宮城県の北部、奥羽山脈の東側の麓にある、
細倉鉱山のシリーズです。
今回は、現在も残る嘗ての鉱山住宅跡。
鉱山の南東、佐野地区と呼ばれる所に、
嘗ての幹部職員用の「佐野社宅」が残っています。Mapion
昭和の初期の頃に建てられ、
平成16年(2004)まで実際に使用されていた社宅群です。
更に平成20年(2007)には、
映画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』
のオープン・セットとして使われ、現在は観光名所となっているため、
取り壊しを免れた貴重な社宅群です。
オープン・セットは、社宅群の至る所を改造し、
勝手なイメージを作ってしまっている所も多々ありますが、
その辺は次回アップするとして、
今回は当時の姿を残しているだろうと思われる場所を中心に、
アップしようと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/39/5bcbaf58d8fe4b33bd58732e2e7953bc.jpg?random=d1a413c3045ac50e38bbf39a918c5cc5)
段違いの板塀、板張りの壁、
雨よけが付けられた玄関、
幹部用職員の社宅だけあって、
どの建物も造りがとても丁寧です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/eb/6be3532107719ca1b9201aadd4238748.jpg?random=095e0efa4a7015589c40fafa6cde9d5c)
右手前に写る木製の塵箱は、もしかしたら、
映画のオープンセット用に作られたものかもしれませんが、
ともあれ現代では殆ど失われてしまった街並が、
ここでは見る事ができます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/41/926c82b29e24a3eaf9b1cd7dcd4d8005.jpg?random=b99241ee6dea854d9e88be1c9eeeba38)
庭の垣根、木製の縁側、そして木製の物干。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/99/24b56a89b00c8bc980bd9ae2a45fdaff.jpg?random=71b3bb02a1aeda8b3dcc56a635e036d8)
縁側があり、内側には障子の仕切りがあって、
外側は木枠のガラス窓、
左端には雨戸の戸袋がみえます。
私は生まれも育ちも東京ですが、
子供の頃、こんな家に住んでいたのを思い出します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/2d/f403b465e45e54fc81a447bd5d692c3f.jpg?random=1357ddd448ad14a6a2e82c833639763b)
佐野社宅は全て幹部職員用の住宅ということで、
どの家も手の込んだ造りの一戸建ですが、
一般の鉱員の方々は主に三軒長屋と呼ばれる、
棟割長屋に住んでおられたそうです。
鉱山資料館のエントランスには、
学生さんが制作した精密な三軒長屋の模型があり、
当時の生活の様子を知ることができます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/3c/7163a20fb612527743ff2928cc00ad41.jpg?random=6738fb63c84520e71e1ef31ee3cd2ca9)
鉱山の生活を知るにはちょっと特殊な建物ですが、
昭和の息吹は十分に感じられる貴重な住宅群です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/42/2b5ae6b9533fec4ef5fb70e224bef5dd.jpg?random=808fc6ce12a8ecab89695ccb43b8235c)
住宅街の裏手には、
取り外されたくり電の信号機が横たわっていました。
<<< ガンバレ!東北 >>>
細倉鉱山のシリーズです。
今回は、現在も残る嘗ての鉱山住宅跡。
鉱山の南東、佐野地区と呼ばれる所に、
嘗ての幹部職員用の「佐野社宅」が残っています。Mapion
昭和の初期の頃に建てられ、
平成16年(2004)まで実際に使用されていた社宅群です。
更に平成20年(2007)には、
映画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』
のオープン・セットとして使われ、現在は観光名所となっているため、
取り壊しを免れた貴重な社宅群です。
オープン・セットは、社宅群の至る所を改造し、
勝手なイメージを作ってしまっている所も多々ありますが、
その辺は次回アップするとして、
今回は当時の姿を残しているだろうと思われる場所を中心に、
アップしようと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/39/5bcbaf58d8fe4b33bd58732e2e7953bc.jpg?random=d1a413c3045ac50e38bbf39a918c5cc5)
段違いの板塀、板張りの壁、
雨よけが付けられた玄関、
幹部用職員の社宅だけあって、
どの建物も造りがとても丁寧です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/eb/6be3532107719ca1b9201aadd4238748.jpg?random=095e0efa4a7015589c40fafa6cde9d5c)
右手前に写る木製の塵箱は、もしかしたら、
映画のオープンセット用に作られたものかもしれませんが、
ともあれ現代では殆ど失われてしまった街並が、
ここでは見る事ができます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/41/926c82b29e24a3eaf9b1cd7dcd4d8005.jpg?random=b99241ee6dea854d9e88be1c9eeeba38)
庭の垣根、木製の縁側、そして木製の物干。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/99/24b56a89b00c8bc980bd9ae2a45fdaff.jpg?random=71b3bb02a1aeda8b3dcc56a635e036d8)
縁側があり、内側には障子の仕切りがあって、
外側は木枠のガラス窓、
左端には雨戸の戸袋がみえます。
私は生まれも育ちも東京ですが、
子供の頃、こんな家に住んでいたのを思い出します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/2d/f403b465e45e54fc81a447bd5d692c3f.jpg?random=1357ddd448ad14a6a2e82c833639763b)
佐野社宅は全て幹部職員用の住宅ということで、
どの家も手の込んだ造りの一戸建ですが、
一般の鉱員の方々は主に三軒長屋と呼ばれる、
棟割長屋に住んでおられたそうです。
鉱山資料館のエントランスには、
学生さんが制作した精密な三軒長屋の模型があり、
当時の生活の様子を知ることができます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/3c/7163a20fb612527743ff2928cc00ad41.jpg?random=6738fb63c84520e71e1ef31ee3cd2ca9)
鉱山の生活を知るにはちょっと特殊な建物ですが、
昭和の息吹は十分に感じられる貴重な住宅群です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/42/2b5ae6b9533fec4ef5fb70e224bef5dd.jpg?random=808fc6ce12a8ecab89695ccb43b8235c)
住宅街の裏手には、
取り外されたくり電の信号機が横たわっていました。
<<< ガンバレ!東北 >>>
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます