87歳になる奥村氏が2015年に刊行された著書を読み、「目から鱗」的な啓発を受けたので、以下次回も継続してこの著書のエッセンスを紹介したい。
奥村氏はこの本の中で最初に、「自分の経歴と経済学者としての方法論」を語っている。
その前に、この本で何を主張しようとしているのかを、第1章で明らかにする。それは「格差という病」と題され、副題は「ピケティ『21世紀の資本論』に欠けているもの」となっている。
要約すると、ピケティはこの著書(『21世紀の資本論』)で「不平等の拡大に抗議している」が、「資本主義を否定しているわけではなく、資本主義をきちんと管理」(つまり、富裕層に対して適切に課税する、タックスヘイブンなどを認めない―注、この部分は探偵が追加-)すれば問題ないという。
ピケティの本は『21世紀の資本論』と題されているが、それはマルクスの「資本論」とはかなり異なり、「21世紀の資本論」といえるのか、疑問に思えた、と奥村氏は批判する。
その理由を奥村氏は端的に述べる。マルクスが亡くなってから130年以上も経過している。その間に資本主義は大きく変化した。それは資本主義の担い手として株式会社が巨大化したことである。もしマルクスが生きていれば、きっと株式会社について分析し、その分析によって資本主義を解明していたはずだが、残念ながらピケティにはその視点は何もない、と奥村氏はいう。
そして、奥村氏は「金融資本の危機」と題して、ピケティの著作より以前に(2012年に)、ガルブレイスはその著作の中で、「格差拡大の大きな原因になっているのは金融部門にある」と指摘していた、という。
21世紀になってからのアメリカの出来事として注目されるのが、2012年9月に始まった「ウォール街を占拠せよ」という運動である。
つまり、2007年7月からアメリカでは株価が暴落し、これがやがて<リーマン・ショック>へと繋がってゆく。そのきっかけはサブプライム・ローンという住宅金融の破綻からだった。
低所得層にも住宅が買えるようにと考案されたのが、サブプライム・ローンである。この破綻の構造は、最初は住宅の価格は上がっていたのでこれを転売して儲ける、また新しくローンを組む。しかし、価格の下落が始まると、ローンを返せない、という「悪循環」から破綻に帰結して、大混乱になったというものである。
こうして、「サブプライム危機」と「リーマン・ショック」で株価は大暴落、それはまさに<アメリカ金融資本の危機>である。
そこで、アメリカ政府はどうしたかと言うと、緊急経済安定化法を作り、7,000億ドル(約70兆円)もの公的資金を投入して金融機関を救済することになったという。(日本では「公的資金」というが、アメリカではずばり、「タックス・ペイヤーズ・マネー:国民の税金」という。)
奥村氏はここで、「もしマルクスが生きていて、『資本論』を書き直したとしたら、彼は株式会社の問題を正面から取り上げたはずだ」というのである。
このように奥村氏は、マルクスの『資本論』を現在(マルクスの方法論を継承して)自分なりに書き直す作業をこの著書で明らかにされている。
奥村氏がマルクスの「方法論」だけを継承するというのは、自分のこれまでの研究方法の歴史(自分史)を振り返っているからである。
奥村氏は最初、新聞記者(産経新聞、先輩記者に司馬遼太郎がいた)からスタートするが、途中でこの新聞社が今のような体質に変わると、産経を退社して、大阪証券経済研究所に勤務することになる。
そこから、奥村氏はできるだけ、上場企業に通って調査したり、内外の新聞に目を通したという。その理由は日本の経済学も外国の経済学も机上の理論だけで、実際の株式会社を調査したり、分析対象にしていないので、自分独自の方法を取る以外なかったからだという。
その場合に大いに参考になったのが「ジャーナリスト マルクス」の「方法」だったのである。
実際、マルクスはロンドンに亡命して生活費はどうしていたかというと、アメリカの「ニューヨーク・デイリー・トリビューン」に原稿を送って生計を」立てていたのだった。
こうして、「新聞経済学者」マルクスにあやかり、奥村氏は独自の経済学の方法論を打ちたて、日本の企業(株式会社)の分析を行い、「法人資本主義」という研究成果を世に問うことになる。
この続きは次回のコラムで記述するが、そのあらすじを書くと、奥村氏は資本主義:巨大株式会社の大きな矛盾はその「有限責任」という原則にあり、これを否定して株式会社の「無責任体制」を改めない限り、資本主義に未来はない、つまり現代の人類に暗黒の未来しか訪れないというのである。
「護憲+コラム」より
名無しの探偵
奥村氏はこの本の中で最初に、「自分の経歴と経済学者としての方法論」を語っている。
その前に、この本で何を主張しようとしているのかを、第1章で明らかにする。それは「格差という病」と題され、副題は「ピケティ『21世紀の資本論』に欠けているもの」となっている。
要約すると、ピケティはこの著書(『21世紀の資本論』)で「不平等の拡大に抗議している」が、「資本主義を否定しているわけではなく、資本主義をきちんと管理」(つまり、富裕層に対して適切に課税する、タックスヘイブンなどを認めない―注、この部分は探偵が追加-)すれば問題ないという。
ピケティの本は『21世紀の資本論』と題されているが、それはマルクスの「資本論」とはかなり異なり、「21世紀の資本論」といえるのか、疑問に思えた、と奥村氏は批判する。
その理由を奥村氏は端的に述べる。マルクスが亡くなってから130年以上も経過している。その間に資本主義は大きく変化した。それは資本主義の担い手として株式会社が巨大化したことである。もしマルクスが生きていれば、きっと株式会社について分析し、その分析によって資本主義を解明していたはずだが、残念ながらピケティにはその視点は何もない、と奥村氏はいう。
そして、奥村氏は「金融資本の危機」と題して、ピケティの著作より以前に(2012年に)、ガルブレイスはその著作の中で、「格差拡大の大きな原因になっているのは金融部門にある」と指摘していた、という。
21世紀になってからのアメリカの出来事として注目されるのが、2012年9月に始まった「ウォール街を占拠せよ」という運動である。
つまり、2007年7月からアメリカでは株価が暴落し、これがやがて<リーマン・ショック>へと繋がってゆく。そのきっかけはサブプライム・ローンという住宅金融の破綻からだった。
低所得層にも住宅が買えるようにと考案されたのが、サブプライム・ローンである。この破綻の構造は、最初は住宅の価格は上がっていたのでこれを転売して儲ける、また新しくローンを組む。しかし、価格の下落が始まると、ローンを返せない、という「悪循環」から破綻に帰結して、大混乱になったというものである。
こうして、「サブプライム危機」と「リーマン・ショック」で株価は大暴落、それはまさに<アメリカ金融資本の危機>である。
そこで、アメリカ政府はどうしたかと言うと、緊急経済安定化法を作り、7,000億ドル(約70兆円)もの公的資金を投入して金融機関を救済することになったという。(日本では「公的資金」というが、アメリカではずばり、「タックス・ペイヤーズ・マネー:国民の税金」という。)
奥村氏はここで、「もしマルクスが生きていて、『資本論』を書き直したとしたら、彼は株式会社の問題を正面から取り上げたはずだ」というのである。
このように奥村氏は、マルクスの『資本論』を現在(マルクスの方法論を継承して)自分なりに書き直す作業をこの著書で明らかにされている。
奥村氏がマルクスの「方法論」だけを継承するというのは、自分のこれまでの研究方法の歴史(自分史)を振り返っているからである。
奥村氏は最初、新聞記者(産経新聞、先輩記者に司馬遼太郎がいた)からスタートするが、途中でこの新聞社が今のような体質に変わると、産経を退社して、大阪証券経済研究所に勤務することになる。
そこから、奥村氏はできるだけ、上場企業に通って調査したり、内外の新聞に目を通したという。その理由は日本の経済学も外国の経済学も机上の理論だけで、実際の株式会社を調査したり、分析対象にしていないので、自分独自の方法を取る以外なかったからだという。
その場合に大いに参考になったのが「ジャーナリスト マルクス」の「方法」だったのである。
実際、マルクスはロンドンに亡命して生活費はどうしていたかというと、アメリカの「ニューヨーク・デイリー・トリビューン」に原稿を送って生計を」立てていたのだった。
こうして、「新聞経済学者」マルクスにあやかり、奥村氏は独自の経済学の方法論を打ちたて、日本の企業(株式会社)の分析を行い、「法人資本主義」という研究成果を世に問うことになる。
この続きは次回のコラムで記述するが、そのあらすじを書くと、奥村氏は資本主義:巨大株式会社の大きな矛盾はその「有限責任」という原則にあり、これを否定して株式会社の「無責任体制」を改めない限り、資本主義に未来はない、つまり現代の人類に暗黒の未来しか訪れないというのである。
「護憲+コラム」より
名無しの探偵
