猫がシンクに下りてゴミを漁るのを防ぐため、すのこで蓋をしたことは書いた。
すのこはそもそも風呂場に置くべきモノだから水が垂れても問題ない。名案だと喜んだ。だが、ウチのシンクを塞ぐには大きすぎて、調理台の半分をふさいでしまう。せいぜい、猫が佇むぐらいのスペースしか余さない。
だから、食器の洗い桶とかを置けずに不便である。そこで、切ることにした。庭木を剪定するために奥地の家に持って行ってあったノコギリをこちらに戻して(奥地の庭木は業者に頼んですべて成敗したからノコギリは不要になった)、庭木ならぬ「すのこの剪定」に取りかかった。
端をこれだけ切ったら、
見事に収まった!
洗い桶も横置きすることができる。人生で、これだけ物事が上手く運ぶことは滅多にない。14歳の岩崎恭子さんが「生きてて一番幸せ」と言ったその気持ちである(岩崎恭子さんもいつの間にか指導者になられて貫禄のご様子である)。
これでシンクの守りも万全、食品庫の守りも、
扉の前に重しとして空気清浄機を置いたから万全、ゴミ箱の守りも、
重しとしてボーズのスピーカーを置いたから万全である(ウチの多くの小道具達は、本来の用途以外の使い方をされている)。
するとどうだ。つい、こないだ、廃油缶をひっくり返されて油をぶんまかれ、食品庫から引っ張り出した小麦粉をぶんまかれ、それを舐めてお腹を壊した猫に「シリコスリ」で床を汚されて「生きてきて一番不幸せ」と嘆いたことが嘘のように平穏な時間が流れている。どうか、この平穏が続いてほしい。って、それは私次第である。つまり、私がいっときも気を緩めさえしなければ幸せタイムは続くのである。
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