2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はフィレンツェの街です。
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ポンテ・ヴェッキオ(画像はクリックで拡大します)
「古い橋」を意味するポンテ・ヴェッキオ。
その名の通り、フィレンツェでは一番古い橋です。
アルノ川の氾濫により何度か流され、
現在の橋は14世紀に建設されたものだそうです。
当初は肉店が並ぶ橋でしたが、
その後衛生上の理由で現在の宝飾店が並ぶようになったそうです。
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ポンテ・ヴェッキオ
店舗の裏側がでこぼこに張り出していて、
橋の景観を立体的なものにしています。
橋の上部の小さな窓が並ぶ部分は、
以前の記事でアップした、
ピッティ宮殿とヴェッキオ宮殿を繋ぐ、
ヴァザーリの回廊です。
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ポンテ・ヴェッキオ
早朝のポンテ・ヴェッキオ。
橋の両側に並ぶ焦点の外灯は、
一晩中消える事がなく点灯しています。
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ポンテ・ヴェッキオ
ポンテ・ヴェッキオの上というか中。
ポンテ・ヴェッキオは橋の両側に店が並んでいるので、
橋を歩いている感覚がありませんが、
橋の中央部分だけ店が抜けていているので、
そこまでくると、やっと橋の上だと実感じます。
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サン・ロレンツォ聖堂(画像はクリックで拡大します)
サン・ロレンツォ聖堂は、
メディチ家の菩提寺として建てられた聖堂。
大きな聖堂を菩提寺として建てることだけを見ても、
メディチ家がフィレンツェの中で、
でどれだけ勢力を持っていたかが分かります。
ここは撮影禁止なのでとりあえず外観だけ。
ファザードは、本来ミケランジェロが設計した、
壮麗なファザードになる予定だったそうですが、
権力を振るったメディチ家なので、
民衆の反感を食らわない様に質素に、
といった思惑があって、現在も造られないとも…
一番驚いたのはメディチ家のドン、
コジモ・ディ・メディチの墓が、
教会のメインとなる支柱の下に埋め込まれていることです。
この聖堂がなくならない限り、
聖堂とともに永遠にある、ということでしょうか。
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メディチ・リッカルディ宮殿
サン・ロレンツォ聖堂の近くには、
メディチ家の住まいだったメディチ・リッカルディ宮殿があります。
こちらも撮影禁止なので、中庭の光景です。
街を歩くとメディチに当たる、くらい、
フィレンツェの街にはメディチ家関連の施設が点在しています。
多くのフィレンツェの芸術家が、
メディチ家の庇護の元で作品を作った事を思うと、
フィレンツェはいわばメディチ家が造った街、
と言う事だと思います。
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ピッティ宮殿
ピッティ宮殿の前にあった、
フィレンツェの紋章が入った水道栓。
ピッティ宮殿は、もともとメディチ家の対抗勢力、
ピッティ家によって造られた宮殿でしたが、
資金が尽きて完成出来ず、
売りに出した宮殿は、結局メディチ家に買われた、
メディチ家の栄華を象徴する宮殿です。
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サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂(画像はクリックで拡大します)
フィレンツェの駅前にあるサンタ・マリア・ノヴェッラ教会。
ここも撮影禁止なので、ファザード画像のみですが、
サン・マルコ修道院の時に触れたドミニコ修道会による聖堂。
この聖堂は、聖堂も素晴らしいですが、
それよりも、聖堂の横にある化粧品店で有名です。
ドミニコ会の教義「癒しの実践」を形にする化粧店として、
世界最古、800年の歴史があるそうです。
以前の記事でアップしたフラ・アンジェリコの『受胎告知』が、
とても柔らかい印象の絵画だったのは、
この癒しの実践が息づいているからだと思いました。
今回はフィレンツェの街です。
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ポンテ・ヴェッキオ(画像はクリックで拡大します)
「古い橋」を意味するポンテ・ヴェッキオ。
その名の通り、フィレンツェでは一番古い橋です。
アルノ川の氾濫により何度か流され、
現在の橋は14世紀に建設されたものだそうです。
当初は肉店が並ぶ橋でしたが、
その後衛生上の理由で現在の宝飾店が並ぶようになったそうです。
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ポンテ・ヴェッキオ
店舗の裏側がでこぼこに張り出していて、
橋の景観を立体的なものにしています。
橋の上部の小さな窓が並ぶ部分は、
以前の記事でアップした、
ピッティ宮殿とヴェッキオ宮殿を繋ぐ、
ヴァザーリの回廊です。
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ポンテ・ヴェッキオ
早朝のポンテ・ヴェッキオ。
橋の両側に並ぶ焦点の外灯は、
一晩中消える事がなく点灯しています。
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ポンテ・ヴェッキオ
ポンテ・ヴェッキオの上というか中。
ポンテ・ヴェッキオは橋の両側に店が並んでいるので、
橋を歩いている感覚がありませんが、
橋の中央部分だけ店が抜けていているので、
そこまでくると、やっと橋の上だと実感じます。
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サン・ロレンツォ聖堂(画像はクリックで拡大します)
サン・ロレンツォ聖堂は、
メディチ家の菩提寺として建てられた聖堂。
大きな聖堂を菩提寺として建てることだけを見ても、
メディチ家がフィレンツェの中で、
でどれだけ勢力を持っていたかが分かります。
ここは撮影禁止なのでとりあえず外観だけ。
ファザードは、本来ミケランジェロが設計した、
壮麗なファザードになる予定だったそうですが、
権力を振るったメディチ家なので、
民衆の反感を食らわない様に質素に、
といった思惑があって、現在も造られないとも…
一番驚いたのはメディチ家のドン、
コジモ・ディ・メディチの墓が、
教会のメインとなる支柱の下に埋め込まれていることです。
この聖堂がなくならない限り、
聖堂とともに永遠にある、ということでしょうか。
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メディチ・リッカルディ宮殿
サン・ロレンツォ聖堂の近くには、
メディチ家の住まいだったメディチ・リッカルディ宮殿があります。
こちらも撮影禁止なので、中庭の光景です。
街を歩くとメディチに当たる、くらい、
フィレンツェの街にはメディチ家関連の施設が点在しています。
多くのフィレンツェの芸術家が、
メディチ家の庇護の元で作品を作った事を思うと、
フィレンツェはいわばメディチ家が造った街、
と言う事だと思います。
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ピッティ宮殿
ピッティ宮殿の前にあった、
フィレンツェの紋章が入った水道栓。
ピッティ宮殿は、もともとメディチ家の対抗勢力、
ピッティ家によって造られた宮殿でしたが、
資金が尽きて完成出来ず、
売りに出した宮殿は、結局メディチ家に買われた、
メディチ家の栄華を象徴する宮殿です。
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サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂(画像はクリックで拡大します)
フィレンツェの駅前にあるサンタ・マリア・ノヴェッラ教会。
ここも撮影禁止なので、ファザード画像のみですが、
サン・マルコ修道院の時に触れたドミニコ修道会による聖堂。
この聖堂は、聖堂も素晴らしいですが、
それよりも、聖堂の横にある化粧品店で有名です。
ドミニコ会の教義「癒しの実践」を形にする化粧店として、
世界最古、800年の歴史があるそうです。
以前の記事でアップしたフラ・アンジェリコの『受胎告知』が、
とても柔らかい印象の絵画だったのは、
この癒しの実践が息づいているからだと思いました。
でも見る人が見れば、十分伝わりますよね。
その発想に、感服です!
これまでブログご覧になって頂いてお分かりの様に、
このブログでは、こういった「表現的」な画像は使わず、
なるべく全貌を伝える画像を中心にアップしてきました。
ピッティ宮殿はたまたまそのルックスが個人的に好きではなかったので、
かわいかった水道栓の方を優先してアップしました。