みなさん・・・
NHKスペシャル「学徒兵 許されざる帰還 ~陸軍特攻隊の悲劇~」
ご覧になりましたか・・・
私は、ロコ企画で平和をテーマに語りをするようになって、
このような番組は、できるだけ見るようにしておりますが・・・
いつも、色々な真実に出会います
今夜も・・・・そうでした
元特攻隊員だったという方が証言者として語る一つ一つの言葉が、ずっしりと響きました
84、85歳というお歳になられて、なお、抱き続ける多くの思い・・・
語らずにきた言葉の数々・・・
ご自身が二十歳を過ぎたばかりの頃の、余りにも過酷な現実
そうだ、日本が戦争をしていた頃、あの方たちは二十歳過ぎだったんだね・・・
私が二十歳の頃、何をしていたかしら・・・
特攻に出撃する前の晩、親友だった友と酒を酌み交わし、語りに語ったそうです
「おまえ ・・・何か思い残すことはないのか・・・」
教師を目指して勉学に励んでいた友にそう聞くと、はじめは
「ない」
と答えましたが、少しして
「・・・もし、もう一度生まれ変わることができたら、
・・・戦争のない国に生まれて・・・
・・・教壇に立って 子供達を前に 色んな事を教えたい・・・」
と答えたそうです
大学で、師範科に学び、優秀だったという友
彼の真意は、六十年以上たって、親友の口から語られ、
テレビを通じて、全国の人に、伝えられました。
そう!「・・・戦争のない国に生まれて・・・」
ロコ企画で、語りを始めてから
この言葉が、とても大きなキーワードだと いつも気付かされるのです
先日の藤沢での上演の際に語った、「白い絹のマフラー」は、
まさしく特攻隊学徒帰還兵の話です
特攻隊員は皆、死ぬのが当たり前で、生きて途中で帰ったなどと、
回りに知られてはまずいからということで、
生き残った学徒兵は、隔離されるように、寮のような場所に入れられます
そこの管理者の上官は、学徒兵に、まるで非国民のように罵声を浴びせ、
その苦しみで自殺したものも居たといいます
戦闘機は、ボロ飛行機、よく故障があり、飛びきれないものが沢山ありました
しっかりした戦闘機は、戦いの前線の戦闘部隊へ行き
ただ飛び込むだけの特攻隊には、修理したものや、調子の良くないものが回されたそうです
それには、優秀な頭脳を持つ、学徒動員された日本の若き大学生が乗って、
機関銃も、無線機もはずされ、燃料だけを満載して飛び立ったのです
証言者の友は、現地に行く途中、敵のグラマン機と出会い、
そのまま、上空で大破したそうです
すぐ後ろに居た証言者は、飛行機のエンジンの調子がおかしくなり
徳之島に不時着
今でも、隊員のみなの笑顔が忘れられないといいます
私の父は、戦争に行きました
父からは、自慢話のほかは、一切聞くことはありませんでした
それでも、父がただ一度私に見せた悲しい顔
それは、親友草間兵層が飛行機の事故で命を落としたとポツンと言った時です
3年ほど前、グアムで、横井正一さんの住んでいた穴のある場所を取材に行った際
ゆかりの戦跡を訪ねる旅をしている、元兵士の方々と出会いました
「もう、皆、高齢になるので、外地を訪ねるのはこれが最後です」との事でした。
平和の語りのことを話すと、これからもぜひ続けてほしいと言って下さいました
私は、戦争のない国に生まれました
今まで、一度も、自分が戦争を体験したことがありません
これは、なんと素晴らしいことでしょう
これからもずっと、戦争のない国で・・・
そして、世界中が、戦争のない国になりますよう・・・
ロコ企画は、これからも、語り続けたいと思います
NHKスペシャル「学徒兵 許されざる帰還 ~陸軍特攻隊の悲劇~」
ご覧になりましたか・・・
私は、ロコ企画で平和をテーマに語りをするようになって、
このような番組は、できるだけ見るようにしておりますが・・・
いつも、色々な真実に出会います
今夜も・・・・そうでした
元特攻隊員だったという方が証言者として語る一つ一つの言葉が、ずっしりと響きました
84、85歳というお歳になられて、なお、抱き続ける多くの思い・・・
語らずにきた言葉の数々・・・
ご自身が二十歳を過ぎたばかりの頃の、余りにも過酷な現実
そうだ、日本が戦争をしていた頃、あの方たちは二十歳過ぎだったんだね・・・
私が二十歳の頃、何をしていたかしら・・・
特攻に出撃する前の晩、親友だった友と酒を酌み交わし、語りに語ったそうです
「おまえ ・・・何か思い残すことはないのか・・・」
教師を目指して勉学に励んでいた友にそう聞くと、はじめは
「ない」
と答えましたが、少しして
「・・・もし、もう一度生まれ変わることができたら、
・・・戦争のない国に生まれて・・・
・・・教壇に立って 子供達を前に 色んな事を教えたい・・・」
と答えたそうです
大学で、師範科に学び、優秀だったという友
彼の真意は、六十年以上たって、親友の口から語られ、
テレビを通じて、全国の人に、伝えられました。
そう!「・・・戦争のない国に生まれて・・・」
ロコ企画で、語りを始めてから
この言葉が、とても大きなキーワードだと いつも気付かされるのです
先日の藤沢での上演の際に語った、「白い絹のマフラー」は、
まさしく特攻隊学徒帰還兵の話です
特攻隊員は皆、死ぬのが当たり前で、生きて途中で帰ったなどと、
回りに知られてはまずいからということで、
生き残った学徒兵は、隔離されるように、寮のような場所に入れられます
そこの管理者の上官は、学徒兵に、まるで非国民のように罵声を浴びせ、
その苦しみで自殺したものも居たといいます
戦闘機は、ボロ飛行機、よく故障があり、飛びきれないものが沢山ありました
しっかりした戦闘機は、戦いの前線の戦闘部隊へ行き
ただ飛び込むだけの特攻隊には、修理したものや、調子の良くないものが回されたそうです
それには、優秀な頭脳を持つ、学徒動員された日本の若き大学生が乗って、
機関銃も、無線機もはずされ、燃料だけを満載して飛び立ったのです
証言者の友は、現地に行く途中、敵のグラマン機と出会い、
そのまま、上空で大破したそうです
すぐ後ろに居た証言者は、飛行機のエンジンの調子がおかしくなり
徳之島に不時着
今でも、隊員のみなの笑顔が忘れられないといいます
私の父は、戦争に行きました
父からは、自慢話のほかは、一切聞くことはありませんでした
それでも、父がただ一度私に見せた悲しい顔
それは、親友草間兵層が飛行機の事故で命を落としたとポツンと言った時です
3年ほど前、グアムで、横井正一さんの住んでいた穴のある場所を取材に行った際
ゆかりの戦跡を訪ねる旅をしている、元兵士の方々と出会いました
「もう、皆、高齢になるので、外地を訪ねるのはこれが最後です」との事でした。
平和の語りのことを話すと、これからもぜひ続けてほしいと言って下さいました
私は、戦争のない国に生まれました
今まで、一度も、自分が戦争を体験したことがありません
これは、なんと素晴らしいことでしょう
これからもずっと、戦争のない国で・・・
そして、世界中が、戦争のない国になりますよう・・・
ロコ企画は、これからも、語り続けたいと思います