2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回は夜のローマの第三回です。
夜のローマの最後の回は、
紀元前後の後から現代までを見て行こうと思います。
![サンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/22/420ab30488e207f5e2826872cfbe73a3.jpg?random=2c59b06d176f8d9161ab78a345ba7c50)
サンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂(画像はクリックで拡大します)
以前の記事でも真実の口の所で触れた、
サンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂
6世紀頃、東ローマ帝国から逃れて、
この近辺に居たギリシャ人の為に建てられた聖堂。
![カンピドーリオ広場](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/dc/e9d9aa85a44049ddc6853a93e1631220.jpg?random=01af0dbbcfa9479692d30fc5ac0cc946)
カンピドーリオ広場(画像はクリックで拡大します)
ミケランジェロ作『カンピドーリオ広場』
中世を飛ばして、いきなりルネサンス時代になります。
パラティーノの丘が紀元前ローマの原点だとすれば、
帝政以降のローマの発祥の地とでもいうべき広場。
以前アップしたフォロ・ロマーノの中でも、
古い建物の部類に入る公文書館の上に増設された、
現在ローマ市庁舎として使われている建物です。
![トリトンの泉](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/1e/91376e7418390a45a027544d2ffed34f.jpg?random=a3778b1f62f095cd0fd6913296504637)
トリトンの泉(画像はクリックで拡大します)
そて時代はバロックへ進み、ベルニーニ作『トリトンの泉』
ベルニーニに関しては既に何度も触れてきましたが、
とにかくローマ市内には至る所にベルニーニの彫刻があります。
彫刻天国のローマの市内を歩いていると、
確かにベルニーニの作品は、
その躍動感で他作品と一線を画しているのが感じられます。
![トレヴィの泉](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/b4/9e70d0601efebdbb32801a8fe2dd2f2b.jpg?random=d785098a127f55685fcf5a1b7f99b19f)
トレヴィの泉(画像はクリックで拡大します)
映像や画像では幾度となく目に触れる機会のあるトレヴィの泉。
これもまたローマ・バロック時代の傑作と言われています。
観光地色が強過ぎるんでは、と期待してなかったんですが、
実際に見るとすごく、
おもわず後ろ向きでコインを投げ込んでしまいました。
![ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/e4/7cd07a8a030c4f8d986f82e841283a6d.jpg?random=d722864a12d59f131c21652e2898951a)
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(画像はクリックで拡大します)
そして1870年に、今のイタリアを統一した
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の記念堂。
とにかくでかい!ただ、それだけ。
駆け足で、夜のローマで紀元前から現代までの時空旅行でした。
![夜のローマ](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/c8/f9d632b367b2ee7056378e64fabfa680.jpg?random=c7cbadce07498dcf6023133b71a5dd22)
夜のローマ
「すべての道はローマに通ず」という言葉は有名ですが、
それだけヨーロッパ社会にとってのローマとは、
ある意味原点の場所なんだと思います。
ローマは、エジプトやギリシャなどの、
それまでの古代社会のおいしいところをミックスして、
現在の社会の基本的な構造を造り上げた場所だと感じました。
![夜のローマ](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/83/5f291ab48c43667ae5646b323a2481d5.jpg?random=c5bb94aa2e5333c8d74513ba382093d6)
夜のローマ
ゲーテは「ローマには人類の歴史全てがある」と言ったそうです。
人類の歴史全ては言い過ぎかも知れませんが、
確かにローマには2,500年の歴史が、
廃墟のミルフィーユとしてしっかりと残っています。
そんなローマに居ると、
「現在」という時間が些細なもののように思えて来ます。
![夜のローマ](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/b2/ab37186b550e0a79bed3ea49312fdb51.jpg?random=f4b7333ef22aa9925963f39dd1e049f7)
夜のローマ
2,500年の歴史を毎日肌に触れながら生活していると、
自分がすごくちっポけに思えてくるんではないでしょうか。
その短い一生の中で、粛々と時代をつなぐ一こまになって、
そして生涯を次の時代へバトンタッチしていく。
そんな考えを、
いやおうでも感じさせられるんではないかと思います。
ヨーロッパのポピュラー音楽の底に流れるある種の諦め感は、
ここから来ているんだと思いました。
今回は夜のローマの第三回です。
夜のローマの最後の回は、
紀元前後の後から現代までを見て行こうと思います。
![サンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/22/420ab30488e207f5e2826872cfbe73a3.jpg?random=2c59b06d176f8d9161ab78a345ba7c50)
サンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂(画像はクリックで拡大します)
以前の記事でも真実の口の所で触れた、
サンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂
6世紀頃、東ローマ帝国から逃れて、
この近辺に居たギリシャ人の為に建てられた聖堂。
![カンピドーリオ広場](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/dc/e9d9aa85a44049ddc6853a93e1631220.jpg?random=01af0dbbcfa9479692d30fc5ac0cc946)
カンピドーリオ広場(画像はクリックで拡大します)
ミケランジェロ作『カンピドーリオ広場』
中世を飛ばして、いきなりルネサンス時代になります。
パラティーノの丘が紀元前ローマの原点だとすれば、
帝政以降のローマの発祥の地とでもいうべき広場。
以前アップしたフォロ・ロマーノの中でも、
古い建物の部類に入る公文書館の上に増設された、
現在ローマ市庁舎として使われている建物です。
![トリトンの泉](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/1e/91376e7418390a45a027544d2ffed34f.jpg?random=a3778b1f62f095cd0fd6913296504637)
トリトンの泉(画像はクリックで拡大します)
そて時代はバロックへ進み、ベルニーニ作『トリトンの泉』
ベルニーニに関しては既に何度も触れてきましたが、
とにかくローマ市内には至る所にベルニーニの彫刻があります。
彫刻天国のローマの市内を歩いていると、
確かにベルニーニの作品は、
その躍動感で他作品と一線を画しているのが感じられます。
![トレヴィの泉](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/b4/9e70d0601efebdbb32801a8fe2dd2f2b.jpg?random=d785098a127f55685fcf5a1b7f99b19f)
トレヴィの泉(画像はクリックで拡大します)
映像や画像では幾度となく目に触れる機会のあるトレヴィの泉。
これもまたローマ・バロック時代の傑作と言われています。
観光地色が強過ぎるんでは、と期待してなかったんですが、
実際に見るとすごく、
おもわず後ろ向きでコインを投げ込んでしまいました。
![ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/e4/7cd07a8a030c4f8d986f82e841283a6d.jpg?random=d722864a12d59f131c21652e2898951a)
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(画像はクリックで拡大します)
そして1870年に、今のイタリアを統一した
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の記念堂。
とにかくでかい!ただ、それだけ。
駆け足で、夜のローマで紀元前から現代までの時空旅行でした。
![夜のローマ](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/c8/f9d632b367b2ee7056378e64fabfa680.jpg?random=c7cbadce07498dcf6023133b71a5dd22)
夜のローマ
「すべての道はローマに通ず」という言葉は有名ですが、
それだけヨーロッパ社会にとってのローマとは、
ある意味原点の場所なんだと思います。
ローマは、エジプトやギリシャなどの、
それまでの古代社会のおいしいところをミックスして、
現在の社会の基本的な構造を造り上げた場所だと感じました。
![夜のローマ](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/83/5f291ab48c43667ae5646b323a2481d5.jpg?random=c5bb94aa2e5333c8d74513ba382093d6)
夜のローマ
ゲーテは「ローマには人類の歴史全てがある」と言ったそうです。
人類の歴史全ては言い過ぎかも知れませんが、
確かにローマには2,500年の歴史が、
廃墟のミルフィーユとしてしっかりと残っています。
そんなローマに居ると、
「現在」という時間が些細なもののように思えて来ます。
![夜のローマ](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/b2/ab37186b550e0a79bed3ea49312fdb51.jpg?random=f4b7333ef22aa9925963f39dd1e049f7)
夜のローマ
2,500年の歴史を毎日肌に触れながら生活していると、
自分がすごくちっポけに思えてくるんではないでしょうか。
その短い一生の中で、粛々と時代をつなぐ一こまになって、
そして生涯を次の時代へバトンタッチしていく。
そんな考えを、
いやおうでも感じさせられるんではないかと思います。
ヨーロッパのポピュラー音楽の底に流れるある種の諦め感は、
ここから来ているんだと思いました。
おぼえててくださってるでしょうか?
夏に久高島めざしてたんですけど
父調子悪く
他界いたしまし、バタバタと月日が過ぎ
夏も過ぎ去りました。
新しいページまた拝見させていただいてます。
いいですね・・・
秋に向けての優しい灯り。
こちらは朝から雨
久々のんびりした休日過ごしています。
沢山お話させて頂いたnonさんはよく覚えております!
お父様が亡くなられたのですね。
ご冥福をお祈りさせて頂きます。
また、改めてよろしくお願いいたします。