今から50年前の1972年9月29日,北京で当時の田中角栄総理大臣と中国の周恩来首相が日中共同声明に調印し,日本と中国の国交が正常化しました。日中国交回復は,田中角栄氏の栄光を象徴しています。
「軍事大国には決してなりたくない」「私たちが台湾を武力で解放することはない」。周首相は田中首相との会談でこう語っていました。
それから半世紀。中国は日本を抜いて世界第2の経済大国となり,軍事面でも台頭しました。今や米国と世界規模で覇権を争っています。
中国は,日本にとって最大の貿易相手国となりました。だが,中国の頻繁な沖縄県尖閣諸島周辺海域への領海侵入,台湾をめぐる情勢などがあって祝賀ムードは低調です。中国が覇権主義的な動き強める中,日中両国間では対面での首脳会談が3年近く行われていません。29日東京で開かれる記念のイベントには岸田総理大臣は出席せず、林外務大臣が出席するにとどまるということです。
▼中国の今を強硬姿勢を見抜いていた大平外相の慧眼
出典:https://www.jiji.com/jc/article?k=2022092300415&g=pol 2022年09月24日07時16分 :時事通信ウエブサイト
「中国は低姿勢だったが,50年たったら態度はガラッと変わる。大きく経済発展して日本を見下すようになるよ」。共同声明調印式を終え,中国から帰国する日本航空特別機の中で,
(外相)は娘婿でもある秘書官の森田一(88,後に運輸相)にこう語り掛けという。
一連の交渉を間近で見た森田の脳裏には,中国側の腰の低さが焼き付いていた。森田も当時,「なぜ中国はこんなに譲るのか」と疑問に思っていた。背景にあったのは,当時の超大国ソ連と中国の対立激化。大きく譲歩してでも対日関係を早期に正常化させた方が得策だという「高度な判断」があったと回想する。
「軍事大国には決してなりたくない」「私たちが台湾を武力で解放することはない」。周は田中との会談でこう語っていた。
それから半世紀。中国は日本を抜いて世界第2の経済大国となり,軍事面でも台頭した。今や米国と世界規模で覇権を争い,東アジアは「発火点」となる危険をはらむ。
◆角栄氏と肩を並べる度量ある政治家の出現を望む!!
田中角栄氏は,いまの両国関係の冷え込みを予知していたでありましょうか。また,「両国国民の友好が何代にもわたって続くように古い友人を忘れず、新しい友人を広く求めよ」と語った周恩来氏が関係悪化の現状を知ったら,「どうすべき」と,言うでありましょうか。
日中間悪化,先が見えないロシアのウクライナ侵攻という世界情勢にあって,田中角栄氏のもつ政治家としての能力や度量,時代を見すえての政策形成能力に肩を並べる度量ある政治家の出現を切望します。