宮城県の北部、奥羽山脈の東側の麓にある、
細倉鉱山のシリーズです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/ce/11f614aff8f21c8f5f3ee1e9fe3f6691.jpg?random=a21f73ccce9c56f1bba7828684771c41)
˚細倉鉱山の守り神、山神社。Mapion
元々は1800年の初頭に、
山伏達によって建立された神社だそうです。
奉られているのは山の神と鉱山・精錬の神。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/4b/b2cad715aadefb974369f375d3029ae4.jpg?random=5dbb608b97b31ae78b33f72307c9fa36)
前回の記事で触れたように、
細倉鉱山は、当初この辺りから採掘が始まりました。
鬱蒼と茂る林の中に佇む神社は、
修験者達の息遣いも感じる雰囲気を漂わせます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/9c/4c3935a99139588984f6287f44cb6b70.jpg?random=2846ba6a579312c24910629b179eff31)
参道階段の両脇には、
当時の献納物が今でも沢山残っています。
これはその一つの灌盤。
「灌盤」は聞き慣れない単語ですが、
手水(ちょうず)と同じ様なものでしょうか。
側面に「大阪銅御吹屋 鍵屋忠蔵」と掘られています。
吹屋とは銀や銅の精錬をする仕事で、
細倉の鉛が、大阪まで運ばれて、
精錬業者に使われていた証拠だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/63/2af69c6c4257c16043f43f36c5f97e3d.jpg?random=0c480c701737bf06ca36eed33b5cfcc0)
高橋勘五郎の狛犬。
ちょっと剽軽な顔の狛犬ですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/51/16e5d3543cdf6eb5e52c029c5312a390.jpg?random=cc3b2eb8e14f167f54ebd94675fdec35)
参道階段には草が茂り、
あまり人が訪れていないことを物語っています。
今でも鉱山開きや山神祭の時には祈祷されるそうですが、
それでも訪れる人は少ないのだと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/75/5373692ca85768925b046196a4773484.jpg?random=600e4a54e8f5fc7a9299ebf774522e81)
山頂に鎮座する神殿。
屋根や正面の回廊以外は、
1800年初頭の、建立当時のままだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/ac/489b2a32ce6dd317c284b12b7a0522f1.jpg?random=e9ec6623d8db7015f0b14c038e15c4c9)
神殿の横には、小さな祠があります。
細倉山神社のお告げで発見に至った、
大土ケ森鉱山を奉っての祠だという事ですが、
ガンプラがお供えしてある理由は、わかりません。
何百年もの歴史を持つ細倉鉱山の、
栄枯盛衰を見守り続けて来た細倉山神社。
現代の都市部でも、
朝な夕なに神社の入口で拝礼をする方をよく見かけるので、
日本ではまだまだ神道が根強い人気があるのがわかりますが、
命を預ける仕事だった鉱山の守り神は、
ことさら大事にされたことと思います。
<<< ガンバレ!東北 >>>
細倉鉱山のシリーズです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/ce/11f614aff8f21c8f5f3ee1e9fe3f6691.jpg?random=a21f73ccce9c56f1bba7828684771c41)
˚細倉鉱山の守り神、山神社。Mapion
元々は1800年の初頭に、
山伏達によって建立された神社だそうです。
奉られているのは山の神と鉱山・精錬の神。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/4b/b2cad715aadefb974369f375d3029ae4.jpg?random=5dbb608b97b31ae78b33f72307c9fa36)
前回の記事で触れたように、
細倉鉱山は、当初この辺りから採掘が始まりました。
鬱蒼と茂る林の中に佇む神社は、
修験者達の息遣いも感じる雰囲気を漂わせます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/9c/4c3935a99139588984f6287f44cb6b70.jpg?random=2846ba6a579312c24910629b179eff31)
参道階段の両脇には、
当時の献納物が今でも沢山残っています。
これはその一つの灌盤。
「灌盤」は聞き慣れない単語ですが、
手水(ちょうず)と同じ様なものでしょうか。
側面に「大阪銅御吹屋 鍵屋忠蔵」と掘られています。
吹屋とは銀や銅の精錬をする仕事で、
細倉の鉛が、大阪まで運ばれて、
精錬業者に使われていた証拠だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/63/2af69c6c4257c16043f43f36c5f97e3d.jpg?random=0c480c701737bf06ca36eed33b5cfcc0)
高橋勘五郎の狛犬。
ちょっと剽軽な顔の狛犬ですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/51/16e5d3543cdf6eb5e52c029c5312a390.jpg?random=cc3b2eb8e14f167f54ebd94675fdec35)
参道階段には草が茂り、
あまり人が訪れていないことを物語っています。
今でも鉱山開きや山神祭の時には祈祷されるそうですが、
それでも訪れる人は少ないのだと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/75/5373692ca85768925b046196a4773484.jpg?random=600e4a54e8f5fc7a9299ebf774522e81)
山頂に鎮座する神殿。
屋根や正面の回廊以外は、
1800年初頭の、建立当時のままだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/ac/489b2a32ce6dd317c284b12b7a0522f1.jpg?random=e9ec6623d8db7015f0b14c038e15c4c9)
神殿の横には、小さな祠があります。
細倉山神社のお告げで発見に至った、
大土ケ森鉱山を奉っての祠だという事ですが、
ガンプラがお供えしてある理由は、わかりません。
何百年もの歴史を持つ細倉鉱山の、
栄枯盛衰を見守り続けて来た細倉山神社。
現代の都市部でも、
朝な夕なに神社の入口で拝礼をする方をよく見かけるので、
日本ではまだまだ神道が根強い人気があるのがわかりますが、
命を預ける仕事だった鉱山の守り神は、
ことさら大事にされたことと思います。
<<< ガンバレ!東北 >>>
山神社は、元朝参りに毎年行っていましたねぇ。
大晦日の日付が変わる頃から、沢山の人々が山神社を目指して歩きました。
擦れ違う人達と「おめでとうございます」と挨拶しながら、雪の中を歩きました。
一番上の神殿の横では、火を焚き、お神酒(?)を振る舞う役員の方々がいました。
20歳頃、友達5人とお参りに訪れてからは、行った事が有りませんでした。
きっと久々のお参りに、神様も喜んでいたと思いますよ。
ありがとうございました。
いつもご覧になって頂き恐縮です。
山神社の当時のお話も、ありがとうございます。
鉱山が盛んだった頃は、
きっと神社に訪れる方も沢山いらっしゃったんでしょうね。
鉱山施設からかなり離れていたからかもしれませんが、
境内はとても厳かな雰囲気に包まれた感じで、
何百年も鉱山を見守り続けた神社だな~と思いました。
鉱山や炭鉱の山神社の中には、
すでに忘れ去られてしまった神社も沢山ありますが、
細倉の神社はこれからも守られて行くんではないでしょうか。