黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

コラールの成り立ちVol.7モテット第1番

2024-12-03 12:12:52 | 音楽

バッハのモテット第3番の話をしたのなら、第1番の話を是非したい、だが、第1番の終わりは4声フーガでコラールじゃないしなぁ……ん?まてよ、ダブルコーラスの第2曲の第2コーラスが歌ってるのは、

第1コーラスのひらひら舞いにしょっちゅう中断されるから忘れていたが、これはコラールであった。よし、このコラールをネタにしよう……と軽いノリでのりかかった船が謎の迷路に迷い込む様を読者はこれから見るわけである。

モテット第1番「Singet dem Herrn ein neues Lied, BWV 225(主に向かって新しい歌を歌え)」の第2曲の第2コーラスによって歌われるコラールの源流は、詩篇103を基にヨハン・グラマン(Johann Gramann(1487~1541))が作詞した賛美歌「Nun lob, mein Seel, den Herren(わが魂よ、主を賛美せよ)」である。作曲者はハンス・クーゲルマン(Hans Kugelmann(~1542))であり、民謡を基にしたと推測されている(注1)。これより遡る源流はない。バッハは、この賛美歌の第3節「Wie sich ein Vater」を、メロディーもろとも自作のモテット第1番に使用したのである。

バッハは、この賛美歌のメロディーを他にもいくつかの曲に使用した。カンタータの第29番や第51番にも使用例が見られるが、対位法的に使用したのがカンタータ第28番の第2曲である(注1)。

「Nun lob」の歌詞で分かる通り、使用したのは賛美歌の第1節である。

このカンタータ第28番第2曲をアレンジしたのがモテット第7番「Sei Lob und Preis mit Ehren(栄光とともにほめたたえよ)」である。アレンジに際して歌詞が件の賛美歌の第5節(Sei Lob)に差し替えられている。

BWV番号は、以前はモテット第6番(BWV230)の次ということでBWV231とされていたが、現在では、BWV28の第2曲のアレンジということでBWV28/2aとされている(注2,3,4)。

ところがでござる。「Sei Lob」でググると、他にも「Jauchzet dem Herrn alle Welt BWVanh.160(全世界よ、主に向かって歓呼せよ)」という曲がヒットする(その後、番号が付け替えられ(付け替えないでよ)、現在はBWV App. A 4.である)。これが曲者である(曲だから曲者なのは当然であるが)。三曲からなるバッハのモテットとされていたのだが、その後、第1,3曲がテレマンの作であることがバレた(明らかになった、と言いなさい)。そして、バッハの曲として踏みとどまった第2曲が上記のモテット第7番と同曲なのである。言い方を変えると、BWV anh.160の第2曲が独立したものがモテット第7番である、とも言えるのである(注2,3,4)。もともと独立した楽曲だったのか、それとも独立させたのかは不明である(注3)。

ということで、私のコラール話は一段落した。振り返るとこんな旅をしていた。

Vol.1ヨハネ受難曲の終曲
Vol.2「血潮したたる」(マタイ受難曲)
Vol.3「イザークからバッハへ」(マタイ、ヨハネ他)
Vol.4モテット第2番
Vol.5ヨハネ受難曲が「かあさんの歌」に聞こえる件
Vol.6「イエス、わが喜び」(モテット第3番)
Vol.7(今回)モテット第1番

これで気が晴れた。コラールの成り立ちの第1シリーズはこれで完としよう(各内容を図にした総集編を出すかもしれないが)。われながら、一文の得にもならない調査をよくやったものである。まあ、そんなことを言ったら、台地シリーズも、川シリーズも、それからこの後スタートするであろう山シリーズも同じであるが。少なくとも、いずれのシリーズも、備忘録として私の役には立っている。

注1:ウィキペディアドイツ語版の「Nun lob, mein Seel, den Herren」
注2:ウィキペディア英語版の「Sei Lob und Preis mit Ehren」
注3:ウィキペディア英語版の「List of motets by Johann Sebastian Bach」
注4:ウィキペディア英語版の「Jauchzet dem Herrn alle Welt」

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コラールの成り立ちVol.6「イエス、わが喜び」

2024-12-02 16:42:52 | 音楽

ヴェルディのオテロの映像を見てたら、珍しく「Otelle by Arrigo Boito」と作曲者名より先に台本作家の名前が出てきた。昔のコラールのようである。昔のコラールは、誰々作といった場合の誰々は大概詩人で、重要な役割を果たしていた教会作曲家のヨハン・クリューガー(Johann Crüger(1598~1662))の名前が表に出ないことが多いことに不満だが(親戚でもなんでもないが)、おそらく、彼の仕事の多くが詩に適当なメロディーを見つけてきてあてはめるメロディー斡旋業(?)的なものだったせいかもしれない。そんなクリューガーが、オリジナルのメロディーを付けたのがバッハのモテット第3番「イエス、わが喜び(Jesu, meine Freude)BWV227」の、元曲である同名のコラールである。作詞は、ヨハン・フランク(Johann Franck)。これより遡る源流は……ない。おお、源流への旅はあっけなく終わってしまった。

バッハは、このコラールの全6節をすべてモテットに採用したが、第3節を除く5節はメロディーもとろも採用した(コラールとして採用した)のに対し、第3節については独自の音楽を付けた。バッハは、ローマ書(新約聖書)からも句を採用して独自の音楽を付け、こうして、全11曲から成るモテットができあがった。その冒頭はこんなであった。

歌詞の採用状況は次のとおりである。括弧内が詩句の採用元である。なお、フランク&クリューガーのコラールを「元コラール」と表記した。

第1曲コラール(元コラールの第1節(Jesu, meine Freude))
第2曲自由な曲(ローマ書(Es ist nun nichts))
第3曲コラール(元コラールの第2節(Unter deinem Schirmen))
第4曲自由な曲(ローマ書(Denn das Gesetz))
第5曲自由な曲(元コラールの第3節(Trotz dem alten Drachen))
★(中央)第6曲フーガ(ローマ書(Ihr aber seid nicht fleischlich))
第7曲コラール(元コラールの第4節(Weg mit allen Schätzen))
第8曲自由な曲(ローマ書(So aber Christus in euch ist))
第9曲コラール(元コラールの第5節(Gute Nacht, o Wesen))
第10曲自由な曲(ローマ書(So nun der Geist))
第11曲コラール(元コラールの第6節(Weicht, ihr Trauergeister))

なお、第9曲は、自由な曲と思いきや途中からアルトがコラールで入ってくるのでコラールに分類した。
第3,4,5曲と、第7,8,9曲をそれぞれ「コラール+α」としてひとまとまりとすると、第6曲フーガを中心とするシンメトリーができあがる(と巷間言われている)。

源流への旅があっと言う間に終わってしまったので、分流を一つ紹介しよう。それは、バッハのカンタータ第87番である。このカンタータの台本作者はクリスティーナ・マリアンナ・フォン・ツィーグラー(Christiana Mariana von Ziegler)で、終曲のコラールも彼女の選択によるものであり、それは、ハインリヒ・ミュラーが作詞したコラール「Selig ist die Seele」(1659)の第9節「Muß ich sein betrübet?」である。そして、これに付されたメロディーが「イエス、わが喜び」と同じクリューガー作のものなのである(注)。

さて、バッハのモテットの中では今回取り上げた第3番が一番の人気曲らしいが、第1番(Singet dem Herrn)も根強い人気を誇る。次回のコラールの成り立ち話はその第1番を取り上げる予定である。もう、予告篇を少ししゃべってしまうと、その調査の過程でカンタータ第28番が登場し、さらにモテットの第7番も登場する予定である。もう、わくわくである(書き手だけわくわくしてどうする?と言われそうである)。

なお、モテットの人気投票で、もし第2番に一票だけ入っているとすればそれは私が投じた一票である。その終曲コラールについては、既にVol.4でとりあげたところである。

なおのなお、もし私がMLBのMVPの投票権を有していたら、モテットの人気投票で第2番に投票するのに等しい真似などはせず、素直に大谷翔平選手に一位票を投じたはずである。

注:ウィキペディアドイツ語版の「Bisher habt ihr nichts gebeten in meinem Namen」

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コラールの成り立ちVol.5ヨハネ受難曲が「かあさんの歌」に聞こえる件

2024-12-01 09:52:13 | 音楽

バッハのヨハネ受難曲には、いつ歌っても聴いても「♪かーさんが、よなべーをして」にしか聞こえないコラールがある。今回のコラール成り立ちシリーズのターゲットはソレ。ヨハネは今回で3度目である(過去の二回は、終曲とイザークの曲が元曲であるコラール)。それでは調査開始……いや、その前に、そもそも「♪かーさんが、よなべーをして」のタイトルが分かってない。そっちが先だ。「かあさんの歌」であった。では、後顧の憂いを取り除いたので、あらためて調査開始。

件のコラールは、第5曲(新バッハ全集の番号)の「Dein Will gescheh'(あなたの意思が実現しますように!」)である。その出だしの楽譜を以下に掲載した。私がどんな風に「かあさんの歌」に聞こえるかを分かっていただくため、かあさんの歌の冒頭の歌詞を書き込んだ。

この曲の源流探しが今回のミッションである。

直近の源流は、ルター(出た!)の賛美歌「Vater unser im Himmelreich(天にまします我らの父よ)」(1538年又は1539年)である(注1)。

この賛美歌は9節から成り(注2)、バッハはそのうちの第4節を、歌詞とメロディーもとろもヨハネ受難曲に用いたのである(和声付けはバッハがした)(注1)。

では、ルターの「Vater unser」のそのまた源流はあるか?メロディーについてはある!ルターは、Der Mönch von Salzburgって人のメロディーに基づいて、「Vater unser」のメロディーを作ったのである(注2)。

では、その「Der Mönch von Salzburg」って誰だ?意味は「ザルツブルクの修道僧」であり、一般名詞のようだが固有名詞である。つまりある人の仇名である。実名は分かってない。この人は、14世紀に活躍したミンネゼンガー、つまり吟遊詩人である(注3)。

役者が出そろったので整理しよう。その吟遊詩人さんのメロディーを参考に、ルターが自作の詩に曲を付けて賛美歌「Vater unser」ができ、その第4節をバッハが使ってヨハネ受難曲の第5曲にした、とこういうことである。

このルターの賛美歌は多くの作曲家に利用されている。その名前を挙げると、Mプレトリウス、シャイト、パッヘルベル、ブクステフーデ、さらに近代に至ってもメンデルスゾーン、レーガーと言った錚錚たる顔ぶれが並ぶ。そしてバッハも、ヨハネ受難曲に使ったほか、そのメロディーをオルガン曲にも使ったし、カンタータのBWV90,101,102にも使ったのである。

「かあさんの歌」に似てると思って調査をしたら、調査相手が超大物だったことが分かり、恐れ戦いてるワタクシである。因みに、その「かあさんの歌」についても、もう少し知っとかなくちゃ、と思って調べてみた。作詞・作曲は窪田聡って人で、1956年に発表されたもので(なんだ、結構最近じゃん)、全国の歌声喫茶に広まり、ダークダックスやペギー葉山によっても取り上げられ、NHKの「みんなのうた」でも放送された、ということである(私の耳元に残っているのはダークダックスの歌声である)。この曲、大層もの悲しく感じられるのだが、故郷から便りが届いて囲炉裏のにおいがすることがそんなに悲しいことなのか?と少し不思議に思うワタクシでもある。なお、ワタクシが嗅いで好きなにおいは、猫が丸まってるところに顔をつっこんで嗅ぐ猫のにおいである。

注1:ウィキペディア英語版の「St John Passion structure」
注2:ウィキペディアドイツ語版の「Vater unser im Himmelreich」
注3:ウィキペディアドイツ語版の「Der Mönch von Salzburg」

 

 

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コラールの成り立ちVol.4モテット第2番の終曲

2024-11-30 08:45:46 | 音楽

それでは、満を持して、私の葬式で使いたい曲同着一位のバッハのモテット第2番の終曲コラールの成り立ちを語ろう(同着のもう一頭じゃなくてもう一曲はバッハのヨハネ受難曲の終曲コラール。Vol.1でとりあげた)。

その源流は、賛美歌「来たれ、精霊」(Komm,heiliger Geist)である。

この賛美歌は3節から成るが、その第1節は1480頃のEbersbergの修道院にまで遡ることができる。これは、ラテン語の聖歌「Veni Sancte Spiritus」をドイツ語に翻訳したものである。これに、ルター(Martin Luther(1483~1546))が第2節と第3節を付け足したうえで、1524年に世に出したものである。

この賛美歌のメロディーは、1480年頃当時から付けられていた作者不明のものが引き継がれている。このメロディーは、イタリアの音楽理論家兼作曲家のMarchetus de Padua(1305 – 1319)の「Adesto, sancte spiritus」(1270年頃)と類似しているそうだ(以上は、ウィキペディアドイツ語版の「Komm, Heiliger Geist, Herre Gott」に拠る。また、前掲の楽譜にも「15世紀」とあり注釈にラテン語のドイツ語訳であることとルターによって加筆された旨の記載がある)。

この賛美歌「来たれ、精霊」のうち、バッハは、その第3節をメロディーもろともモテット第2番の終曲コラールに採用したのである(その際、若干の言葉替えが行われた)。和声付けはバッハが行った。使用したのは第3節であるから第1節冒頭の「来たれ、精霊」(Komm,heiliger Geist)という句は出てこない。だから歌詞だけだと「来たれ、精霊」とのつながりに気付かないかもしれないが、メロディーで「来たれ、精霊」だと分かるわけである。

バッハ以外でも、賛美歌「来たれ、精霊」は、いろんな作曲家によって「加工」された。

シュッツは、その詩をシンフォニエ・サクレ第3集の中の「Komm,Heiliger Geist」(SWV417)に用いた。曲はシュッツのオリジナルである。そう言えば、「Herzlich lieb」もシュッツが用いたのはシャリングの詩だけで曲は自身のオリジナルだったっけ。「ドイツ語を一番活かすのは自分の曲」という強い自負を持っていたのだろうか。

ザミュエル・シャイト(シュッツと同時代人で、シャインと合わせて「ドイツ3S」と呼ばれた)は、その詩とメロディーを自身の「Komm,Heiliger Geist」に用いた。

そして、バッハは、モテットの第2番のほかにも、この賛美歌の詩とメロディーをあちこちに用いた。カンタータにあっては、賛美歌のメロディーをBWV172の二重唱の中に長く引き延ばされた定旋律(楽器によって演奏される)として取り入れた。また、賛美歌の第1節をBWV59の第3曲で歌わせた。オルガン曲にあっては、コラール前奏曲BWV651において、ペダルで演奏する定旋律として賛美歌のメロディーを用いた。

さて、ここで、モテット第2番の終曲コラール(賛美歌「来たれ、精霊」の第3節)の歌詞について、思い出話をしようと思う。この曲を初めて歌ったのは私が10代の頃、古楽専門の合唱団においてであった。演奏会も迫り、練習が佳境に入った頃の練習中、学生指揮者がこのコラールの歌詞の日本語訳を団員に読み聞かせた。静かで厳かな読み聞かせであった。私はえらく感銘を受けた。それ以来、「静かで厳か」がこの曲に対しての私イメージとなった。

ところが、その後、学校を出てからドイツ語を本格的に勉強し、多少は理解できるようになってからこのコラールを聞くと、え?「ritterlich ringen」?「ringen」ってレスリングとかで格闘することだよな。しかも「ritterlich」って「騎士のように」が転じて「勇ましく」だよな。「勇ましく格闘」?学生時代に培った「静かで厳か」なイメージとは随分違う。その部分の歌詞は次のとおりである。

O Herr, durch dein Kraft uns bereit おお主よ、あなたの力で私たちを準備万端にし、
Und stärk des Fleisches Blödigkeit, そして、肉体の弱さを強めてください。
Dass wir hie ritterlich ringen,    私たちが勇ましく戦えるように

なんと力強い内容だろう。そうか、単に、優しく歌えばいいというものではなかった。ここは力強く歌うべきだったのだ。

と前置きをしたところで、このコラールの後半の四声楽譜を載せる。

繊細かつ力強い和声付け!元のメロディーがバッハのものでなくとも、これはバッハの音楽そのものである。ある解説はこのコラールのことを「淡々と」と評していた。これのどこが「淡々」なのかと思う。

モテット第2番の終曲コラールの歌詞とメロディーについては以上である。終曲以外の部分の詩は、新約聖書のローマ人への手紙第8章26,27節からとられており、曲はバッハのオリジナルである。

こうやって書いているうちに、私の葬式用楽曲レースで同着だった2曲のうち、写真判定の末、モテット第2番が1㎝抜け出していることが判明し、単独1着となった。まあ、朝ドラの人気投票でも、放送時が近いものほど人気が高いものである。

 

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ジョン・ウィリアムズも大海

2024-11-28 08:05:05 | 音楽

「バッハはBach(小川)ではない、Meer(大海)だ」と言ったのはベートーヴェンだそうだ。バロックの様式がバッハ一人にみんな入ってるからだ。同じことがジョン・ウィリアムズにも言えると思う。ジョン・ウィリアムズの音楽も実に多彩。金管が咆哮する「スターウォーズ」「スーパーマン」もあれば、ヴァイオリンがすすり泣く「シンドラーのリスト」もある。恐怖をあおる「ジョーズ」もあれば、泣かせる「ET」もある。まるで、教会音楽のような「Exultate Justi」もある。

これらのうち、「金管が咆哮する」でくくった「スターウォーズ」「スーパーマン」の2曲については、巷間似てると言われる。たしかに似たようなフレーズはある。しかし、私は、西に「似てる」という話を聞けばそっちに行って「ちゃう」と言い、東に「同じだ」という話を聞けばそっちに行って「違う」と言う。スターウォーズは、威勢良く始まった後、ゆっくりになってレーア姫のテーマとかが出てきて、それから帝国のマーチも登場したりして、最後、再びメインテーマに戻る(後の方になると、しんみりと終わることも多くなった)。その間、曲想は千々に変化する。つまり変幻自在な交響詩である。それに対し、スーパーマンは、一貫して、タンタタ、タンタタ、ンタタタタタのリズムに支配されている(ボレロのように)。中間部で叙情的なメロディーが出てきても変わることはない。すなわちマーチなのだ。じゃ、私はどっちが好か。そりゃあ、すべてのきっかけはスターウォーズである。私がジョン・ウィリアムズ好きになったのもスターウォーズであった。だが、スーパーマンの音楽の脳天気さは異次元である。前記のリズムに裏打ちされた二つの主題が、これでもかと言うほど転調を重ねて出てくる。クリストファー・リープが亡くなった後、別の人で「スーパーマン・リターンズ」が公開されたとき(音楽全般はジョン・オットマンだったがメインテーマだけはオリジナルのウィリアムズのが使われた)、このテーマを聴いて涙が出た。スーパーマンを聴いて泣く人はそうそうおるまい。

泣くと言えば、私の人生で映画を見てもっとも泣いた三本の中に入るのが「E.T.」である。特に最終盤。E.T.がエリオットに「come!」って言うシーン(え?一緒に行こうってこと?それほどエリオットが好きになったの?)。それに対してエリオットは「stay」って言う。そして抱擁シーン。少年と異形の地球外生物の抱擁は、どんな美男美女のハグシーンよりも心に残る。だが、泣かしている張本人は、実はジョン・ウィリアムズの音楽だと思う。評論家の吉田秀和によると、(バラの騎士の作曲者の)リヒャルト・シュトラウスは、泣くものかと言いながらホントは泣きたくてハンカチを用意しつつオペラ劇場にやってくるご婦人方の涙のスイッチを心得ていて、そこをきゅっとひねって必ず泣かせるのだそうだ。「E.T.」の音楽を書いたジョン・ウィリアムズも同じだと思う。因みに、某通販会社の社長さんなら「E.T.」を「イーテー」と言うのだろうか。

ジョン・ウィリアムズは怖がらせるのも上手である。「ジョーズ」で大サメが近づくときの音楽、ティーラ、ティーラ、ティラ、ティラ、ティラ、ティラ……も当時話題になった。この作品は「スターウォーズ」より前であった。因みに、ドヴォルザークの「新世界」の第4楽章もティーラ、ティーラ、ティラ、ティラ、ティラ、ティラ……である(厳密に言うと、「新世界」は「ティーイラ」である(「イ」が入る))。

と書いてきたが、実は、私がジョン・ウィリアムズの音楽で一番好きかもしれないのは「太陽の帝国」のエンドロールで流れた「Exultate Justi」。少年合唱で、ポリフォニーの要素も入ってて、ルネサンス・バロックの宗教曲のよう。レパートリーに入れている合唱団も多いようで、動画がいくつかアップされている。まっさらな気持ちで聴くと快活な曲なのだが、私はセンチメンタルな気持ちになる。というのも、この映画を初めて観たのは、飲んで帰れなくなって入った新宿のオールナイトの映画館で、当時は入れ替えなどなかったから朝になるまで三回は見たと思うのだが、その映画が戦争で親とはぐれて大陸を彷徨う少年の物語で、最後、親と再会してThe End、そして件の音楽が始まるのだが、それを一晩に三回も観たものだから、私の脳内で少年の苛酷な体験が音楽と結びついて、で、感傷的な気分になるのである。

因みに、飲んで帰れなくなる、という体験は、若いときのみならず、つい最近まで数え切れぬほどしてきたワタクシである。すいぶん人生を浪費したな、と思う反面、ジョン・ウィリアムズの「Exultate Justi」との出会いは飲んで帰れなくなったからだから、悪いことばかりでもなかったかも、と開き直るワタクシである。

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