第二の軍艦島といわれる、
軍艦島と同じ長崎市にある炭鉱跡<池島>の全貌をまとめた、
『池島全景 離島の《異空間》』(三才ブックス)の発売記念として、
書籍に収録できなかった池島を、シリーズでお送りしたいと思います。
取材で通った2004年〜2017年の約12年の間に、池島がどう変わったか。
今回は、住宅棟関連の変貌です。
画像は2005年(平成17)に撮影した炭鉱住宅の“8階建て”。
その名のごとく8階建てで、
池島の炭鉱住宅の中では最も高層の4棟である、
25棟、27棟、29棟、31棟をまとめてそう呼ばれています。
池島の鉱員アパートはいずれも、
戦後の公営住宅でよく建設された、
階段踊り場の両側に居室が一部屋ずつある、
いわゆる階段室型の構造で、
独身寮以外は全てこの形です。
ほぼ同じ位置から撮影した2017(平成29)の様子。
パッと見はそれほど変わっていない印象をうけます。
手前2棟の、5階に施工された横移動できる渡り廊下の、
階段室部分の張り出しを覆っていたトタン壁がなくなったのと、
ガラスの割れた部分が多少増えたくらいでしょうか。
植物も成長しているようです。
一見、とても綺麗に見える8階建てですが、
池島炭鉱の人口増加期に突貫で建設された建物で、
施工がそれほど良くなく、
閉山後すぐに使われなくなったとのこと。
画像は2009年(平成11)に撮影した炭鉱住宅の9棟。
1棟〜17棟は最初期に建設された鉱員アパートで、
その壁面には、時間経過を感じさせるものとそうでないものが混在しています。
画像の9棟の壁面はとても50年経過した壁面とは思えないので、
途中で塗り直しがされたものでしょう。
ちなみに池島での炭鉱アパートは、
建物の番号に「棟」だけを付け、
「1棟」「25棟」「131棟」のように呼びます。
そしてこれが2017年(平成29)の9棟。
ご覧のように、ほぼ蔦で覆われました。
4階中央のベランダに残る洗濯機が、
かろうじて同じ棟であることを物語っています。
初期のアパートの中では、
この9棟だけが極端に蔦で覆われていて、
他の棟は殆ど覆われていません。
画像は選炭工場からみた2004年(平成16)の、
池島港の突堤に建ち並ぶ公営住宅群。
港の周辺に建つアパート群はいずれも公営で、
おもに協力会社(いわゆる下請け)の作業員とその家族が住んでいました。
選炭工場の建屋ですこしわかりにくいですが、
海に張り出した北側の突堤の上に、
ズラッと並ぶ公営住宅が見えます。
画像は2012年(平成24)に、選炭工場から見た突堤。
かつて整然と並んでいた公営住宅は、
7棟が2009年前後に解体され、
今では6棟のアパートが遺るばかりです。
突堤に建ち並ぶアパート群は、
池島を訪れる時に最初に見える《異空間》を演出していたので、
解体されてしまったのは残念です。
左寄りに写る緑色のルーフィングの建物が、
港ショッピングセンターのビル。
その上のグレーの屋根が開発センターで、
坑道見学の際に映像を見ながら炭鉱弁当を食べるところ。
その左隣がターミナルビル、
さらにその左の三角屋根が港浴場です。
港ショッピングセンタービルとターミナルビルは、
建物の両端に階段がある片側長廊下タイプの構造で、
いずれも1階が炭鉱の所有、2階以上が公営という、
変則的な建物です。
■
“第二の軍艦島”といわれる、九州最後の炭鉱のあった池島の全貌を、
12年以上の取材と400枚超の写真で紹介する国内初の池島本。
『池島全景 離島の《異空間》』絶賛発売中!!
軍艦島と同じ長崎市にある炭鉱跡<池島>の全貌をまとめた、
『池島全景 離島の《異空間》』(三才ブックス)の発売記念として、
書籍に収録できなかった池島を、シリーズでお送りしたいと思います。
取材で通った2004年〜2017年の約12年の間に、池島がどう変わったか。
今回は、住宅棟関連の変貌です。
画像は2005年(平成17)に撮影した炭鉱住宅の“8階建て”。
その名のごとく8階建てで、
池島の炭鉱住宅の中では最も高層の4棟である、
25棟、27棟、29棟、31棟をまとめてそう呼ばれています。
池島の鉱員アパートはいずれも、
戦後の公営住宅でよく建設された、
階段踊り場の両側に居室が一部屋ずつある、
いわゆる階段室型の構造で、
独身寮以外は全てこの形です。
ほぼ同じ位置から撮影した2017(平成29)の様子。
パッと見はそれほど変わっていない印象をうけます。
手前2棟の、5階に施工された横移動できる渡り廊下の、
階段室部分の張り出しを覆っていたトタン壁がなくなったのと、
ガラスの割れた部分が多少増えたくらいでしょうか。
植物も成長しているようです。
一見、とても綺麗に見える8階建てですが、
池島炭鉱の人口増加期に突貫で建設された建物で、
施工がそれほど良くなく、
閉山後すぐに使われなくなったとのこと。
画像は2009年(平成11)に撮影した炭鉱住宅の9棟。
1棟〜17棟は最初期に建設された鉱員アパートで、
その壁面には、時間経過を感じさせるものとそうでないものが混在しています。
画像の9棟の壁面はとても50年経過した壁面とは思えないので、
途中で塗り直しがされたものでしょう。
ちなみに池島での炭鉱アパートは、
建物の番号に「棟」だけを付け、
「1棟」「25棟」「131棟」のように呼びます。
そしてこれが2017年(平成29)の9棟。
ご覧のように、ほぼ蔦で覆われました。
4階中央のベランダに残る洗濯機が、
かろうじて同じ棟であることを物語っています。
初期のアパートの中では、
この9棟だけが極端に蔦で覆われていて、
他の棟は殆ど覆われていません。
画像は選炭工場からみた2004年(平成16)の、
池島港の突堤に建ち並ぶ公営住宅群。
港の周辺に建つアパート群はいずれも公営で、
おもに協力会社(いわゆる下請け)の作業員とその家族が住んでいました。
選炭工場の建屋ですこしわかりにくいですが、
海に張り出した北側の突堤の上に、
ズラッと並ぶ公営住宅が見えます。
画像は2012年(平成24)に、選炭工場から見た突堤。
かつて整然と並んでいた公営住宅は、
7棟が2009年前後に解体され、
今では6棟のアパートが遺るばかりです。
突堤に建ち並ぶアパート群は、
池島を訪れる時に最初に見える《異空間》を演出していたので、
解体されてしまったのは残念です。
左寄りに写る緑色のルーフィングの建物が、
港ショッピングセンターのビル。
その上のグレーの屋根が開発センターで、
坑道見学の際に映像を見ながら炭鉱弁当を食べるところ。
その左隣がターミナルビル、
さらにその左の三角屋根が港浴場です。
港ショッピングセンタービルとターミナルビルは、
建物の両端に階段がある片側長廊下タイプの構造で、
いずれも1階が炭鉱の所有、2階以上が公営という、
変則的な建物です。
■
“第二の軍艦島”といわれる、九州最後の炭鉱のあった池島の全貌を、
12年以上の取材と400枚超の写真で紹介する国内初の池島本。
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