某ピアニスト様が、「ここには(話のわかる)大人だけがいるから言うけど、リストの音楽はエクスタシーを表現している」と仰った。では、ワタクシも、このブログの読者は(話のわかる)大人だけだから言うけど、リヒャルト・シュトラウスの音楽はエクスタシーを露骨に表現している。以下は、その例である。過激、もとい(たしかに描写は過激であるけれど)歌劇「バラの騎士」の前奏曲の実況中継である。舞台は、夫が留守の元帥夫人の寝室。ベッドには元帥夫人(32歳)と、そのツバメであるオクタヴィアン(17歳)がいる。使う楽譜はヴォーカルスコアのピアノ伴奏譜である。
前奏曲はオクタヴィアンの突撃の咆哮で始まる。
楽器はホルンである。金管楽器奏者にとってはこの冒頭のホルンを誰が吹くかが一番の関心事だという。それぞれの分野で注目ポイントが違うのが面白い。
オクタヴィアンの宣戦布告に柔らかく受けて立つ元帥夫人。
奏でるのは弦楽器である。
そして、くんずほぐれつの肉弾戦となる。
音の高まりは情欲の高まりを表す。音がやたらとたくさんあるように見えるが所要時間は20秒。そして、オクタヴィアンは頂点に上り詰めてあえなく討ち死に。
そして萎える(右手の下降音型)。
諦めのつかない元帥夫人は屍を掻き抱き、なんとか奮い立たせようと必死。
結局諦める元帥夫人。この後、少し気まずい雰囲気が漂うが、じきに仲直り。
そして、鳥の声がして朝を迎え、第1幕の幕が開くのである。
以上の内容について、けしからんと思う方は、文句をリヒャルト・シュトラウスに言っていただきたい。
シュトラウスは、この前奏曲が改心の出来だったからであろう、アラベラの第3幕への前奏曲でも同様の試みをしている。だが、あっちは男女ともある程度の大人のせいか、くんずほぐれつがダラダラ続いて本作ほどのインパクトはない。やはり、本作は、32歳の夫人と17歳のツバメという組合せがもたらした快作である。
なお、プロの方は「バラの騎士」を「ばらきし」と呼び、その真似をするアマチュアも多数見受けられる。日本人の四文字好きがこんなところにも現れているわけだが(チコちゃんで「日本人は4モーラが好き」と言っていた。「4モーラ」とは「4拍」のことであり、とどのつまりは「4文字」である)、私は「ばらきし」とは絶対言わない。豚のばら肉を連想してしまうからである。
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