老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

映画「ひめゆり」を見て

2008-01-12 22:24:28 | 戦争・平和
映画「ひめゆり」を見に行って来た。「ひめゆり」とか「ひめゆり部隊」とかいう言葉を聞くたびに既に知っているもの、という意識が私の心の何処かにあった。そして、それはどこか「ああまた…」という不遜な思いにつながるものでもあった。

だから、昨年の11月末に沖縄の「ひめゆり平和資料記念館」に足を運んだ時も、せっかく来たのだから、という思いが最初の一歩だった。しかし、照明を絞ったフロアに展示された16~19歳位の少女達のモノクロの写真を見て、その傍らに展示された彼女達の文章を読んだとき、私は何も知らなくて、まだ何一つ、見ても聞いてもいなかったのだという思いに打ちのめされた。

更に1ヶ月以上経ち、今回の映画で生存者の生きた言葉を聞いた。「平和資料館」で聞いたときもその内容の凄まじさに鳥肌が立つ思いだったが、今回は複数の方々の声を聞いて、その情景が目に浮かぶ思いがした。

当時沖縄で「ひめゆり部隊」に動員された少女達は、赤十字の旗の下の安全な病院を想像していた。そしてほんの1、2週間程度で帰れるつもりで勉強道具なども持参しての参加だったらしい。

実際に任務についた場所は「病院壕」と呼ばれる暗い洞窟のような、しかも敵の銃弾がピュンピュン飛んでくる危険な場所だった。しかし、この壕をつくる手伝いをさせられたときも軍歌を元気に歌い、笑い声さへ聞こえたという。私の娘より幼い彼女達が、辛くて困難な状況にも望みを失わず活動していた情景が思い浮かぶ。

だが、実際に米軍が沖縄に上陸してからは、言葉に尽くせない阿鼻叫喚の地獄図だった。印象的だったのは生存者のお一人が語られた「私達は生き残された、一緒に死ぬことができなかった。その思いを引きずってずっと生きてきた」という言葉。

そして、もうお一方の「自分は偶々弾が当たらない場所を転々と歩いていたような気がする、それは運が良かったというのとも違う、上手く言えないけれど、死んで行った友に今も生かされているという気がする、だから生きている限りは自分の体験を語り伝えることが努めと思う」という言葉も印象に残った。

写真の少女達も凜として美しく可憐、そして語り部となられた方々の美しく、優しげな表情に、過ごして来られた時間の重み辛い日々を思った。

ともすれば怠惰な日々に流される私の生活の中で、沖縄を思う。僅か62年前に起きた戦争に知らないうちに巻き込まれ、生き延びる事さへ許されなかった、教育という名の洗脳の恐ろしさ。知らないうちに私達は沖縄に厖大な犠牲を、戦後62年経った今も強いているのだと思う。

私は沖縄へ行くまで、この映画を見るまで、「ひめゆり部隊」について何も知らなかった、何も見てはいなかった、その言葉を聞くことさえしていなかったのだと、痛切にそう思う。

映画「ひめゆり」
http://www.himeyuri.info/

>日時:1月11日(金)午後5時~8時
>会場:鉄門記念講堂(東大本郷キャンパス・医学部教育研究棟14F)
>主催:東京大学大学院人文社会系研究科グローバルCOE
>   「死生学の展開と組織化」生と死をめぐる映画・学内上映会

「護憲+BBS」「明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽」より
パンドラ

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