あわて者でもいい
泣き虫でもいい
手先が 不器用でも...
音痴でも かまわない
もちろん
人が振り向くほどの
美人である必要もない
とりたてて特技がなくても
高尚な趣味も
噂に上がるほどの博識も不要
おまけに
学歴
職歴
賞罰
一切不問
そのままのあなたがいい
そのままのあなたが好き
赤ちゃんは そう言いたくて
あなたに両手を伸ばしてくる
セブンイレブンの罠
●「草葉の陰」
◆「草場の影」には、なんと三つもの間違いが含まれています。http://p.tl/hySs
順に見ていきましょう。
ひとつは、「漢字」の間違いです。
正しい表記は「草場」ではなく「草葉」、文字通り「草の葉っぱ」です。
二番目も、同じく「漢字」の間違い。
「影」ではなくて「陰」が正解です。
意味を知れば、どれだけ間違った使い方かが、よくわかるはずです。
「草葉の陰」という成句になった場合、それは単に「草の葉に隠れた所」という意味だけではおさまりません。
草の葉の下、地面に埋葬された状態。
すなわち、「墓」の中にいる状態を示す言葉になります。
要するに、「あの世」です。
◆くさばのかげ【草葉の陰】
1. 草の葉の下。草陰。草の陰。
2. 墓の下。あの世。草の陰。 「 -から見守る」
◆ちゃんと埋葬してあっても「草場の陰で泣いてるぞ」と言うのはどうしてでしょうか? http://p.tl/svq6
むしろちゃんと埋葬してあるからそういう表現をするのではないでしょうか。
「(埋葬された)墓の下で泣いているぞ」という意味を間接的な表現で言っているのだと思います。
ちなみに正しくは草場の陰ではなく草葉の陰です。
◆草葉の陰を考える http://p.tl/8yXo
■いい年をした親不孝者を詰(なじ)る時に、最も便利で分かり易い慣用句が「○○が草葉の陰で泣いているぞ。」というものであります。「草葉の陰」には二つの意味が有りまして、墓地や墓場が第一の意味でして、二番目が黄泉(よみ)の国、つまり「あの世」という意味でございます。
仏教もキリスト教も根付かなかった日本列島には、死んだ者は地の底に有る黄泉(よみ)の国に行くという話が広まっていたらしい。『古事記』には、火の神を生んだのが原因で死んでしまった伊邪那美命(いざなみのみこと)を連れ戻そうと、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国に出掛けて行って、「殿の縢戸(とののさしど)」という難しい名前の入り口を通って、割りと簡単に死んだ奥さんに会ってしまいますな。その頃は、黄泉の国の場所も入り口も分かっていたようです。
◆【ご先祖様も吃驚仰天】あの墓参り必需品が、いつの間にか大進化 http://p.tl/ObeV
「お墓参りの時にお供えすれば、ご先祖様に大ウケしそう」誰でも知ってる身近な物が、いつの間にかこんな姿に大変貌していたことに驚きを隠せません!このまとめを見る ...
◆手塚治虫は草場の陰で懺悔してるかな? http://p.tl/kBWv
アトムは間違いだったと思って、今大懺悔中だろう。医学を志していた者として、今の現実を直視できるわけがない無い筈だ。アトムを書いていた頃、原子力は人間を助ける筈だったのに、まさか牙を剥き悲しみのどん底に落としこむとは到底考えが及ばなかったのだ。我々も彼の漫画やアニメを見て、原子力は人類の未来を明るく照らす希望の星だと思わされていたのではないだろうか。だからこそ大量の電気を作り出す発電方法を由としてきたのだと思う。
◆「草葉の陰から……」の草葉って一体どういう意味なの? http://p.tl/YN-I
まず一つには、直接的な物言いを避けるという、日本語特有の湾曲表現があるのだろうね。
例えば「おまえ」って言葉があるけど、これが何故、相手(YOU)を指す意味になるのか知ってるかな?
え~と、「おまえ」は要するに「御前(おんまえ)」の事で、昔は直接指し示す事が無礼にあたる高貴な人に対し、「その人の前」という言い方で相手の事を示していたって、国語の時間に聞いた事があります。
◆ご先祖さんは、草場の陰で呆れているぞ! http://p.tl/n77F
2012/03/08
中国では国土の売買はできない。
国が全てを管理しているからである。
自国では買えない土地を、日本に来て日本の土地を買うことで、中国人は溜飲をおろしているようだ
何とも迷惑な話よ。
◆Q6 浄土真宗の葬儀で使う言葉は? http://p.tl/U-6e
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葬儀の席で「弔辞」(ちょうじ)を披露される事がしばしばあります。
亡くなられた方への惜別の思いからいろいろな言葉を使われていますが、時に難解な言葉を
多用するあまり、本来の意味とは違う用例で使われることもあるようです
◆無門関を読み解く http://p.tl/Hovl
大人達は草場の陰にいるとか言うので、それとなくお墓のあたりの草の陰をのぞいたりして見たものだ。そして出家することになり、そのことへの疑問を抱きながら禅の修行を続けるうちに、ある日の径行(ひんきん=歩きながらする禅修行)のときにパッと目の前が ...
◆与えられた肩書き http://p.tl/p_6X
龍になると天に昇り、蛇になると草場に入る事を意味していますが、龍になった人が頂上を目指し、蛇となった人が地を這う ... 組織において管理者としての「肩書き」を与えられたとしても、天から指示を出すこともあれば、草場の陰から監視して ...
◆草葉の陰から(狙撃術)http://p.tl/5fzp
こんばんは、SHIRANです。
「草場の陰から」という本来の意味ではなく、草むらからの射撃術です。
◆9月13日 杉田玄白:解体新書
1733年(享保18年)9月13日、江戸時代の蘭学者・杉田玄白
が若狭国小浜藩(現在の福井県)誕生しています。
実は子供の頃から虚弱体質で病気がちでお医者さんに掛かる事が多い事から、医学というモノに興味を持ちお医者さんになったのですが、子供の頃はいつも青白い顔をしていたので「草場の陰」という渾名だったそうです。
◆
『本当の日本の歴史』
ラダ・ビノード・パール
「彼ら(欧米諸国)は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめる事によって、...
自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、
日本の 17年間の一切を罪悪と烙印する事が目的であったに違いない。
私は1928年から1945年までの17年間の歴史を2年7ヶ月かかって調べた。
この中には、おそらく日本人の知らなかった 問題もある。
それを私は判決文の中に綴った。
その私の歴史を読めば、
欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるという事が解るはずだ。
それなのに、あなた方は自分らの子弟に、
「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」と教えている。
満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、
どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、
卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはいかない。
あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。
あやまられた歴史は書き変えなければならない」
ラダ・ビノード・パール 極東国際軍事裁判判事・法学博士
昭和27年11月5日、広島高等裁判所での講演にて
鮎川 秀行 パール判事の事をもっとマスコミが取り上げなきゃね(^^ゞ
特に某NHK、受信料の支払い増加策(^^ゞ
戸田 豊和 まだ独立していないインドからパール判事を、極東裁判に送り込んだ当時の大英帝国は、もしかしたら、マレー沖海戦やインパール作戦で日本軍と対峙して、その後の、欧米列強による植民地政策の崩壊を予測出来ていたのでは?
畝田 良一 パール判決(全2巻)その量のすごさ!これだけの資料を日本のために書いて下さったのに 全部未だ読めてません
Keisuke Kogawa パール判事が来日の際に通訳をされたのが銀座の印度料理専門店ナイルレストラン創業者A.M.ナイルさん。パール判事=ナイルのカレーを思い出す:))
http://www.ginza-nair.co.jp/history.html
原田 美文 自虐史観からの脱却を促すパール判事のメッセージをもっと多くの国民に知って欲しいですね。
浅井 えり 私の父は戦争中報道カメラマンで、東京裁判を記録舌(撮影)二人の日本人のうちの一人です。父からパール判事のこといかに素晴らしい方かを聴いていました。本当にもっともっと多くの国民に知ってほしいです。
Hideya Takagi 日本人は今まで教えなかった本当の歴史を学ぶべきだし教科書を見直すべきではないだろうか?
■ 国際派日本人養成講座 ■ 外国人の見た「大いなる和の国」
「私たちは日本にくると、全体が一つの大きな
家族のような場所に来たと感じるの」
■1.スクランブル交差点での傘の群舞■
高層ビルのレストランで、アメリカから来た老夫妻との食事を終えて、廊下に出ると、雨が降り出していた。
廊下から外を見下ろすと、そこはハチ公広場前の大きなスクランブル交差点で、信号が青になると色とりどりの雨傘がひしめいていた。
老夫妻は足をとめ、じっと窓から見下ろした。
私たち、こうするのが大好きなの。日本のことが一番よくわかるから。
雨の日、そしてことに渋谷のような大きな交差点。
ほろ、あちこちの方向へ動く傘をよく見てごらんなさい。
ぶつかったり、押し合ったりしないでしょ?
バレエの舞台の群舞みたいに、規則正しくゆずり合って滑って行く。
演出家がいるかのように。これだけの数の傘が集まれば、こんな光景はよそでは決して見られない。[1,p240]
この言葉に、海外に合計15年も住んでいた文筆家の加藤恭子氏は次のような感想を持った。
内なる「外の眼」(JOG注: 海外生活体験を持つ日本人の眼)を意識している私も、ここまでは気づかなかった。
いつもせかせかと急いでいる私は、「傘の群舞」に眼をとめたことすらなかったのだ。
真の「外の眼」のみが指摘できる特徴だったのだろう。[1,p240]
日本人には「せかせかとした雑踏」としか見えないスクランブル交差点で入り乱れる傘の群れを、この老夫妻は「規則正しくゆずり合って滑って行く」日本人の姿として捉えていたのである。
加藤氏が編集した『私は日本のここが好き!
外国人54人が語る』には、こうした「外の眼」から見た日本人の様々な姿が描かれている。
そこには我々自身も気づかない自分自身の姿がある。
■2.お互いに「すみません」■
「スクランブル交差点での傘の群舞」とは、一人ひとりの行きたい方向はそれぞれだが、互いに他の人のことを思いやって、全体として一つの秩序を生み出している日本社会の見事な象徴である。
そこには一人ひとりの自由と、共同体としての秩序が共存している。
我が国ははるか太古の時代に「大和の国」、すなわち「大いなる和の国」と自称した。
アメリカから来た老夫妻が見た「スクランブル交差点での傘の群舞」は、まさにこの国柄が現代にも息づいていることを窺わせる。
「大いなる和の国」が成り立つのは、一人ひとりがすれ違う相手のことを思いやる心を持っているからである。
この思いやりは、日本に来た多くの外国人が感じとっている。
中国から来て日本滞在20年、今では帰化して大学で中国語を教えている姚南(ようなん)さんはこう語っている。
これは民族性の違いだと思いますが、日本では一歩譲ることによって様々な衝突を避けることができます。
例えば自転車同士がぶつかったときなど、中国ならすぐ相手の責
任を求めますが、日本ではどちらが悪いという事実関係より、まず、お互いに「すみません」と謝ります。
その光景は見ていてとても勉強になります。
ある日、混んだ電車に乗っていたときのことです。
立っていた私は、揺られた拍子に後ろに立っていた女性の尖った靴先を、自分のヒールで踏んでしまったのです。
すぐ「ごめんなさい」と謝ると、その人は微笑んで「靴先は空いているから大丈夫ですよ」と言ってくれました。
日本人は他人の生活に干渉しません。
うわべの付き合いのように見える関係は、多くの中国人が偽善と感じるものですが、私は、自分の主張を人に強制して受け入れてもらう必要はなく、干渉せず、お互いに好意を持って付き合い、人が困ったときに助けてあげれば良いと思います。[1,p31]
お互いの自由な生活を尊重しつつ、困った時には助けてあげるのが、「大いなる和の国」の流儀である。
■3.周りの方の「がんばれー」光線■
この流儀は、もちろん海外から来た人々にも発揮される。
北アフリカのチュニジアから来た学生のアシュラフ・ヘンタティさんは、まだ滞在1年未満だが、こんな体験をしている。
僕はまだ日本に慣れていなくて、日常生活でも、日本語でも、悪戦苦闘の日々なのですが、いろんな場面で、皆さんが「がんばって」「がんばってください」「がんばってね」と声を掛けて下さいます。
実は初め驚いたのです。よその国では、そういう経験があまりないからです。
日本では乗り物などでマゴマゴとまどっていたりすると、周りの方の「がんばれー」光線を感じます。
身も知らぬ僕のためにハラハラと心配してくれているのですよね。
例えば、これがフランスなどですと、むしろ冷たい視線を受けてしまいます。
自分の権利やふるまいには自信や主張を強く持っていますが、他人にはかなり冷たいところのある国ですから。
逆に日本は、僕のようにあまり深いつきあいのない外国人であっても、そんな風に誰もが励ましのエールをくれます。
温かいなあと感じます。
「がんばって」と身近な皆さんに言われて、それがプレッシャーだった時もあるのです。こんなにがんばっているのに、自分はそんなにがんばっていないように見えるのだろうか、と。
今は、その言葉が励ましの意味だけでなく、むしろ「見守っていますよ」という温かい気持ちの代わりの言葉なのだと解って来ました。[1,p167]
「スクランブル交差点での傘の群舞」の中で、一人マゴマゴしている外国人がいれば、「がんばって」と声をかけるのが「大いなる和の国」を成り立たせている思いやりの心である。
■4.「静かに美しく毎日が過ぎていき」■
こうした流儀で、「大いなる和の国」には平和が保たれてい
る。それは争いの続く国から来た人々にとっては、望んでも得
られないものだ。インドから来て在日経験通算5年のモハマド
・ラフィさんは、こう語っている。
日本に暮らしていて最も素晴らしいこと、それは毎日の生活が無事に繰り返されていき、それによって、きちんと仕事をすることができることです。
朝太陽が昇り、一日が始まる。人々が目覚めて仕事に向かう。やがて日が沈み人々は仕事を終えて家に戻って休む。
夜が来て月が天に昇る。
その繰り返しが今日も明日も明後日もずっと続いていきます。
静かに美しく毎日が過ぎていき、全てが、いろいろなものや人の役割が、きちんと機能している。
日本の人たちはそういった意味で、自分たちの国をとても大切にしていると思います。
自分の国を汚くすることがない、私はそれを尊敬しています。
公共の場所や道路を散らかさない、という意味だけではなく、政治的な問題や社
会的な問題が起こったときなどにも暴動を起こして建物を壊したり火を放ったりしないし、ストライキで国中が混乱状態になってしまうような事態も起こりません。
それは大変珍しいことです。
今日の続きとして明日を、明日の続きとしての明後日を、安心して待つことができるので、未来への計画も期待も持つことができます。一日一日が平安とともにあります。
それが日本の経済力やハイテクノロジーなどの、世界に誇っている力を生み出しているもとになっていると思います。[1,p22]
世界有数の経済力も技術力も、「大いなる和の国」の静かな美しく過ぎゆく日々がもたらしたものである。
■5.「恩や義理人情」■
「大いなる和の国」に存在する「恩や義理人情」の「美徳」を、日系ペルー人のカトリック神父で、戦後の日本で貧民救済事業にあたっていた加藤マヌエルさんは指摘する。[1,p104]
また、日本人が持っている「美徳」の一つは、「恩や義理人情」です。通算13年ほどの滞在期間中、私は私にできる限りの援助をその当時困っていた方々にしていたのですが、今はその人たちに助けられています。
帰国後、私がペルーでストリート・チルドレンのためのホームや診療所、そして日系人専用の老人ホームを建設する事業に関わってからは、その支援を仰ぐために毎年2カ月ほど来日するようになりました。・・・
昔、私が行ったほんの小さな好意に、今でも感謝の気持ちを持っていて下さる方々。
私が十年間ほど援助したことのある日本人は、その額とは比較にならない何千倍もの額を、今までに援助して下さいました。・・・
他の国からも、慈善事業としての援助はいただきましたが、日本人から感じるような「恩や義理人情」は、少なくとも私が関わった西洋人にはあまりないように思いますね。
「人情」とは他者への思いやりの心、「恩」とは他者から受けた思いやりに対する感謝の心、そして「義理」とはその恩をお返ししなければ、という心。
こういう心を一人ひとりが豊かに持っているからこそ、お互いに助け合う「大いなる和の国」が維持されてきたのである。
■6.死者と生者がむつみあうようなのどかさ■
「大いなる和の国」に住むのは、生者ばかりではない。
中国から来て、滞在17年にもなる作家・毛丹青はこんな美しい光景を見た。
中国では人が亡くなると町の外に埋葬しに行きます。北京で有名なのは八宝山ですが、市内からかなり離れていますね。
ところが日本では墓地が街の至る所にある。
もっと不思議なのは、お寺の裏に墓地があって、隣に幼稚園があったりするんです。
黄昏の夕日が墓地に射して、その美しい光の中で幼稚園の子どもたちが鬼ごっこをして夢中で遊んでいる。僕はそういう情景を何度も見ました。
死者と生者がむつみあうようなのどかさ。亡くなった人たちは子どもたちの無邪気に遊ぶ姿を見て幸せだったんじゃないか、そこには死者と生者の会話があったんじゃないか、と思いましたね。
現代の中国ではありえない光景です。子どもの時からそういう体験をすると、死生観や生命に対する考え方が違ってくるでしょうね。[1,p14]
インドで生まれた仏教では、魂は他の人間か動物かに生まれ変わる「輪廻転生」を続けるか、解脱をして浄土に行ってしまう。
家としての血のつながりを重視する中国では、そんな個人主義的な死生観は受けつけられず、一族の長の家に宗廟という建物を建て、そこで先祖祭祀を行った。
それが日本に入ると、死者と生者の関係はさらに近いものとなり、各家に仏壇を置く、という日本独自の習慣となった。
日本のご先祖様は子孫を見捨てて、勝手に西方浄土に行ってしまったりしない。
いつも「草場の陰」で子孫を温かく見守ってくれているのだ。
だから、お寺の墓地の隣に幼稚園があるのも、ごく自然なのである。
死者を身近に感ずる所から、その気持ちを裏切っては「ご先祖様に申し訳ない」という感覚が出てくる。
我が国には創業百年以上の老舗企業が10万社以上あるという、世界でも群を抜く「老舗企業大国」であるのも、こういう死生観からであろう。
「大いなる和の国」では、死者と生者が睦み合って、幸せに繁栄しているのである。
■7.「全体が一つの大きな家族のような場所」■
冒頭に登場したアメリカからの老夫婦は、「少年の犯罪率が高くなった」などと語る加藤恭子氏に、こう答えた。
率のことはわからないわ。だけど私たちは日本にくると、全体が一つの大きな家族のような場所に来たと感じるの。
路上には、異様な風体の少年少女たとがすわりこんでいる加藤さんは眼で彼らを示しながら、「あの若者たちも、『家族の一員なの?」と訊ねた。
そう、ちょっと異分子かもしれないけれど、彼らも一員よ。
「私は見守っていますよ」というような大きなジャスチャーは日本人はしない。
でも、それぞれがさり気なく見ているの。
家族って、そうでしょ。その安心感があるから、彼らも地面にすわっているのよ。
確かに、地面に座っている子どもたちが、強盗に襲われたり、暴力を振るわれたりする社会なら、彼らもこんな真似はできない。
「大いなる和の国」とは、一つの家族のように、互いの自由を尊重しながら、必要な時に支え合ったり、その恩返しをしたりする共同体である。
■8.「日本は他の世界と共有するものをたくさん持っている」■
世界の多くの国民国家は、多かれ少なかれ、こうした家族的側面を持っている。
北欧諸国やタイなどはその模範的な存在である。
その中でも、我が国はもっとも理想に近い国民国家と言えよう。
スイスから来て滞在10年のビジネスマン、ウルフガング・アンベールドローさんは、こうアドバイスしている。
今日のグローバル社会において、日本は、他の世界と共有するものをたくさん持っているという事実にもっと気がつくべきだと思います。[1,p222]
ここで紹介した人々が共感した「大いなる和の国」の光景は、まさに「幸福な国民国家のあり方」として、他の世界と共有しうる理想であろう。
この理想は、聖徳太子が「和を以て貴しとなす」として、十七条憲法の冒頭に掲げられたものである。
(文責:伊勢雅臣)
白石 好起 こういうのを教えられると、なおさら大切にして日本を守らなきゃと思いますね。
「10回の強行採決」が示すもの ― 民主党が強行採決した法案名一覧
2010/6/3(木)
『successのブログ』
こちらは、衆議院議員 高木つよし氏のブログより転載させていただきました。
(一部、レイアウトを変更しています)
転載ここから (⇒部分は、ブログ主による注です)
民主党による 10回の強行採決の法案名
3/12 強行採決
高校無償化法
⇒ 民主党が昨年の衆院選マニュフェスト (政権公約)で主要政策に掲げていたもので、公立高校では授業料を徴収せず、私立高校生らには就学支援金を支給する。4月1日から施行。
在日の朝鮮学校を入れるかどうかで、論争があった。2010(平成22)年度の政府予算案は3,933億円。この財源捻出のため、特定扶養控除が2011(平成22)年以降段階的に縮小されることになっている。
子ども手当法
⇒ 民主党がマニフェスト(政権公約)の目玉に掲げていたもので、与党と公明党などの賛成多数で可決成立した。施行は4月1日。6月に子ども(中学生まで) 1人当たり 月額1万3千円が初支給される。
手当の支給対象に、海外に子どもがいる在日外国人も含まれ、554名の子ども手当申請をした韓国人男性が出現するなど、問題も多く、追って支給条件を設けた。
給食費や保育料の滞納をしている場合には、子ども手当で相殺したいとする自治体もあるが、子ども手当法は手当の差押えを禁じているため、滞納の回収はできず、手当は支給という状況になっている。
4/14
国民健康保険法
(医療保険制度の安定的運営を図るための国民健康保険法等の一部を改正する法律案)
⇒同法案は、被用者保険から後期高齢者医療制度への支援金の分担方法に各保険の能力に応じて負担する「総報酬割」を一部導入するというもの。
総報酬制が導入されると、中小企業の従業員などが加入する「協会けんぽ」の負担が減る一方、大企業のサラリーマンなどが入る健保組合からの支援金が増加、今年度で330億円、平成23年度と24年度ではそれぞれ500億円の負担増となる。
今後さらに大量に流入する貧困層の移民の保険料負担等も考慮すると、この法案により、体力のない健保組合の多数の破綻が予想される。
5/12
国家公務員法
(国家公務員法改正案)
⇒ 今回の国家公務員法改正とは、民間人が国の省庁の事務次官になれるという恐ろしい内容の法案。
現在の法律では在日韓国・朝鮮人は幹部級公務員になるのは難しく、公務員には事実上の国籍条項があり、日本国籍を持たない者は管理職になれないが、民主党の改正案により、『日本
国籍を持たない民間人』が幹部職員になることが可能になるという、近隣諸国寄りの法案である。
この強行採決時には、委員会メンバーでもない三宅雪子議員が転倒し、委員会に関連のない者が、勝手に参加してよいのかという問題提起にもなり、話題をさらった。
省エネルギー製品促進法
(石油天然ガス・金属鉱物資源機構法改正案)
⇒
5/14
地球温暖化対策法
⇒
5/24
選挙経費基準法
⇒
5/25
放送法
⇒
5/26
外為法承認案件
⇒
そして10本目
5/28
郵政改革法
⇒
国会は法案を審議する場ではなく ただ通すだけの場になってしまったようだ
残念且つ情けない
転載ここまで
この採決の日付を見ると、最近になって 大層急いでいることがわかります。
何かに駆られるように、強行採決を連打している、という印象を持ちます。
6月2日には、鳩山首相が 辞任されました。
ところで、民主党さんが公約として掲げたにもかかわらず、やっていないこと はなんでしょうか。
高速道路無料化
ガソリンの暫定税率撤廃
等々多数あります
一方、公約にないのに、どんどん進め導入した、もしくは 導入しようとしていること はなんでしょうか。
子ども手当 (外国人も該当)
外国人関連法案
沖縄ビジョン (沖縄移民政策)
選択的夫婦別姓制度の導入
靖国神社に代わる国立追悼施設の建立
等々多数あります
パターンを理解しよう
民主党 物事の進め方のパターン
民主党の物事の進め方のパターンには、次のようなものがあるような気がします。
傾向を理解して、その対策をしっかりとりましょう。
1 まず 「言論統制」
だって、せっかく そぉ~っと、だれも気づかないように進めているのに、それをすっぱ抜くメディアや個人
などが、のこのこ出てきてもらっては、困るのです。 「だれも、なにも言うなよ」 とばかり厳しい管轄機能を
しき、思わぬ言論が出ないようにします。 違反すれば、すぐに牢屋に入れて、禁固刑にすればOKです。
2 罪悪感なしに、うそをつく
えさは 国民に向けた「無料化」「手当支給」の言葉
うそをつかなきゃ、相手を出し抜くことはできません。
組織を維持させるためには、うそ・欺瞞・・・、いかなる手を使ってもいいのです。
そのためには、とてもよさそうな「えさ」を用意して、愚かな国民を釣ろうとします。
無料だから、手当をあげるから・・・、甘い言葉には要注意です。それは誰が払うのですか?
外国の人々へも大盤振る舞いした そのつけは、次世代の「子どもたちの辛苦」 につながります。
理解を深めさせるために、せきるだけ「誠実」 「一生懸命」 「涙を誘う場面」を演出、うそをつき、状況を予想だにしなかった局面に展開させます。
3 やっていることがばれないように「悪者」を設定それはそうです。
だって、悪いことをするのに、「自分がやった」なんでばれるのは、とてもいやです。
だから、対抗馬を必ず立てて、こう言います。
「あいつが悪いんだ」 「あいつが 自分の責任を 避けるために、我々を攻撃するんだ!」 と。
悪いことをしても大丈夫です。別の「悪者」が、責任と汚名をかぶってくれます。たとえば・・・、宮崎で今起きていることを見れば、その傾向と対策が理解できます。
4 結果がよくない場合は 「個人がやったこと」 と関わりのないふりをする
もし全体で全力をかけて行っていたことの、その結果がよくなかったことが世間にわかってしまったら・・・、
それはもう 「個人の責任」 です。たとえそれが、国を代表する首相だって、同じです。
「首相だった個人がやったことなので、党とはまったく関係ありません」として、変わらない党への支持を求め、この状況を乗り切ります。
5 あらゆる力を使って、周囲を味方をつける
もちろん、こんな方法をとっていたら、バレるかもしれません。
みんなうすうす感づいてしまうかもしれません・・・。
そうしたら、お金をたらふく積んで、自分の味方にしてしまいましょう。
もちろん・・・、言う事をきかない輩がいたら、徹底的に痛めつけて、二度と文句が言えないようにすればOKです。
メディアだって国会議員だって、どんな対象でも、同じです。言う事をきかなければ、見せしめる。
「体制の維持」という 大義は通っています。
6 同時進行で物事を進行させて 状況をかく乱させ自分たちがやりたいことを通す
何かものを行うのに、「戦略」がなくてはいけません。
自分たちがやりたいことを、すべて通すためには、まずは、状況をかく乱することが大切です。
同時進行で物事を進め、一方に注意がいっているときに、別のものを進め、というのを繰り返し、混乱に乗じてやりたいことをすべて進めることを可能にさせます。
「同時進行」!というのが、ポイントです。
何が起きているかに気づく
注意して物を見れば、共通する点があるかもしれません。
同様のことが、ほかの場所で起きてきる、起きるかもしれません。
また、対象がほかのものになって、「行われていること」は同じ、ということが、あるかもしれません。
大切なのは・・・
愚かな大衆にならず、
無償化や手当などの甘い言葉の「えさ」に引っかからず、賢い国民の集団になることです。
現実に行われていることの 「本当の意味」 を理解することで、さまざまな対応法・手段があぶりだされてくるでしょう。
今、こんなときだから、冷静に目を凝らしましょう。
◆夏目漱石
◆夏目漱石(小説家・* 1867年)の命日 12月9日
http://p.tl/Tpmm http://p.tl/-dQD
夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年(大正5年)12月9日)
日本の小説家、評論家、英文学者。本名、金之助(きんのすけ)。江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。俳号は愚陀仏。
大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めた後、イギリスへ留学。
帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。
これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。
その後朝日新聞社に入社し、「虞美人草」「三四郎」などを掲載。当初は余裕派と呼ばれた。「修善寺の大患」後は、『行人』『こゝろ』『硝子戸の中』などを執筆。「則天去私(そくてんきょし)」の境地に達したといわれる。晩年は胃潰瘍に悩まされ、「明暗」が絶筆となった。
◆『吾輩は猫である』(わがはいはねこである)http://p.tl/-g2q
夏目漱石の長編小説。中学校の英語教師である珍野苦沙弥の家に飼われている猫である「吾輩」の視点から、珍野一家や、そこに集う彼の友人や門下の書生たち、「太平の逸民」(第二話、第三話)の人間模様を風刺的・戯作的に描いた、漱石の処女小説である。「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。」という書き出しは有名。1905年1月、『ホトトギス』に発表され、好評を博したため翌年8月まで継続した。
◆『坊っちゃん』(ぼっちゃん)http://p.tl/23B0
夏目漱石による日本の長編小説。 1906年(明治39年)、『ホトトギス』4月号別冊付録に発表。1907年(明治40年)1月1日発行の『鶉籠(ウズラカゴ)』(春陽堂刊)に収録された。その後は単独で単行本化されているものも多い。
主人公は東京の物理学校(東京理科大学の前身)を卒業したばかりの江戸っ子気質で血気盛んで無鉄砲な新任教師である。漱石が高等師範学校(後の東京高等師範学校)英語嘱託となって赴任を命ぜられ、愛媛県尋常中学校(松山東高校の前身)で1895年(明治28年)4月から教鞭をとり、1896年(明治29年)4月に熊本の第五高等学校へ赴任するまでの体験を下敷きに、後年書いた小説である。
人物描写が滑稽で、わんぱく坊主のいたずらあり、悪口雑言あり、暴力沙汰あり、痴情のもつれあり、義理人情ありと、他の漱石作品と比べて大衆的であり、漱石の小説の中で最も多くの人に愛読されている作品である
◆『倫敦塔』(ろんどんとう)http://p.tl/nWig 夏目漱石の短編小説。1905年(明治38年)、『帝国文学』に発表。
作者の留学中に見物したロンドン塔の感想をもとに描いた作品。
・あらすじ
「余」は、行くあてもなく倫敦をさまよったのち、倫敦塔を見物した。これが留学中ただ1度の倫敦塔見物である。
塔内では大僧正クランマー、ワイアット、ローリーら囚人船で運ばれてきた古人たちを思い、また血塔では、叔父によって王位を追われ殺されたエドワード4世の二人の小児の幻影を見る。そして白塔を出てボーシャン塔へ向かうと、奇妙な母子がいた。「余」はその女にジェーン・グレーを見る。「余」は現実か幻想かわからなくなり、倫敦塔を出る。
・背景
漱石は1900年(明治33年)10月から1902年(明治35年)12月までの2年間、文部省留学生としてロンドンに留学した。この折のロンドン塔見物を題材にしたものである。作者自身が末尾にこの作品が想像であることを記している。
漱石によればロンドン塔は英国の歴史を煎じ詰めたものであるとしている。この作品では、ロンドン塔において処刑・収容されたクランマー、ワイアット、ローリーや、エドワード4世の息子エドワード5世とリチャード、そして「9日間の女王」ジェーン・グレーなど、これらの人物を幻想的に描いている。その点で同時期に発表された作品で、ユーモアと風刺にあふれた『吾輩は猫である』とは趣きが異なる。
◆『虞美人草』(ぐびじんそう)http://p.tl/-8Nr
夏目漱石の小説。初出は1907年で、朝日新聞上に連載された。彼が職業作家として執筆した第一作で、一字一句にまで腐心して書いたという。
◆『三四郎』(さんしろう)http://p.tl/beYi
夏目漱石の長編小説である。1908年(明治41年)、「朝日新聞」に9月1日から12月29日にかけて連載。翌年5月に春陽堂から刊行された。『それから』『門』へと続く前期三部作の一つ。
九州の田舎(福岡県の旧豊前側)から出てきた小川三四郎が、都会の様々な人との交流から得るさまざまな経験、恋愛模様が描かれている。三四郎という平凡な田舎者を通じて、当時の日本が批評される側面もある。三人称小説であるが、視点は三四郎に寄り添い、ときに三四郎の内面にはいる。
◆余裕派(よゆうは)http://p.tl/w_Ix 戦前の日本文学の流派の一つ。
正岡子規の写生文に始まり、夏目漱石とその門下の作家を中心とする一派であった。
人生に対して余裕を持って望み、高踏的な見方で物事を捉えるという、「低徊趣味的」(漱石の造語)な要素を含む。この一派として高浜虚子、寺田寅彦、鈴木三重吉らが挙げられる。また森鴎外ら『スバル』『三田文学』などによった作家も分類されることもあり、次第に反自然主義の一派と同視され、その境界線は曖昧になっていった。
余裕派という名称は、漱石が虚子の小説『鶏頭』の序文で「余裕のある小説と、余裕のない小説」と書いたことに由来する。
◆反自然主義文学(はんしぜんしゅぎぶんがく)http://p.tl/hBum
島崎藤村や田山花袋の出現により、自然主義文学が文壇での影響を誇る一方で、自然主義文学を批判した一派。
・関連項目
・耽美派 http://p.tl/66J8
耽美主義(たんびしゅぎ、aestheticism・唯美主義、審美主義とも)は、道徳功利性を廃して美の享受・形成に最高の価値を置く西欧の芸術思潮である。これを是とする風潮は19世紀後半、フランス・イギリスを中心に起こり、生活を芸術化して官能の享楽を求めた。1860年頃に始まり、作品の価値はそれに込められた思想やメッセージではなく、形態と色彩の美にある、とする立場である。
・余裕派 http://p.tl/w_Ix
・高踏派 http://p.tl/1y5N
高踏派(こうとうは。フランス語: Parnasse「パルナス」。高踏主義とも)とは、19世紀の実証主義時代、ロマン主義と象徴主義の間に起こったフランス詩の1文学様式を指す。ギリシア神話のムーサ(ミューズ)の住処パルナッソス山(Mont Parnasse)から名を取った、高踏派詩人の雑誌『現代高踏詩集(Le Parnasse contemporain)』に由来する。この雑誌は1866年から1876年にかけて発行され、ルコント・ド・リール、テオドール・ド・バンヴィル、シュリ・プリュドム、ステファヌ・マラルメ、ポール・ヴェルレーヌ、フランソワ・コペー(François Coppée)、ジョゼ・マリア・ド・エレディア(José María de Heredia)らが寄稿した。
・白樺派 http://p.tl/_61V
白樺派(しらかばは)は、1910年(明治43年)創刊の同人誌『白樺』を中心にして起こった文芸思潮のひとつ。また、その理念や作風を共有していたと考えられる作家達のこと。
・新現実主義 http://p.tl/-lSk
1.大正時代(1912年 - 1926年)中期から末期にかけて日本文学に見られた文芸思潮。白樺派の理想主義が主観的・空想的に過ぎ、現実を見失っているのではないかという疑問から、新しい視点で現実を見直そうとする動きが生まれた。「新思潮」に参加した芥川龍之介、菊池寛、山本有三、久米正雄らが代表である。新思潮派、新理知派、新技巧派とも呼ばれることがある。奇蹟派の広津和郎、葛西善蔵、宇野浩二らを含むこともある。
2.ネオリアリズムのこと。国際政治学の主要理論のひとつで、構造的現実主義 (structural realism) とも呼ばれる。アメリカ合衆国の国際政治学者ケネス・ウォルツが1979年に刊行した著書 Theory of International Politics で提示した。80年代のアメリカの学界において圧倒的な地位を占めるに至り、その後の国際関係理論はネオリアリズムとその批判によって展開されていった。
・自然主義文学 http://p.tl/M8RY
自然主義文学(しぜんしゅぎぶんがく)は、19世紀末にフランスで提唱された文学理論に基づく作品、およびそこから影響を受けた日本の20世紀前半の文学のこと。
エミール・ゾラにより定義された学説の下、19世紀末、フランスを中心に起こった文学運動。自然の事実を観察し、「真実」を描くために、あらゆる美化を否定する。チャールズ・ダーウィンの進化論やクロード・ベルナール著『実験医学序説』の影響を受け、実験的展開を持つ小説のなかに、自然とその法則の作用、遺伝と社会環境の因果律の影響下にある人間を描き見出そうとする。
◆『行人』(こうじん)http://p.tl/Camo
夏目漱石の長編小説。1912年12月6日から1913年11月5日まで、『朝日新聞』に連載。ただし、4月から9月まで作者病気(胃潰瘍)のため、5ヶ月の中断がある。
『行人』は、「友達」「兄」「帰ってから」「塵労」の四つの編から成り立って居る。自分本位に行動する男とその妻との間にできる溝を通じて、近代知識人の苦悩を描く。『彼岸過迄』に続く、後期三部作の二作目。
◆『彼岸過迄』(ひがんすぎまで)http://p.tl/EISc
夏目漱石の長編小説。1912年1月1日から4月29日まで「朝日新聞」に連載され、同年に春陽堂から刊行された。
「修善寺の大患」後初めて書かれた作品。自意識の強い男と、天真なその従妹との恋愛を描く。短編を集めて一つの長編を構成するという手法が具現化されている。後期3部作の第1作である。
◆『硝子戸の中』(がらすどのうち)http://p.tl/PuTp
『こゝろ』と『道草』の間に書かれた夏目漱石最後の随筆である。1915年(大正4年)1月13日から2月23日にかけて39回にわたって『朝日新聞』に掲載された。
・内容
ガラス戸で世間としきられた書斎で、単調な生活を送っている作者のもとに時々は人が入ってくる。それらの自分以外にあまり関係ないつまらぬことを書くと前置きして、身辺の人々のことや思い出が綴られる。自分が飼ったヘクターと名づけた犬の死の話。身上話を漱石に小説にしてもらいたがった女の話。旧友O(太田達人)の訪問と短い交流の話。画を送ってきて賛を強要する男の話などから始められ、後半は漱石の若い時代の思い出の話が主となる。
◆『こゝろ』(こころ)http://p.tl/Q97p
夏目漱石の代表作となる長編小説。友情と恋愛の板ばさみになりながらも結局は友人より、恋人を取ったために罪悪感に苛まれた「先生」からの遺書を通して、明治高等遊民の利己を書く。1914年(大正3年)4月20日から8月11日まで、「朝日新聞」で「心 先生の遺書」として連載。同年に岩波書店より漱石自身の装丁で刊行された。なお、自費出版という形式ではあるが、この作品が岩波書店にとって出版社として発刊した最初の出版物である。
◆道草(みちくさ)http://p.tl/D7Qu
目的の所へたどりつく途中で、他のことにかかわって時間を費やすこと。「道くさ」とも。
「道草」という表現は、慣用句の「道草を食う」と関連がある。道草とはもともとは道端の草のこと。
◆ 『明暗』(めいあん)http://p.tl/dYGH
夏目漱石の長編小説。「朝日新聞」に大正5年(1916年)5月26日から同年12月14日まで連載され、作者病没のため188回までで未完となった。大正6年(1917年)に岩波書店から刊行。
円満とはいえない夫婦関係を軸に、人間の利己(エゴイズム)を追った近代小説。漱石の小説中最長の作品である。また則天去私の境地を描こうとした作品とも解されている。本作品が他の漱石作品にない特徴として、さまざまな人の視点から書かれている点、特に女性の視点から書かれているという点である。
◆そくてんきょし 【則天去私】
夏目漱石が晩年理想とした心境。我執を捨て、諦観(ていかん)にも似た調和的な世界に身をまかせること。
「明暗」はその実践作とされる。
◆そくてんきょし 【則天去私】 世界宗教用語大事典 http://p.tl/Dm8f
夏目漱石の最晩年の言葉。小さな私を去って自然に則して生きること。宗教的な悟りを意味すると考えられている。また、創作上、作家の小主観をはさまない無私の芸術を意味したもの、との見方もある。『明暗』はその実践作といわれる。
今日は何の日 12月9日 1916年 - 夏目漱石(小説家・* 1867年)の命日
http://p.tl/-dQD
大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めた後、イギリスへ留学。
帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。こ...れが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。
その後朝日新聞社に入社し、「虞美人草」「三四郎」などを掲載。当初は余裕派と呼ばれた。「修善寺の大患」後は、『行人』『こゝろ』『硝子戸の中』などを執筆。「則天去私(そくてんきょし)」の境地に達したといわれる。晩年は胃潰瘍に悩まされ、「明暗」が絶筆となった。