マダム”裕子”の日記

マダムバタフライインターナショナルの活動報告です。

スラックスライン

2016-06-11 11:04:19 | Weblog
 
   ”スラックスライン”聞きなれない言葉。何なのでしょう。

  これは、地上120センチの高さに張られた幅5センチのベルトの上で

  飛んだり跳ねたり回転したりするものです。”トランポリン”と”綱渡り”の

  要素を併せ持つ競技の様です。

  この競技は2007年にドイツで生まれた新しいスポ-ツ。

  ワ-ルドカップ、日本選手権と大きな広がりになっています。

  競技は1対1、審査員の採点で決まります、。

  フィギュアスケートの様、構成通りにこなす必要はなくあくまでもフリ-スタイル。

  持ち時間2分の中で勝負する。

  日本女性で世界ランキングに輝いた女性も、もういるそうです。

  この”スラックスライン”リハビリにも、スポ-ツ選手の為にも

  役立つようです。世の中は総て進化です。

  このスポ-ツも、又大きく展開していく事でしょう。

紫陽花

2016-06-10 10:25:44 | Weblog
 
  梅雨になりました。雨に濡れた色とりどりの紫陽花の美しい事。

 6月を代表する花なのでしょう。

 紫陽花を市町村の”花”とする所も多い。

 長崎市、神戸市が有名。神戸市では1970年市民アンケ-トで

 一番人気が高かったので決定した相です。

 六甲山系の山野に自生する紫陽花もそれは見事らしい。

、神戸は紫陽花の咲くころ、何度も水害に見舞われた。

 しかし、庶民は負けなかった。泥水と土砂と闘い 助け合い

 苦境から何度も立ち上がったのです。 まさしく「不死鳥」です。

 紫陽花のがく片の一片一片は小さいが、それが一つに固まって

 てまりの様な可憐な形になります。

 紫陽花の心とは「団結の尊さ」なのでしょう。

 「異体同心」と思います。


乳児

2016-06-09 10:27:06 | Weblog
 
   日本で最初に「乳児死亡率」をゼロにした”岩手県 沢内村”

  その村は10人に1人が1歳未満に満たず無くなっていた。

  雪に閉ざされた「雪、病、貧」の三重苦の村。

  その村を1957年にある男性が村長となり改革を行った。

  その試みが成果をもたらした。 その方法とは”健康師の採用”

  保健師活動の始まりが、死亡率をさげていった。

  保健師たちは、徹底した家庭訪問をしたのです。

  一人の健康だけではなく、総ての事に対して対応したのです。

  丁寧な励ましが、どれ程の安心と結果をもたらすか。

  ”膝づめの語らい””草の根運動”

  それが、問題の解決の根本なのです。

父の日

2016-06-08 09:43:33 | Weblog
 

    ”父の日”とは、父親に感謝する日。6月第3日曜日、今年は6月19日です。

   アメリカ ワシントン州に住んでいた、あるご婦人の提唱によって始まりました。

   彼女の父親は、妻に先立たれた後六人の子供達を男手一つで育て上げた。

   彼女は「母の日」という存在を知り、父親に感謝する日も必要と1909年の6月19日(第3水曜日)

   に制定することを提唱した。

   アメリカで祝日になったのは1972年。

   日本で一般的な行事となったのは1980年。

   健在な父親には‴赤いバラ””亡くなった父親”には白いバラ”

   両親に感謝する事はす素晴らしい事。

   最近は父親の威厳が、昔ほどではありません。

   「地震、雷、家事、おやじ」-------こんな言葉がありました。

   昔の”親父さん”は怖い存在でした。

   優しいお母様、威厳あるお父様----そんな家庭から、未来の子供達が育っていくと思います。

  

風の電話

2016-06-07 10:38:00 | Weblog
   
   岩手県大槌市にその「風の電話]はありまました。

  ある壮年が17年前に岩手県に移住し、亡くなった自分のおいごさんに、話しをしたくて

  白とグリ-ンのノスタルジゥクな電話ボックスを造りました。

  自分の土地のの庭に。それは5年前の災害の前年でした。

  しかし、災害の後には、心の傷をしょい切れない人が大勢になって-------。

  壮年は、自分の為の「風の電話」を人々の為に開放しました。

  ボックスの中は電話線のない”黒の電話機”

  壮年は「線が無くても風が運んでくれる」と思ったと。

  一人、また一人と訪ねてきます。そして、沈黙の後、涙と共に相手のない会話が始まるのです。

  一方通行の---------。でも、胸の思いを吐き出して心は軽くなります。

  「風の電話」は”心の栄養””心の勇気”になっています。

  ”話す相手”がいるという事はどんなにか幸せな事でしょう。

  ”幸せ”は当たり前の平凡な生活の中にあると思います。

  

まごころ

2016-06-06 09:51:49 | Weblog
 
   コ-ヒ-豆のパッケ-ジには生産国ブラジルとか、又販売企業名が記されている。

  どんな商品にも書かれています。

  つまり、出会った事の無い多くの人の手を介し”おいしさを届けたい”と地球の反対側から

  やって来た”コ-ヒ-豆”なのです。

  そう思うと、コ-ヒ-一杯にしても味わいが違って参ります。

  其処にはビジネスとはいえ”まごころ”が入っているからなのでしょう。

  国内の農業、漁業 そして他の仕事の人達も心を込めて仕事に携わっていると思います。

  其処には”まごころ”があります。 ”まごころ”には感謝の念が生まれます。

  その心が”また誰かの為に”--------- 世の中は”善の拡大運動”です。

  我が心をどう持つかで、世の中は変わって行くと思うのですが-------。

2016-06-05 08:57:24 | Weblog

   オバマ大統領が平和を願って折った‴鶴”

  被爆によって13歳で亡くなった彼女も”平和のシンボル”として折鶴”を折った。

  彼女をモデルとした「原爆の子の像」には各地からの千羽鶴が捧げられている。

  ある集まりの企画では”平和を考えるきっかけ”にと、折鶴を教えた。

  大人の手のぬくもりを通じて”不戦の心”を伝えていく。

  人類の”手”は、武器を持つ事も、平和を願って鶴を折る事も、どちらも出来るのです。

  選択するのは私達なのです。

  核兵器は自然に生まれたのではありません。人の‴手”によって造りだされたのです。

  ならば、人間の手で葬りましょう。

  諦めず「折鶴平和運動」です。この‴手”から、私達の”手”から、未来に向かって‴鶴”が飛んでいくのです。

  なんと、素晴らしい”人の手”なのでしょう。

男の子

2016-06-04 11:28:32 | Weblog

   行方不明になった7歳の男の子。「田野岡大和君」が無事に見つかりました。

  本当に良かった。日本中の人が”男の子”の無事をどんなにか祈った事でしょう。

  1週間-----夜の温度は10度を切りました。

  しかし、偶然、好条件は彼の味方になり小さな命はつながったのです。

  行方不明になったその日に、自衛隊の演習施設に辿り着いたのです。

  其処まで、真っ暗な山路を6キロ---------。

  鍵がかかってませんでした。中に入れたのです。

  マットとマットの間に挟まって暖を取ったのです。奇跡です。

  そしてもう一つの奇跡、水道が宿舎の前にあったのです。

  その水で1週間命を繋いだのです。

  ”小さな男の子”はこの難を乗り切りました。

  なにか、天の使命が有るのでしょう。

  きっと、素晴らしい”未来の道”があの子にあると信じます。

2016-06-03 16:07:04 | Weblog
 
  私の師匠である方の言葉です。

 「簡単に出来たものは 簡単に崩れてしまう

  誰が見ていなくても 地道に水の流れる様に
 
  一歩一歩と苦労し乍ら 堅実に歩いていく

  其処に 揺るがぬ地盤が築かれていく

  「着実」「誠実」と「忍耐」

  ここに、人間の強さがあり 歴史があり 原動力がある」と。

  深い深い言葉です。自分の心の中に、しつかりと

  我が人生の道を創りましょう。

  誰と競争しなくても良いのです。昨日の自分との競争です。

 ”着実””誠実””忍耐-------”この言葉と共に。

  

写真

2016-06-02 10:03:38 | Weblog
 
   昨日6月1日は「写真の日」とか。フォトグラフ(写真)というのは”光で描く”

  という意味だそうです。写真の力は凄いと思います。

  言葉以上に、時として”励ましの光”を贈ると思うのです。

   その婦人は宿命の嵐の道を歩いていた。

  しかし、彼女はある雑誌から”笑顔”の贈り物を貰った。

  本当の笑顔は「嵐をくぐりぬた人への贈り物」と、私は思うのです。

  其の”お婆ちゃまの写真”に私の手は止まった。

  その笑顔のしわの何んと美しい事。 何か、心の中に涙を感じました。

  ”写真”は見る人の、人から人へのバトンタッチです。

  写す人も、写される人も”命の印画紙”に恥じない写真にして参りましょう。