黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

池島炭鉱十年の変貌 07炭鉱アパート

2017-06-11 17:09:48 | 池島炭鉱
第二の軍艦島といわれる、
軍艦島と同じ長崎市にある炭鉱跡<池島>の全貌をまとめた、
『池島全景 離島の《異空間》』(三才ブックス)の発売記念として、
書籍に収録できなかった池島を、シリーズでお送りしたいと思います。

取材で通った2004年〜2017年の約12年の間に、池島がどう変わったか。
今回は、住宅棟関連の変貌です。

池島炭鉱/炭鉱住宅8階建て

画像は2005年(平成17)に撮影した炭鉱住宅の“8階建て”。
その名のごとく8階建てで、
池島の炭鉱住宅の中では最も高層の4棟である、
25棟、27棟、29棟、31棟をまとめてそう呼ばれています。

池島の鉱員アパートはいずれも、
戦後の公営住宅でよく建設された、
階段踊り場の両側に居室が一部屋ずつある、
いわゆる階段室型の構造で、
独身寮以外は全てこの形です。





池島炭鉱/炭鉱住宅8階建て

ほぼ同じ位置から撮影した2017(平成29)の様子。
パッと見はそれほど変わっていない印象をうけます。
手前2棟の、5階に施工された横移動できる渡り廊下の、
階段室部分の張り出しを覆っていたトタン壁がなくなったのと、
ガラスの割れた部分が多少増えたくらいでしょうか。
植物も成長しているようです。

一見、とても綺麗に見える8階建てですが、
池島炭鉱の人口増加期に突貫で建設された建物で、
施工がそれほど良くなく、
閉山後すぐに使われなくなったとのこと。





池島炭鉱/炭鉱住宅9棟

画像は2009年(平成11)に撮影した炭鉱住宅の9棟。
1棟〜17棟は最初期に建設された鉱員アパートで、
その壁面には、時間経過を感じさせるものとそうでないものが混在しています。
画像の9棟の壁面はとても50年経過した壁面とは思えないので、
途中で塗り直しがされたものでしょう。

ちなみに池島での炭鉱アパートは、
建物の番号に「棟」だけを付け、
「1棟」「25棟」「131棟」のように呼びます。





池島炭鉱/炭鉱住宅9棟

そしてこれが2017年(平成29)の9棟。
ご覧のように、ほぼ蔦で覆われました。
4階中央のベランダに残る洗濯機が、
かろうじて同じ棟であることを物語っています。
初期のアパートの中では、
この9棟だけが極端に蔦で覆われていて、
他の棟は殆ど覆われていません。





池島炭鉱/突堤の公営住宅

画像は選炭工場からみた2004年(平成16)の、
池島港の突堤に建ち並ぶ公営住宅群。
港の周辺に建つアパート群はいずれも公営で、
おもに協力会社(いわゆる下請け)の作業員とその家族が住んでいました。
選炭工場の建屋ですこしわかりにくいですが、
海に張り出した北側の突堤の上に、
ズラッと並ぶ公営住宅が見えます。





池島炭鉱/突堤の公営住宅

画像は2012年(平成24)に、選炭工場から見た突堤。
かつて整然と並んでいた公営住宅は、
7棟が2009年前後に解体され、
今では6棟のアパートが遺るばかりです。

突堤に建ち並ぶアパート群は、
池島を訪れる時に最初に見える《異空間》を演出していたので、
解体されてしまったのは残念です。

左寄りに写る緑色のルーフィングの建物が、
港ショッピングセンターのビル。
その上のグレーの屋根が開発センターで、
坑道見学の際に映像を見ながら炭鉱弁当を食べるところ。
その左隣がターミナルビル、
さらにその左の三角屋根が港浴場です。

港ショッピングセンタービルとターミナルビルは、
建物の両端に階段がある片側長廊下タイプの構造で、
いずれも1階が炭鉱の所有、2階以上が公営という、
変則的な建物です。


“第二の軍艦島”といわれる、九州最後の炭鉱のあった池島の全貌を、
12年以上の取材と400枚超の写真で紹介する国内初の池島本。
『池島全景 離島の《異空間》』絶賛発売中!!



最新の画像もっと見る

post a comment