▼ドルフィンポート 桜島桟橋通電停 「赤倉の跡碑」
赤倉跡とは,鹿児島医学校の病院の跡地を指します。ここに鹿児島藩が1869(明治2)年に招いた英国人医師ウィリアム・ウィリスのために建てた病院が赤レンガ造りの洋館であったことからそう呼ばれていました。
|
|||||||||||||||||
◇高木兼寛 出典:ウィキペディア 薩摩藩郷士・高木喜助兼次の長男として日向国諸県郡穆佐郷(現・宮崎県宮崎市、昭和の大合併前の東諸県郡穆佐村、昭和の大合併後から平成の大合併前までは東諸県郡高岡町)に生まれる。 18歳のときから薩摩藩蘭方医の石神良策に師事、戊辰戦争の際には薩摩藩兵の軍医として従軍した。明治2年(1869年)、開成所洋学局に入学し英語と西洋医学を学ぶ。明治3年(1870年)、薩摩藩によって創設された鹿児島医学校に入学するが、校長の英人ウィリアム・ウィリスに認められて教授に抜擢された。 明治21年(1888年)日本最初の博士号授与者(文学・法学・工学・医学各4名)の列に加えられ、医学博士号を授与された。さらに日露戦争で麦飯の有効性が注目されていた明治38年(1905年)には、華族に列せられて男爵位を授けられた。 |
|||||||||||||||||
『 白い航跡(上)(下) 新装版』 薩摩藩の軍医として戊辰戦争に従軍した高木兼寛は、戦争のむごたらしさと戦傷に対処できない漢方医の無力さを憂い、西洋医学習得の必要性に目覚める。
|
手動発電 懐中電灯 3LED ライト 握って点灯 電池不要 防災グッズ★... 価格:380円(税込、送料別) |