画像は今はなき在りし日の同潤会青山アパートです。
同潤会アパートの中でも特に馴染み深い建物でしたが、
森ビルの買収が成立し2003年に解体されてしまいました。
今思えばもっと沢山撮影しておけばよかったと悔やまれるばかりです。
建物は全部で10棟あって、9棟は殆ど平行に並んでいますが、
1棟だけ他の建物に対して直角に建てられていました。
その屋上から六本木方面を見たところです。
画像奥には六本木ヒルズが既に写っています。
そしてこの青山アパートも、六本木ヒルズと同じ森ビルにより、
<表参道ヒルズ>として来春のオープンに向けて工事が進んでいます。
当初から聞いていましたが、設計は安藤忠雄ということでした。
特に大好きだった建物なだけに、
「安藤忠雄はないだろ~(>_<)」
「コンクリート打ちっ放しはないだろ~(>_<)」
と思いつつ、時の流れを感じました。
オープロジェクトのメンバーのOnishi氏に、
最初に見せてもらった映像作品『Quiet Landing』には衝撃を受け、
以降いつか一緒に作品が作れる日がくればいいなと思っていましたが、
その舞台が原宿で、同潤会青山アパートが効果的に使われています。
Onishi氏のblogから
・裏路地と猫
・冬の外観
・【Quiet Landing】原宿同潤会アパート
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■シリーズ:同潤会アパート■
・旧青山アパート #02
・旧青山アパート #03
・旧青山アパート #04
・同潤館
・表参道ヒルズ
・ゼルコバテラス
・柴犬と同潤館
・同潤会記憶アパートメント展
表参道通りの象徴だったんですよね・・・。
10年くらい前~晩年は、建物内の内装を施したブティックやら、ア
クセサリーショップやら、お洒落な雑貨店が沢山ありましたが。
小学校の頃、スーパーカーブームがあり、この通りの交番で良く
補導されました。(懐
子供の頃の「記憶の風景」が、また一つ消える・・・。
よく、故郷の話題が出ると、新宿で生まれ育ったというと何かと風
当たり?や誤解も多かったんですよねぇ・・・。
自分の故郷や記憶の風景が、地元民の意見も反映されることなく、
まるで実験台のように変えられていく寂しさ。
これは、都会で生まれ育った者の悲しき宿命なのかしら・・・?
そう考えると、軍艦島のように故郷が、どんなに風化しても昔のま
ま残っているというのも羨ましく感じたりしないわけでもありませ
ん。
> スーパーカーブームがあり、~
というのは、どういう意味ですか?
ちょっとわからなかったので・・・
私も東京育ちで、小さい頃から街がどんどん変わっていくのを見ていたので、
自分の育った所もいずれ変わっていくのだろうと、
子供の頃は思っていました。
確かに育った家は解体されましたが、それ以外は、
小学校も中学校も、よく遊んだ公園も、
よく通った文化センター(今は中野ZEROですか)も、
侵入して遊んだ国鉄の操車場も、
そして中野ブロードウェイも、
殆ど当時のまま残っているのが逆に不思議な感じがします。
(クラシックはなくなってしまいましたが)
もしかしたら中野という街が、おかしな街なのかもしれませんね。
あまりに変わってないので、逆に中野に行くと、
軍艦島の住宅棟街へ行った時と同じような錯覚に陥ります。
今と過去の狭間に落込んだような錯覚・・・
タイムスリップの感覚ですね。
ずっと中野には近づきませんでしたが、
5年くらい前にそのことを知ってから、
なんとなく時々行くようになりました。
>というのは、どういう意味ですか?
>ちょっとわからなかったので・・・
すみません、言葉足らずでした。1977年頃、小中学生の間で、
フェラーリーやランボルギーニと言ったスーパーカーがブームに
なったと思いますが↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/スーパーカー
表参道のこの通りは、スーパーカーが良く通るので子供たちの間で
も知られていて、写真を撮るのに夢中になる余り、車道に飛
び出したりする子供もいて、当時、問題になりました。
このアパートメントだけでも作品一本できそうなボリュームですね。
http://www.apartment-photo.gr.jp/text202.html
安藤忠雄氏の描く、表参道のコンクリート打ちっ放しはちょっと・・・・(?_?)エ?
この同潤会の色あいが、通りの向かい側との対比、並
木みに調和し、独特の街並みを醸し出していたと思うのです
が・・・。
PS
確かに、中野は余り昔と変わりませんね、でも住みやすい街とはよ
く聞きます。警大跡地が・・・・??
http://homepage3.nifty.com/kdai/kdai.html
スーパーカーブーム、懐かしいですね!
そうですか、原宿に沢山スーパーカーが、
子供達がみんな見に行ってたんですね!
サイト『APRTMENT』、見てみました!
このサイトをやってらっしゃる兼平さんは、
『消えゆく同潤会アパートメント』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309727344/qid%3D1132498651/249-5349990-8328344
といった本に写真を提供しておられる方ですね。
サイトの写真を見ていたら、
家にある本の裏表紙と同じ構図の写真があったので、
みてみたら、やっぱりそうでした。
今思えば、同潤会アパートこそ沢山撮影できたので、
もっと撮っておけばよかったと思います。
で、新生青山アパート、
最近建築用フェンスがはずされその全貌が見えてきましたが、
実はコンクリート打ちっ放しではないですね!
新生青山アパート→表参道ヒルズは
blogの同潤会シリーズの最後にアップしようかと思ってます。
警察大学跡地はなにやらもめてるみたいですね。
ちょうど出身中学校の裏が跡地で、
そこで高円寺の中学との抗争が起きそうになりましたが、
警察に発見されて、敷地をめいっぱい走り回った記憶があります。
最後に一緒に逃げていた3人のうちの一人が、
そのあと凄く腹が痛いといいながら帰っていきましたが、
翌日、急性盲腸で入院しました。
盲腸になりかけていたところ、猛ダッシュしたんで、
急性盲腸になってしまったんですね(>_<)
なんかあまりにも個人的な思い出話ですいませんが、
警察学校跡地の言葉で、急にその時の光景が思い浮かんだのでで・・・
それにしても、いつもいつも色々なサイトの情報をありがとうございますm(_ _)m
戦中、爆弾被害の類焼を防ぐため一部取り壊しがあり、
戦後は街路樹すべてが勝手に伐採されて燃料となりました。また住民もこれを境にすっかり入れ替わり、定職についていないような人が多く住むようになりました。
具体的にNHKのアナウンサーや弁護士、そして医者等が住んでいたのは知りませんでした。
貴重な情報をありがとうございます!
また、街路樹も戦後、燃料のために伐採されたんですね。
同潤会の栄枯盛衰ですね。