2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回は夜のローマです。
ローマは大都市なので、真夜中の散歩もとても充実します。
基本的には宿泊ホテル界隈の散策ですが、
ローマの中でも最も古い歴史が残るエリアで、
しかも外灯はすべて電球系で、数が少ないので、
真夜中の散歩は暗闇の中の二千年の時空散歩となります。
それでは時代をおって見て来たいと思います。
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フォロ・オリトリオの柱廊(画像はクリックで拡大します)
前回の記事でも触れた、ローマ最古の市場フォルム・ボアリウムの隣には、
フォロ・オリトリオという、同じく王制ローマ時代の広場があり、
王制期の聖域サント・オモボノや画像の柱廊をはじめ、
2千年級の廃墟三昧です。
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サン・ニコラ・イン・カルチェレ聖堂(画像はクリックで拡大します)
このサン・ニコラ・イン・カルチェレ聖堂は、
前回アップした記事のポルトゥヌス神殿の数件隣にあるのですが、
王制時代の神殿の柱をそのまま再利用してしまってます。
千年前が二千数百年前とコラボした聖堂が、
今でも現役で使われている、ということになります。
聖堂の地下には、現在も神殿の遺構が残っているそうなので、
次回ローマへ行ったら、是非見てみたいものです。

エミリオ橋(ポンテ・ロット)(画像はクリックで拡大します)
聖堂の裏手にはテヴェレ川が流れています。
聖堂から一番近い橋を渡ると、橋の途中でエミリオ橋、
通称「ポンテ・ロット(壊れ橋)」を見ることができます。
建設はなんと紀元前3世紀の中頃の共和制ローマ時代に、
ローマで初めて造られた石橋の廃墟です。
アーチの一つ分しか残ってなく、両側は接岸していないので、
橋の上に立つ事はできませんが、
それにしても、このあまりにも美しい壊れた状態を、
よくぞ残してくれたものだと思います。
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ティヴェリーナ島(画像はクリックで拡大します)
エミリオ橋のすぐ近くには、
中州島であるティヴェリーナ島があります。
ローマ王制最期の王が失脚し共和制になった時に、
王の蓄えだった穀物等をテヴェレ川に投げ込んで出来た、
という伝説の島です。
当時は島の中心に神殿が建ち、船形の堤防が築かれていたそうですが、
現在では神殿はなく、かろうじて島の形が、
当時の面影を偲ばせています。
共和制ローマへ変わる時ということなので、
紀元前500年…ということは2,500年前に造られた人工島ですね。
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ユリウスの広場(画像はクリックで拡大します)
以前の記事で触れた様に、
手狭になったフォロ・ロマーノから逸脱して、
皇帝が自分の名前をつけて造ったフォーリ・インペリアーリの中で、
ユリウス・カエサルが最初に造ったユリウスの公共広場。
フォロ・ロマーノの北西辺に隣接し、
画像だと奥の方がフォロ・ロマーノにあたります。
現在ではウェヌスの神殿の柱の一部しか残っていませんが、
かつてはカエサルとクレオパトラの彫像などもあったということで、
殆ど夢物語としか思えない前世紀の伝説が、
このローマではリアルな形として残っています。
今回は夜のローマです。
ローマは大都市なので、真夜中の散歩もとても充実します。
基本的には宿泊ホテル界隈の散策ですが、
ローマの中でも最も古い歴史が残るエリアで、
しかも外灯はすべて電球系で、数が少ないので、
真夜中の散歩は暗闇の中の二千年の時空散歩となります。
それでは時代をおって見て来たいと思います。
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フォロ・オリトリオの柱廊(画像はクリックで拡大します)
前回の記事でも触れた、ローマ最古の市場フォルム・ボアリウムの隣には、
フォロ・オリトリオという、同じく王制ローマ時代の広場があり、
王制期の聖域サント・オモボノや画像の柱廊をはじめ、
2千年級の廃墟三昧です。
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サン・ニコラ・イン・カルチェレ聖堂(画像はクリックで拡大します)
このサン・ニコラ・イン・カルチェレ聖堂は、
前回アップした記事のポルトゥヌス神殿の数件隣にあるのですが、
王制時代の神殿の柱をそのまま再利用してしまってます。
千年前が二千数百年前とコラボした聖堂が、
今でも現役で使われている、ということになります。
聖堂の地下には、現在も神殿の遺構が残っているそうなので、
次回ローマへ行ったら、是非見てみたいものです。
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エミリオ橋(ポンテ・ロット)(画像はクリックで拡大します)
聖堂の裏手にはテヴェレ川が流れています。
聖堂から一番近い橋を渡ると、橋の途中でエミリオ橋、
通称「ポンテ・ロット(壊れ橋)」を見ることができます。
建設はなんと紀元前3世紀の中頃の共和制ローマ時代に、
ローマで初めて造られた石橋の廃墟です。
アーチの一つ分しか残ってなく、両側は接岸していないので、
橋の上に立つ事はできませんが、
それにしても、このあまりにも美しい壊れた状態を、
よくぞ残してくれたものだと思います。
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ティヴェリーナ島(画像はクリックで拡大します)
エミリオ橋のすぐ近くには、
中州島であるティヴェリーナ島があります。
ローマ王制最期の王が失脚し共和制になった時に、
王の蓄えだった穀物等をテヴェレ川に投げ込んで出来た、
という伝説の島です。
当時は島の中心に神殿が建ち、船形の堤防が築かれていたそうですが、
現在では神殿はなく、かろうじて島の形が、
当時の面影を偲ばせています。
共和制ローマへ変わる時ということなので、
紀元前500年…ということは2,500年前に造られた人工島ですね。
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ユリウスの広場(画像はクリックで拡大します)
以前の記事で触れた様に、
手狭になったフォロ・ロマーノから逸脱して、
皇帝が自分の名前をつけて造ったフォーリ・インペリアーリの中で、
ユリウス・カエサルが最初に造ったユリウスの公共広場。
フォロ・ロマーノの北西辺に隣接し、
画像だと奥の方がフォロ・ロマーノにあたります。
現在ではウェヌスの神殿の柱の一部しか残っていませんが、
かつてはカエサルとクレオパトラの彫像などもあったということで、
殆ど夢物語としか思えない前世紀の伝説が、
このローマではリアルな形として残っています。
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