黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

池島炭鉱十年の変貌 09その他の変遷

2017-06-13 05:51:42 | 池島炭鉱
第二の軍艦島といわれる、
軍艦島と同じ長崎市にある炭鉱跡<池島>の全貌をまとめた、
『池島全景 離島の《異空間》』(三才ブックス)の発売記念として、
書籍に収録できなかった池島を、シリーズでお送りしたいと思います。

取材で通った2004年〜2017年の約12年の間に、池島がどう変わったか。
今回は、これまでアップして来たもの以外の変貌です。

■長崎市設池島総合食料品小売センター(市場)■

池島炭鉱/長崎市営総合食料品小売センター内

画像は、昨日アップした「かあちゃんの店」が入店する、
長崎市営総合食料品小売センター(通称“市場”)の2010年(平成22)の様子。
この頃は、まだ壁際の店舗が営業していました。
池島炭鉱の母体である三井松島産業のスーパー事業部が運営した、
パインスーパーの流れを汲むもので、
店名のパインは、松島の「松」から付けられたのでしょう。





池島炭鉱/長崎市営総合食料品小売センター内

パインも2013年(平成25)には閉店し、
市場内で営業する店舗は「かあちゃんの店」だけとなりました。
そのおかげで、かつて行商が店を並べたスペース全部が、
かあちゃんの店の食堂となったわけですね。





■池島ストア(商事)■

池島炭鉱/池島ストア

かあちゃんの店が入店する市場の目の前に、
かつては巨大スーパーの「池島ストア」がありました。
大島炭鉱の厚生課から独立した大島商事(のちのマツシマ商事)が運営したことから、
通称“商事”と呼ばれていたスーパーです。
画像は2005年(平成17)の池島ストア。
左手前の焼鳥コーナーの提灯が灯っていることからお判りのように、
この時代は、1階だけですが、まだ営業していました。





池島炭鉱/池島ストア

そしてこれが2014年(平成26)。
商事の建屋は完全に解体され、現在では更地になっています。
炭鉱時代に島内で最大だったスーパーがなくなってしまったのは、
かつての池島の繁栄を知る手がかりが、
一つなくなってしまった、ということかもしれません。





■廃車■

池島炭鉱/アパート中庭の廃車

画像は2005年(平成17)に、6棟の前庭にあった廃車。
ボンネットの中にも雑草が生い茂り、
余命幾ばくもない印象でした。
ところが…





池島炭鉱/アパート中庭の廃車

2015年(平成27)に同じ場所を見ると、
セイタカアワダチソウが繁殖して多少見えにくくなりましたが、
野ざらしのわりには、10年の経年変化を感じさせない存続っぷりです。
周囲の雑草が、劣化のスピードを遅くしたのでしょうか。





■高速船■

池島炭鉱/高速船<れぴーど>

画像は2009年(平成17)に撮影した、
佐世保と池島を結ぶ「れぴーど」号。
西海沿岸商船が運行する、定員202名の高速船です。
2009年といえば、
閉山後の池島活性化事業の一つだった池島アーバンマインが、
ちょうど操業を始めた頃。
島内には、作業員の方々かなりいたので、
定期船も大型のものだったのだと思います。





池島炭鉱/高速船<れぴーど2>

2015年(平成27)に池島港に停泊する高速船。
同じく西海沿岸商船が運行する「れぴーど2」。
似た様なルックスですが、こちらは定員92名。
半分以下の小ささです。
前述のれぴーどもまだ運行されているようですが、
最近では、れぴーど2しか見たことがありません。
池島アーバンマインが閉鎖され、
高速船の利用者も激減したのでしょう。

9回にわたってお届けしたきた、池島の十年の変遷。
10年というわりには意外と劣化の度合いは少ないようにも思います。
しかし、一つ一つの解体や崩壊が、
やがて多くのものを失うことにも繋がります。

何度もお伝えしてきましたが、
一度壊した施設、あるいは壊れた施設は、
二度と元へは戻りません。
それは、20世紀の日本を根底から支えた炭鉱という文化が、
消えてなくなってしまうことだと思います。


“第二の軍艦島”といわれる、九州最後の炭鉱のあった池島の全貌を、
12年以上の取材と400枚超の写真で紹介する国内初の池島本。
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