られていなかった秋篠宮さまとの親子関係が垣間見えるエピソードを披露された。愛子さまに関しても、意外なお人柄が感じられるお話を明かされるのかもしれない。
『令和』に沿われた愛子さまのご活動
ほかにも、天皇家で飼われている犬や猫との思い出も問われるという。
「天皇ご一家が飼われている日本犬のミックス犬である『由莉』は、ごきょうだいのいない愛子さまにとって“相棒”のような存在。20歳のお誕生日に公開されたお写真にも由莉を連れていらっしゃいました。
由莉は元々保護犬で、とある動物病院からご一家が引き取られたのです。名付け親も愛子さまで、ご静養で地方に行かれるときは幼い愛子さまが由莉を抱えて連れて行かれたことも」(宮内庁OB)
愛子さまにとって動物の存在は、今後の公的活動にも関わってくる可能性が高い。
那須御用邸でご静養のため那須塩原駅にご到着。ピッピとマリの死後に飼い始めた保護犬の由莉は愛子さまが命名された
【写真多数】愛子さまが激かわ「指さしポーズ」、運動会でのハッスル姿、麗しのドレスほか
「ご両親と同じように動物愛護へのご関心が強い愛子さまは『学習院初等科』の卒業文集や高等科での卒業レポートでも“犬や猫”をテーマに執筆されたり、学習院大学でのイベントで出展されていた『アイメイト協会』の啓発ブースにも必ず足を運ばれています。盲導犬の活動を支援するため、その場で販売されている協会のグッズを購入したり、募金をされることもありました。
公的活動という意味でも、盲導犬関連の団体が主催する行事に参加されるなど、動物関連の団体支援を行われることも十分考えられます。動物関係は『令和』の象徴的なご活動のひとつになり得るので、愛子さまの抱かれる動物愛はそれに沿ったいいご活動につながると思いますよ」(同・前)


そんな中、昨年の皇室にとって大きな出来事となった秋篠宮の長女・小室眞子さんについての質問も、今回は盛り込まれているそうだ。
初めて語られる「結婚観」
「眞子さんとの思い出や、小室圭さんとの結婚に至るまでの経緯に対する受け止めを問われます。愛子さまは、天皇ご一家が昨秋に引っ越されるまでの19年間、秋篠宮家のお住まいがある赤坂御用地内で暮らしておられたことから、いとこにあたる眞子さんとの交流も当然、多くおありでした。
 両陛下や上皇ご夫妻のお誕生日や結婚記念日など、お祝いの食事会でも同席されていましたし、身近にいる年の近い内親王の先輩として、愛子さまにとって眞子さんは“姉”のような存在。長らく結婚が延期されてしまった眞子さんのことを心配されていたようですから、無事に結婚が成就された喜びのお気持ちを述べられるのでは」(前出・侍従職関係者)
そして今回の会見で、関係者たちがいちばん注目しているのが、愛子さまの“結婚観”について。
結婚記者会見での小室眞子さんと小室圭さん(2021年10月26日)
【写真多数】愛子さまが激かわ「指さしポーズ」、運動会でのハッスル姿、麗しのドレスほか
「愛子さまが抱かれる結婚そのものに対する考え方や、理想の結婚時期やパートナー像についての質問も用意されています。ただ、眞子さんの結婚が世間から賛否両論の声が飛び交ったように、現在の女性皇族の結婚はかなりシビアな問題になっています。
ましてや、天皇家の長女でいらっしゃる愛子さまはまだ、天皇陛下の直系として『女性天皇』に即位される可能性が残されています。実際、世間からは“愛子天皇待望論”も出ており、支持する国民も多いことが世論調査でわかっています。

しかし、安定的な皇位継承に関する議論がまとまらないうちに愛子さまが結婚されてしまえば、皇室を離れられてしまいます。当然ご自身も、皇族の人数減少の危機を痛いほど理解されていることでしょう。3月の会見で語られる結婚観については、かなり慎重に言葉を選ばれると思いますよ」(前出・宮内庁関係者)
《これからは成年皇族の一員として、一つ一つのお務めに真摯に向き合い、できる限り両陛下をお助けしていきたいと考えております》
20歳のお誕生日に際しての文書でそう述べられた愛子さまは、どのような将来を描かれているのだろうか。

万病を防ぎ、効果が長続きする「ウォーキングの鉄則」とは

2022-01-30 08:30:00 | 日記
下記の記事は日経グッディ様のホームページからお借りして紹介します。

「今年こそ運動する!」と意気込んでも、長く続けるのはなかなか難しいもの。軽い運動を増やすだけでは効果は実感しにくく、かといってハードな運動にすると体がついていかず、三日坊主になりがちだ。そこでお勧めなのが、適度な運動強度があり、手軽に取り組める「インターバル速歩」だ。インターバル速歩は、「早歩き3分+普通歩き3分」を繰り返すウォーキング法のこと。本特集では、その健康効果を裏づける豊富なエビデンス(科学的根拠)と実践法を、3回にわたってじっくりご紹介する。ジム要らずのウォーキングで、目指すは体力年齢の「10歳若返り」だ。

運動しているのに今一つ効果がない…そんな人こそインターバル速歩

運動を三日坊主に終わらせず、効果も上げるなら、早歩きと普通歩きを繰り返す「インターバル速歩」がお勧めだ。(写真=123RF)
コロナ禍が始まって丸2年が過ぎた。当初は、「外出が減って運動不足になった」「食べることが唯一の楽しみになって体重が増えた」といったぼやきがよく聞かれたが、最近は「このままではまずい」とばかりに、ウォーキングやジョギングに励む人が増えてきたように感じる。
実際に、2021年の上半期のスポーツシューズ・アパレル市場は、前年同期比で4.3%増加している。コロナ前の2019年から一時は大きく売り上げが減ったが、回復傾向に転じたことが分かる(*1)。
だが、わざわざ時間を割いて運動した割には、体力がついた気がしない、体重もあまり減らない…こんな感想を持つ人もいるのではないだろうか。せっかく運動しても、微々たる効果しか得られないのではもったいない。どうせやるなら、努力に見合った成果を手にしたいものだ。それでこそ、継続のモチベーションにもつながる。
では、確実に効果のある運動とは何だろうか? これまで日経Goodayでは、体力の維持・向上を目的とするさまざまな運動を取り上げてきた。その1つが、「インターバル速歩」だ。
インターバル速歩とは、早歩きと普通の歩きを3分ずつ繰り返すウォーキング法のこと(図1)。通常のウォーキングに比べて運動強度が高い分だけ筋肉への刺激も大きく、かつ、「きつすぎない」ので運動不足の人でも無理なく取り組め、長続きしやすいという特徴を持つ。インターバル速歩の提唱者である、信州大学学術研究院医学系・特任教授の能勢博さんは、コロナ禍で運動不足になっている人こそ、インターバル速歩がお勧めだと話す。「インターバル速歩はいつでもどこでも手軽にできる、ジム要らずの運動法です。歩くだけで体力向上、生活習慣病が改善するなどの効果を確実に得ることができ、体力の10歳の若返りも不可能ではありません」(能勢さん)
図1 インターバル速歩の基本的な進め方とその効果

体力は30歳ごろをピークに下り坂に転じ、10歳年をとるごとに約10%ずつ衰えていく。しかし、インターバル速歩を10年続けた人の中には、10歳年をとっても体力が下がらずキープできている人もいるという。インターバル速歩は将来要介護になる年齢を引き上げる、「介護要らず」の運動でもあるのだ。続けやすく、ジム要らずのウォーキングで体力を落とさずに済むなら、これに取り組まない手はない。